ブログ記事96件
昨日は通院日診察室に入るなり先生から「陽性でした」と告げられる。へ?何が陽性?と一瞬話についていけてなかったんだけど、すぐに理解した。実は前にも書いたけど、私には同じ病気の従兄弟がいる。だからこそ自分も先生もALSを疑ったんだけど、主治医の先生や遺伝子カウンセラーの先生が言うには、家族性(遺伝性)を疑うには、いとこは関係として遠いんだそうだ。親か兄弟(姉妹)にいる場合に疑いがあるそうで、従兄弟だとほぼ関係ないと思われると言われていた。実は(実は…が多過ぎw)、うちの父は違う病名
ALSの発症タイプは球麻痺型・上肢型・下肢型・呼吸筋麻痺型などありますが、妻の場合は下肢型発症でした。下肢型発症のタイプは比較的進行が遅いことが多いようで、告知されたときには発症から約3年も経過していたにもかかわらず、右下肢機能全廃以外には左下肢・両手とも少しの筋力低下のみに留まっていました。(しかしなぜかその後急速に病状が進行し、告知日からまだ半年強しか経過していないにもかかわらず、今日ではそれら残る手足のすべての機能も著しく低下してしまいました)また30代で発症したことから若年性ALSの
車椅子が出来上がるまでの話になります。最初は気管切開手術前、どノーマルから始まり、病院で首が座らなくなリ、paramountbetのヘッドレストのXシェイプに付け替えて、、^_^退院後11ヶ月かけていまのかたちになりました。アームレストも幅が広い広くて腕がしっかりのるタイプに変更、Xシェイプもクッション入りのカバーをつけてもらい、背中には特殊な低反発素材のものを乗せ、前輪を既製品の中ではクッション性の高いものに変更してあとiPadを乗せるマウントを取り付けて、電動アシストを付ければほ
ALS僕の体③の続きになります。③の最後にまた明日と言いながらなかなか書けずにいた自分に反省してます…気管切開手術後に、僕の体はその後5ヵ月に及ぶ入院生活でかなり病気が進みました。とにかく早く在宅に移りたいと思っていた僕は焦っていました。なんでも自分で出来ると大きな勘違いをしていたのもこの時期だと思います。この頃はまだ左手にiPhoneを操作できる力が残っていたのと生命保険が数千万円入ったこともあり(ALSは死人扱いなのですがこの時はその意味も分からず、法人を立ちあげ、代表になって…
ALSの認定を受けてからのお話をする前に25年前に遡って見ます。僕は今現在43歳ALSの認定を受けてからまもなく5年が経ちます。25年前18歳の時にどのような経緯ですることになったのかな覚えてないですが、遺伝を心配して遺伝子検査を受けました。当時はまだsod1という遺伝子しかALSの原因遺伝子として発見されていなかったので僕は白の判定を受け安心しきっていました。というのも僕の父親はALSで20年以上の在宅生活の末に2011年62歳で亡くなってます。壮絶な人生だったと思います。思い
前回の僕の体⑦の続きになります。前回の僕の写真は気管切開の手術後、約一ヵ月のものでした。1ヵ月目、全く歩かせてもらえず完全に自立歩行をすることは出来なくなってました。そのかわりにやっていたのがPTさんの手を全力で蹴るという運動でした。ここでの正解は何だったのでしょうか?はい、正解は何もしないです。厳密に言えばPTさん、OTさんには体をほぐしてもらう、マッサージしてくださいと頼むです。(あくまでも僕の体で試したことなので、参考程度に聞いてください。)この写真は久々に車いすに座ってちょっ
前回のALS僕の体②の続きになります。強い負荷をかけたリハビリはかえって進行を早めてしまう、PT、OT、看護師さんは医師の指示で動くんで余り深く考えていないのでいいのですが、先生たちには知って欲しい事実です。私どもに出来ることは正しい知識を持って、断わる勇気を持つことだと思います。2014年の4月に地元のM県S市に戻ることになり、三度目のオピニオンを25年前に最初に遺伝子検査を受けた大学病院で5月に検査を受けて5月19日にはALSの診断を受けました。その後6月になって胃ろうの造設術を受
前回の続きになります。そしてなんの因果かわかりませんが(そういうものを全く信じていないので、、、)父が亡くなった直後に痩せが急速に進んでいきました。このとき私は36歳でした。そこからは坂道を転げ落ちるように病気が進んでいきました。わたしの場合、首から症状が出て次に右腕が上がらなくなりました。この頃38歳までは仕事をしていました、が朝の通勤ラッシュの電車で踏ん張りがきかず倒れてしまったことがありました(この時助けていただいた方、本当にありがとうございました。)多くの方が舌打ちする中で