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そして彼らは2人とも早稲田にすんなり入学(ウチの愚息は一般入試で玉砕)。めでたし、めでたしというところだが、驚いたのはその後だ。大学の成績が出るたびに高校から電話が来て大学でとった成績を訊かれるというのだ。まあ、彼らのことだし、高校からチェックが入ると聞いて覚悟していたので、ほとんどがA。たまにBという素晴らしい成績を揃えたらしい。ちなみにウチの子どもたちは4人ともほとんどがDやE(Fは不合格)。彼らは言っていた。推薦入学は大学に入学してからが辛い。高校のときは周りのみん
今考えると筋金入りの凡な脳ミソで勉強嫌いであるウチの子どもたちは早慶に行って(もちろん東大には落ちたが)正解だった。息子たち3人は(もちろん長女もだった)<見たくないから本当に見なかった>底辺中の底辺の成績を嬉々として毎年取り続けた。そして「試験で名前を書いたら単位をくれた」とか「宴会を盛り上げるからゼミに入ることができた」とか「卒業の書類を取りに三田に行こうと思ったら道に迷った(それほど大学に行かなかったということ)」とか<本当に聞きたくない>底辺中の底辺の武勇談を得意げに話す。
就職に関しても、東大、早慶ではなかなか違う。せっかく東大を卒業したのならそのまま大学に残るなり、研究を続けるなり、国の機関に就職するなり東大卒であることが何かのイニシアティブをとれる団体への就職が効率が良い気がする。例えば、東大卒でないと就職しづらいとか、東大閥が強いとか、東大しか出世できないとか。普通の商社なり、コンサルなり、広告なりを筆頭に一般企業に就職するとなると、東大卒というブランドは効力を持たずただのネタにしか過ぎない。これは勿体ない。普通に同じまな板に載せられてしまうなんて
と、前回「なんであの子が早稲田に?」(考えてみれば大変失礼な話)を書いた。一方、中学受験では麻布中を受験した偏差値70の滅法頭のいい子が大学受験で失敗したケースもある。彼は中学受験では特に国語が神童と言われたほどの成績で、日能研のその子の通っていた教室では憧れの存在だったらしい。受験当日体調を崩して麻布中は不合格、いわゆるすべり止めの中高一貫中・高(そうとうレベルの高い学校)に進学した。この一貫中・高が悪いわけではない。彼は勉強そっちのけでバンドを組んで5年間の学生生活を謳歌し
ウチが中学受験の嵐の中にいる時に、父方の一家が全員早稲田卒というママ友がいらっしゃった。そのお母様は早稲田卒ではないので、彼女にかかるプレッシャーったら。お子さんは男の子、2人。私がお知り合いになる前に既に長男のお子さんを早稲田中に見事合格させていらっしゃった。その長男さんは長男よろしく真面目で大人しく、きちんとしているので有名なお子さんだった。そして3年後、ウチと一緒に次男さんの中学受験。何が何でも早稲田というプレッシャーは大変だったと思うが、その次男さんはけっこうのんびり
というわけで週末に公認会計士の修了考査を控えて、次男と三男が吠えている。「もう勉強したくねえ」「あ~早く終わんねえかあ」「気が狂いそうだあ」従来、そんなに切羽詰まってもだいたいのんびりだらりんと受験をかわしてきた彼らだが、今回だけは様相が違う。「来年うかりゃあ、いいや」なんて絶対に言わない。この修了考査は受験者の約6~7割しか合格しないのだが、彼らには会社からの並々ならぬプレッシャーがかかっているのだ。まず、試験の3週間前から会社は休めて、ほぼ全員休む。休みに入る
というわけで、実は拙宅は今、次男と三男の公認会計士の修了考査(3次試験という言い方は無いようです)の直前。同時によりにもよって、私が人生初のインフルエンザでふうふう言っているまさに戦場なのである。さて修了考査とは・・・。公認会計士試験というのは、短答式試験と短答式の合格者のみが受験できる論文式試験という2段階の試験になっている。この両方に合格すると「試験合格者」として、世に放たれるわけであるが、これだけではまだ彼らは「公認会計士」は名乗れない。名刺に書くとすれば「試験合格者」とか「
さて、早慶に入るには中学受験か高校受験か大学受験か…どこからが一番入りやすいか、あるいは効率がいいかをこれから好き勝手に言っていきたいと思っているが、こと早慶に関しては女子は中学、高校受験は論外なくらい難しい。異常なくらいに門が狭く、そこに超優秀な女子たちがウワーッと押し寄せる。慶應女子高校の制服を着ている子を見つけるとそりゃあもう、すぐ近くまで行ってまじまじと見てしまうくらい希少だ。慶應中等部も女子は偏差値表を突き抜けるくらい難関(ここにはウチの愚娘のお友達が合格したが、彼女は贅沢な
