ブログ記事351件
先日、プロレス界最大の謎のひとつともされたあの「1999.1.4」の真相が、遂に小川直也自身により告白された。大方の予想通り、アントニオ猪木直々の指令であったという事だったのであるが、色々憶測を読んだだけあって、いざ真相を語られてしまうとなんとなく拍子抜けしてしまった感もある。個人的には、常に会社の方針に楯突く姿勢、そして長州力との不仲により、元より橋本を好まなかった猪木との利害が一致したため、という見方もしていたのであるが、さすがに当時最強で売っていた橋本の商品価値を落とさせるような事ま
1948年7月に、アイオワ地区のプロモーターであるピンキー・ジョージが中心となり、セントルイスのサム・マソニックやミネアポリスのトニー・ステッカーら5人のプロモーター達と共に結成されたナショナル・レスリング・アライアンス(全米レスリング連盟)、通称NWA。この世界最高峰といわれたNWA世界ヘビー級王者に対し、全日本プロレス中継放映の日本テレビが採用したテーマ曲が、この「ギャラクシー・エキスプレス」。1980年代に王者で来日した、ハーリー・レイスやリック・フレアー、リッキー・スティンボート等に
2000年4月7日、新日本プロレスは久々にゴールデンタイムで放送。「橋本真也34歳、小川直也に負けたら即引退スペシャル」と銘打ち、世間的にも盛り上がりを見せていた。私も引退を賭けるということは、おそらく橋本が劇的に勝つのだろうと思って観ていた。ところが、小川の必殺技STO連発で橋本は立ち上がることができない。両目が開いていたので意識はあったと思うが、立てない。無情にもレフェリーのカウントが入る。「立ってくれ橋本!」と辻アナも半泣き状態だ。重労働やスポーツで経験
2001年5.5福岡ドームのメインは、長州力、中西学VS小川直也、村上和成。ついに禁断の交わりが実現した。先に入場したのは小川と村上だが、何と謎の白覆面が一緒に入場して来た。身長と体形からいってアントニオ猪木ではない。そして、劇的なパワーホールで堂々と花道を歩いて来る長州と中西。二人は並んで歩いて来た。睨み合う4人。小川の目が危ない。長州を鋭い眼光というか、殺意の目で睨みつけている。あの99年1.4の時に、長州に顔面を殴られたことを小川は忘れていない。タ
緑の虎は死して神話を遺す平成のプロレス王・俺達の三沢光晴物語禁断~プロレス王と暴走王唯一の遭遇~三沢光晴&力皇猛VS小川直也&村上一成2001年3月2日、ZERO-ONE旗揚げ戦のメイン終了後、勝利した三沢光晴に思わぬ挑戦状が叩きつけられた。プロレス界、格闘技界を暴れまわりセンセーションを巻き起こしていた暴走王小川直也。小川は試合後に乱入し、マイクを持ってこう言った。「三沢、受けてもらおうじゃないか!勝負を!」三沢はこの小川発言になんと、エルボーという手荒な挨拶で迎え撃っ
完全検証橋本vs小川全ストーリー第1戦1997.4.12東京ドーム○小川直也(9分52秒スリーパーホールド)橋本真也×元柔道世界一の小川がプロ転向宣言。明治大学の先輩である坂口が社長を務める新日本プロレスに入門するかと思われたが、猪木に弟子入りしてプロ格闘家を目指すことになった。橋本はIWGP王者で、闘魂伝承をテーマに掲げ、猪木イズムの後継者として認められていた。そんな2人の初対決は、予定されていた橋本対ウエイン・シャムロック戦が中止となり、その代替カードとして行われた
「スターダム事件」が起きたからだろうか。突然、何かに迫られるように、世に言われる“不穏試合”が気になってしまい、いくつかYouTubeで拾ってみた。やはり最もインパクトがあったのは「前田日明vsアンドレ・ザ・ジャイアント」かな。いま観ても、この頃の前田は格好いい♪佇まいからして、男が男に惚れる、というか。他にも「アントニオ猪木vsグレート・アントニオ」「ジャッキー佐藤vs神取忍」「スーパー・タイガーvs前田日明」「北尾光司vsビッグ・ジョン・テンタ」「
1999年1.4東京ドームで行われた新日本プロレス対U.F.Oの対抗戦もいよいよ決着戦。最初に入場したのは小川直也。用心棒なのかジェラルド・ゴルドーが鋭い眼光で一緒に花道を歩いて来る。セコンドの村上一成とタイガーマスクも一緒に入場。そして、劇的なメロディの爆勝宣言が流れ、橋本真也が颯爽と入場して来る。この時、最初のタブーが起きた。小川がマイクを持ち「橋本!死ぬ気があるなら上がって来い!」人の入場シーンをマイクパフォーマンスで邪魔するというのは、あまり見た記憶がない