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53話まで見終わりました!色々ありすぎ❗華妃亡き後、皇后の本性がじわりじわりとデテキマシタヨ❗華妃に見下されてたと思いきや、手のひらで転がしていたのね‼妃嬪を操って邪魔者排除しまくりね。皇帝の跡継ぎに一番近い第三皇子の生母斉妃から、第三皇子を奪い取り、皇帝になった時に斉妃が皇太后になることを危惧して、斉妃をけしかけ葉貴人に薬を盛らす。即座にばれてしまって、自殺するように諭す。こっわー実の姉の純元皇后も、皇后が殺したっぽいしね。それはそうと‼果郡王様と莞嬪がついに!結ばれる~‼陛下
映画にもなっているフランスの王妃マリーアントワネット妃はオーストリア帝国に生まれたお姫様です!フランスに嫁いで1789年に起きたフランス革命でギロチンの露と消えました!宮廷の華やかな暮らしばかりが取り沙汰されますが、彼女はベルサイユ宮殿よりも離宮プチトリアノンを愛した様ですね!わずか14歳でフランス王家に嫁いだマリー・アントワネット。以後、ヴェルサイユ宮殿の厳格な慣習や規則に縛られた日々は、退屈で息が詰まるものでした。そんなマリーが最も愛していた
あれよあれよと45話まで見てもーてる❗THE・女の世界で、ドロドロしてるけど韓国ドラマよりさっぱりしてるかな❔❔拷問シーンとかないしね。陰謀も黒幕がすぐわかってしまい、もどかしさは少ないので、平常心で見てられますあらすじ(公式より抜粋)1722年、9人の皇子たちによる皇位を巡る争い“九王奪嫡”の末、愛新覚羅・胤禛(あいしんかくら・いんしん)が康熙帝の後を継いだ。それは清の第5代皇帝・雍正帝の時代の幕開けと同時に、皇帝の寵愛を巡る側室たちの激しく哀しい諍いの始まりでもあった。皇后と華妃
ご訪問頂きありがとうございます。昨日作ったサブレヴィエノワ。ヴィエノワ=ウィーン風のという意味のフランス語なのですが、ウィーンのお菓子で最も有名なのは、ザッハトルテですね。他にもいろいろとあるのですが、代表的なウィーン菓子といえば、チョコレート菓子の王様ともいわれるザッハトルテではないでしょうか。ちなみにザッハは、このお菓子を考案したザッハさんの名前からきていますが、ウィーンにある有名なホテルザッハには、いつもザッハトルテ目当てのお客さ
やっとマリー・アントワネットがデュ・バリー夫人に向かって言葉をかけた!Ilyabiendemondeaujourd‘huiàVersailles!と。ここがデュ・バリーの宮廷生活の絶頂期だ。映画JeanneduBarryを観た。ルイ15世(1710-1774)の2番目の寵姫として宮廷に上がった元高級娼婦の話である。新たな発見があったり、確認できたり、これはちょっと違うんじゃない?というのがあり、観どころ満載!発見その1:デュ・バリーがその存在を疎ましく思っていたという
毎月恒例の吉祥寺古典を読む会、6月は、18日(日)に後深草院二条『とはずがたり』を取り上げました。この『とはずがたり』、前半と後半に分かれるんですが、その前半ではめくるめく恋のドラマが繰り広げられています。研究書でも「愛欲編」と名付けている本があるほどですその恋のドラマは、瀬戸内晴美時代の寂聴先生も小説になさっています。中世炎上(新潮文庫)Amazonちょっとあらすじをご紹介しましょう。第1巻:二条は2歳の時に母を亡くし、4歳からは「後深草
早々に見終わっていたのですが、次のドラマ突入してしまい放置してしまってました(;´д`)果郡王が実は生きてました❗しかし、シンケイはお腹の子どものため、果郡王の死の真相突き止めるため、陛下を頼るべく再び宮廷へ!といっても、皇后一派が黙っているわけなく、阻止しようと策を練るのだけれど、陛下のやるこたぁスゴすぎるわ‼シンケイが皇子を産んだことにして第4皇子の実母とし、年齢が合わないからシンケイを10歳下駄はかせて、漢軍出身者とするため鈕祜祿氏という名を与える。果郡王とは引き裂かれる想いで別々の