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突然の宣告だった。目の前が真っ暗にはならず、霞む感じがした。何か途方も無い迷路に迷い込むような感覚、この先どこをどう進めばいいのか立ち往生するような感覚がした。『悪性胸膜中皮腫』覚悟を決めるには時間が短か過ぎる。ゴールデンウイークを目前にした休日、肩肘を付いて横になってバラエティ番組を観ながら身体を捩った時、右横腹に内臓が押されるような軽い鈍痛を感じた。(あれ?何やこれ…)その時は、まさかこんな事になるとは全く思わなかった。(ん…何やろ?まあ、大したこと無いやろう。)本当に軽い気
2018年4月27日運命の日がやってきた。この日の朝はいつも通りの晴天で、いつも通りに身支度をして病院に向かった。電車で移動中、不思議と動揺はしなかった。もう、覚悟を決めていて、何言われても仕方がないという感情になっていたんだ。病院に到着し、診察室で主治医は淡々と説明した。「結果が出ました。」「はい。」「検査の結果、ステージ1の舌癌です。」「左側は完全に悪性腫瘍で、右側は癌一歩手前です。」「やっぱそうなのか…」
医療センターでの出来事から翌日…帝京大学付属病院耳鼻咽喉科へ紹介状を持ち、パニック状態のまま向かった。診察室に入ったら、優しげな雰囲気で、どことなく芯が強そうな先生がいた。この先生は後の手術の主治医で、今後ともお世話になる先生。この日が初めての出会いとなる。ここでの検査は病理検査。舌に直接麻酔をかけ、左舌患部の一部を採取し、悪性の疑いがあるかの確認をするのだ。先生も今の自分の舌の状態を見て…「これ、ヤバイな…。」と言
ALSと診断された。さあどうしよう。#2-1(病気のこと、どう話そうか)2019年3月、最初に体の異変を感じてから、約8ヶ月の月日を経て病気の確定診断となった。突然告げられた病名(ALS)と病気の内容、冷静だったのか、動揺してたのか。ちょっと書いていきます。(告知後の精神状態)病気の告知をされたとき、主治医の話はほとんど頭に入っていなかった。動揺していたわけでもなければ、冷静だったわけでもなかった。今でもどういう精神状態だったかわからない。しいて言えば、頭の中は情報を整理で
先生とともに旦那が入ってくる。一瞬、旦那と目が会ったけど、お互い言葉を発さなかった。先生は、再び私のお腹にプローブを当てた。「あのね、落ち着いて聞いてね」ああ、聞きたくない…。「赤ちゃんの心臓が…止まってるの」悪い予感は的中した。直前に悟ってしまったからだろうか、パニックにはならなかった。ただ、旦那の顔は見えなかった。「ここ、心臓。分かる?動いてないの」震えた先生の声、たぶん一生忘れられない。先生はそのあと、状況を説明してくれた。これは「常位胎盤早期剥離」という症状で
初めまして!ここではステージ3の舌癌になったこれまでのストーリーを細分化して毎週数回更新していきたいと思っています!時系列で表すと…2018年4月ステージ1の舌癌と宣告される2018年5月入院・手術2018年7月ステージ3の舌癌と宣告される2018年8月入院・手術なぜ舌癌になってしまったのか、その時どう思っていたのか、マイペースに綴っていきます(^^)/
アルマンは生まれてすぐNICU(新生児集中治療室)に連れて行かれました。ポーンポーン、ピピピッピピッ、独特の機械音が鳴り響く部屋。ここは様々な事情を持った赤ちゃんが必死で生きようとしている戦場です。片隅に、ティッシュの箱が机にポンと置かれている部屋もあります。この部屋で両親は医師から色々な話を聞き、ティッシュで涙や鼻水を拭くのです。ある日、アルマンに会いにNICUに行くと、同室の子に緊急処置が必要だからと退室させられました。後日、会いに行った時にはまた部屋が締め切られており、「(
こんにちは。3日連続なんて初めてです。いつもありがとうございますアメブロで沢山の方と繋がれる事が凄く嬉しいです。2017年4月6日「右外耳道癌」だと告られました」私は昔から耳が弱く、慢性中耳炎に悩まされていました。年末から耳の具合が悪く2017年1月4日に家の近所の耳鼻科へ。「耳が真っ赤!触らず軟膏と薬で様子を」と2ヶ月通いましたが全く良くならず、違う病院へ行くように紹介状をいただきました。(この頃には痛みが酷く眠る事すら困難でした)3月頭に紹介された病院での診察。「直
診察室に入ったとき。先生から告げられるほんの一瞬前。机上のPC画面上でした。「悪性」大きな文字で。そこで私の時間は止まってしまいました。その後先生から説明ありましたが。よく覚えていません。「脳にも気になるものがある」その言葉以外は。