拙宅の子どもたちが東大に行きたくない(行きたくても入れなかったが)という一番の理由が「勉強が大変」だ。彼らの周りにたくさんいる東大に進学した人たちの話を聞くと、授業やレポート、試験がそりゃあ難しく、結構キチンと対応しなくてはならないから、毎日それなりに大変らしい。もちろん、1を聴かなくても100も200も分かるような天才たちにとってはチョイチョイとできるのだろうが、拙宅のボンクラたちにとっては何日も必死に頑張ってボンクラなレポートを出したら、あらら、また次のレポートの期日が・・・で4年間
うーん。学歴は東大や医学部(最近はアメリカの大学)を頂点として、早慶、マーチ・・・とヒエラルキーが形成されているのは周知の事実。そんなことは全く気にしないと即座に言い切れる人は、多分達観しているすごく偉い人か気にしないで生きていける環境にいる人。私のように、社会にはびこるさまざまなヒエラルキーだとか、マウントだとか、権威主義のようなドロドロにもみくちゃにされて子供4人の子育てを30年間もしてきた凡人の前にはやはりヒエラルキーは光り輝いてそこにいる。毎日私は、「何の仕事をしているの
結果を言えば、そのお子さんは高校入試で早高院に合格し、そのまま早稲田大学に進学された。めでたいめでたい、大成功の話である。なんでも、地元の公立中学校に通った3年間は、勉強は全て早高院に合格するように特化したという。都立高校受験と異なり当然学校の内申は関係ないので、中学校の試験などは最低限の努力でクリア。むしろ割り切って学校には勉強以外のものを求めていたらしい。早高院対策を中1から早稲アカで徹底的にこなし無事合格を勝ち取ったのだからそりゃあもう成功例の最たるもの。お母さまはおっ
長男、次男の通学していた中・高一貫校(城北)では早慶に推薦で多数進学した。長男の仲の良い友達2人もこの推薦で早稲田の文化構想と商学部にめでたく進学した。彼らはまあ、優秀な成績、文武両道の堅実な生活、優れた人間性・・・と非の打ち所がない人たちで、成績も一般で受験しても当然合格するだろうというレベルだった。彼らは中学でも上位から2割にはいつも入っているほど安定した成績だったので、高校に内部進学するころから早稲田の推薦を意識し始めたという。高校に入り、具体的に推薦を取るために取り続けなけれ
一家全員早稲田という家に嫁ぎ、何が何でも早稲田に入れなきゃというプレッシャーのかかった彼女の直前の対策はすさまじかった。日能研は11月ごろから全部休み、早稲アカの特訓コースへ。同時に早稲田対策専門の「とんでもなく高いのよ」という家庭教師を毎日つけ、ものすごい追い込みにかかっていた。そして受験後の2月6日。桐朋、筑附ともに落ち、そして繰り上がったという超アクロバット(この話は三男の中学受験をご覧ください)の直後で、全身の骨という骨が溶けてヘロヘロ歩いていた私は彼女にバッタリ会った。
というわけで、週末の公認会計士の修了考査に向けて着々と「圧」のかかりまくっている次男と三男。けっこうジタバタしているのが三男。・昨夜は長髪をシルバーに染め上げていた三男が黒髪に戻してきた。紫に染めるなんて言い出さなくて本当に良かった(詳しいことは三男の大学受験をご覧ください)。・試験の開始時間に慣れるため今朝はいつもより1時間も早く7時に起床した(その後1時間お風呂に入ってはいたが)。・ストレスで体中アトピーが駆け巡って痒いらしい(残念ながら見ても分からない)。騒ぎの割に淡々
ということで、拙宅にはもう受験はないと思っていたのに、まだ許されていなかった。思えば長男の中学受験を皮切りに、受験の無かったのは2009年だけ。それがやっと解放されたのが2021年で、これ以上ウチには試験のありようがないと思っていたのに・・・。<凄まじい拙宅の受験年表>(なんたって、全員浪人というのが笑える)さて、長女は某企業の課長職として仕事内容にも仲間にも恵まれて何の不満もない生活を送っていた。もちろん何かを受験しようかなんて思ったこともない。それが結婚を機に色々考
さて、早慶の選択はどうだろうか。拙宅の息子たちは長男、次男が慶應(商学部)、三男が早稲田(政経学部)を卒業したが(この血と汗と涙の入試についてはその回をご覧ください)、やはり早と慶では就職後の様子がかなり異なる。まず、慶應卒の息子たちは入社早々慶應卒の先輩が顔を出し、歓迎会をしてくれたらしい。その後も何かしら集まりが続き、交流を楽しんでいる。公認会計士三田会もとても盛んである。一方、三男は早稲田卒ということからの働きかけはゼロ(三男だけかもしれませんが)。その後の何かの機
そのお嬢さんは都立の公立中学に入学早々、狙いを早大本庄高校に定めた。早大本庄は共学化してまだ3年目だったので、狙い目ではあった。そして英・数・国以外の教科をすべて捨て、この3科目に集中した。塾はもちろん早稲アカ。それでも言っちゃ悪いが小学校の時のイメージが強かったので、どんなに頑張っても早大本庄は無理だろうと思っていた。それが何と合格。驚いたの何のって近所のママさんたちがどよめいた(大げさ)。共学化して間もなかったので現在よりもかなり難易度は低かったとは思う。なんたっ