隣に座っている女医さん電話で「病院行くように言って!え?行かないって?じゃあ死ぬって説明して。そこに居たらしにますよ、いいんですか?って本当に死ぬよそれでも行かないって言うなら往診するわ」と怒ってます相手は施設の看護師さん肺がんと心不全がある方が呼吸困難になり酸素吸入を始めているが今ひとつ改善しないので診察に来て欲しいという電話に対する応対です施設は「ホスピス」を謳っている神経難病やがんの患者さん向けのものですカルテをみると「ここ(施設)でやってほしい」と
★2019年.3月2018年9月の2ndTURBT5ヶ月後、BCG予防2回目終了後……膀胱鏡検査。「問題ナシ」(^^)BCGの薬も半分だし、副作用もあんまりなかったのが、逆に気になり…心配でしたが、ホッとしました。この調子で、再発なしで生きたいなぁ〜。余談ですが…がんサバイバーあるある¿肩こり…だったり、脇腹がチクチクしたり…胸に違和感があったり…筋肉痛だったり…今までなら気にしなかったような、些細な不調にとても敏感になります。「再発⁉︎」「転移⁉︎」と怯
①年前の今日2018.7.18膀胱ガン宣告されました…全く予想しない展開に…頭真っ白…かかりつけの内科の医師に「大丈夫、ただの膀胱炎です」泌尿器科の医師に「膀胱ガンなんてことは絶対ないです、大丈夫」……が¿まさかのガン…¿医師たちの言葉を信じ、安心してた矢先、心の準備もなければ何の知識もなく…まさかの宣告当然、付き添いもなく私1人で事実を告げられる…死ぬかもしれない❓怖かった、怖くて怖くてどうしていいのかわからない…あれから①年、私は元気です(^^)
昨年の12月に子宮体がんを宣告されました。自覚症状がイヤと言うほどあったので、覚悟はしていたものの、現実に医師の口から告げられると衝撃的です。まぁ、それよりも手術まで二ヶ月待たねばならないことにダメージを食らったのですが…今は痛みと戦いながら、2月半ばの手術を待っています。あまり効かない痛み止めを飲んでいるだけで、治療の一歩も踏み出せていないことに焦りはありますが、いろいろな思いをここに綴れたらと思います。よろしくお願いします
3匹の猫と暮らしていますその中の一人が3日前から尿の色が濃い自分の病院で疲れてたけど動物病院へ連れていきました血液検査の結果から、急性肝炎状態もあまり良くないので入院になりました先生の話しでは一週間治療して、回復のみこみがなければ残念ですけど手の施しようがないですと。自分が癌を宣告された日に愛猫が肝炎で入院何ていうタイミングでこんな事にイヤな予感がするぞー私の入院が決まって治療中に天国に行くってこともあるよね治るなら、治る、ダメなら、私の入院になる前に旅立ってくれっあなた
はじめまして。★2018年、46歳人一倍、健康に自信のある私が、ある日突然「膀胱がん」宣告。まだまだ経過観察中の現在進行形です。記録として残していきたいと思います。★
さて、今日もやっております。月曜日に受診するので、やっぱそれまで不安ですな。心拍見えるかな、とか、胎芽見えるかな、とか。あー、早く月曜日になれー。生きた心地がしない。ちなみに出血は、朝から今のところ止まってます。しかしまた膣座薬入れたときとかにどばっと来そうで怖いんだよな…。来るなよ、茶オリよ。あと、やたらとお腹が空きます。なんかもう空腹がすごい。大して動いちゃいないのに。体重増えるじゃないですか。いや、今のところ2キロ増ぐらいで留めてますが、こんな初期で2キロも増えてること自体が
結果から申し上げますと・・「悪性だったということで、乳がんでした。」といって胸の絵が書かれた紙に、この辺りにがんがあるよと書き示してくれます。左胸に4つほど点を描き・・「脇の下も検査させてもらって、こちらにも転移が見られました」と左脇にも丸を2つほど・・「ここは何個くらいあるのかはわからないけど最低でも2つ。もしかしたら3〜4個かもしれない」「CTを撮って、詳しくは専門の先生に見てもらわないといけないけど、初見では他の内臓への転移はなさそうです。」診断
(続きます)(どうせまた…えっ?)初発乳がん(グレードⅡb)が見つかって左乳房全摘とリンパ郭清手術。術後ドレーンがなかなか外せず15日間の入院生活となりました。退院した翌々日には職場に復帰。まずまず普通に動けたのですが、排液がまだまだ多くて。仕事中に服に染み出しはしないだろうかそれがしばらく気がかりでした。自宅でもおさえるタオルを何枚も変えて。その排液を抜いてもらうため病院にも度々通ったものであります。(痛かった~(;;))それから数日後。手術で摘出した悪い細胞の
ちょっと前の記事に書いたように、大腸の内視鏡検査を受けたらポリープが見つかり、それを取って病理検査に回したら「良性」という結果で安堵した…ということがありました。たぶん大丈夫だろうという根拠の無い自信はあったんですけど、やっぱり結果を聴くまでの間は、少し落ち着かなかったですね。どんな結果でも冷静に受け止めようという覚悟はしていましたが、心のすみっこにずっと小さな雲がかかっていたような感じでした。「心配ありません」というドクターの言葉を聴いて、やっとスッキリしました。それで、思い出した