インフルエンザです。それもこんなに何十年も生きてきて初めての…。拙宅は非常に野蛮に生活してきたのでもちろん予防注射などしないのだが、ほとんどインフルエンザにはかからなかった。誰ががかかる時は他の兄弟が大事な入試の直前にかぎっていた。それが過去2回(詳しくは受験の記事をご覧ください)。まあ、現在ウチには受験する当事者の次男と三男しか同居していないので、そういう非常事態には陥らないと油断していた。しまった、穴があった。わたしがかかってしまったのだ。というわけで完全隔離の生活をし
因みに私立の進学系中・高は至れり尽くせりで大学受験を支援してくれる。ウチのポンコツたちも長男、次男は城北で理想的な受験勉強を提供して頂いた。いわゆる先取り授業をしてくれて正規の内容は高2の段階ですべて終え、高3の1年間をかけてじっくりと受験対策を施していただいた。毎朝の英単語テスト、夏休み・冬休みなどは予備校顔負けの多種の講習群・・・城北に通っているだけでどこにでも合格しそうなバックアップ体制だった。それでもウチの子どもたちが現役全滅で浪人したのは、ひとえに彼らが全く勉強しなかっ
さて、途中でぶった切れてた「早慶に入る」話に戻ろう。高校受験で早慶に入るといえばもう1人アクロバットの子がいる。そのお子さん(女子)のケースはもっとすごかった。ご両親は教育熱心ではないご家庭だが本人のやる気がけっこうあって、小5になった時に「日能研に入り、中学受験をしたい」と思ったらしい。しかし、日能研の入塾試験で不合格、栄光に通い始めた。勉強の程度は小学校のクラス40人弱の中でほぼ中くらい。ちょっとのんびりしていて勉強ができるという印象は全くなく、すごい勢いで追い込みをかけて勉
私たち一家が最初に住んでいたのは高田馬場。教育熱心な家庭ばかりが住む住宅地にあった公立の小学校では、クラスの8割が小4から中学受験の塾に通い始め、御三家を始めとする名門校に続々と進学していった。中学受験をしなかった子はみなその理由がわかるくらいにはっきりしていた。その後に引っ越した郊外(?赤羽)はそれほど教育熱心な地域ではなく、いわゆる下町の風情。サピックスや日能研などに小4から通ってわかりやすく中学受験しますと宣言している子たちは約2割だった(ウチはこのグループ)。それが小6にな
普通に考えるとそりゃあ東大がいいに決まっている。全部合格すれば喜んで東大に進学するだろう。私も我が子をどれだけ東大に入れたかったことか。拙宅の一番の問題は私が子どもたちを東大に入れたいと切に願っても、彼ら自身は「東大に行きたくなかった」ことだ。行きたくないから勉強しない。だいたい必死で頑張って手が届くかどうかという学力なのに、行きたくないという段階で全く合格する可能性がなかった。なぜ東大に行きたくなかったのか。それは大きく2つあるらしい。「楽しくなさそう」(すみません)と
それでもよく分かることがある。東大を頂点とした学歴ヒエラルキーは上であればあるほど人生が楽になるのである。特に東大、医学部、早慶。なんと広大な明るい未来が広がっていることか。これは残念ながら私の個人的な意見ではない。4人の子どもたちの周りをずっと見てきて心底感じていることだ。ただ、例外があるのは言うに及ばず。ずいぶん前に述べたとおり、東大や早慶を卒業していても社会で上手くいかない人たちはたくさんいる。総じて「コミュ力が俄然不足している人たち」だ。どうも彼ら彼女らは、今ま
というわけで、次男と三男の公認会計士修了考査はまあ、何とか終了した。今回は私の人生初のインフルエンザ罹患という珍事もあいまって、健康管理に相当気を使ったが、無事に試験の2日間とも健康で受験に送り出せてよかった。受験の結果は4月に発表だが、「専門学校の予想がことごとく外れた」とか「引っ掛け問題にちゃんと引っかかった」、「ITのっ問題で頭がパンクしそうになったから途中で出てきた」・・・聞いているとこっちの頭がパンクしそうになったから途中で部屋に引き上げた。ということで、これほど試験
私の北関東に住む友人は一人娘さんをアメリカの大学に留学させた。つまり、こういうことだ。どうせ北関東の自宅からは東京の大学には通学できないから下宿になる。地元の高校で済むそれまでとは違って、東京の大学はお金がかかるのだ。女の子だから安アパートというわけにもいかず、セキュリティのなるべくしっかりした部屋に住ませたい。本人もバイトをするだろうが、東京は物価も高く、友だちと飲み会や合宿にも行きたいだろう…と東京の大学に下宿した場合の仕送りの金額を計算したら、アメリカの田舎に留学させる場合(