ブログ記事3,120件
式神対決で安倍晴明に敗れ、播磨へ追放された芦屋道満。峰相記によれば藤原顕光より呪詛を依頼された道満は安倍晴明にこれを見破られたため播磨に流され、道満の子孫が瀬戸内海寄りの英賀・三宅に移り住み陰陽師の業を継いだと記されている。(芦屋道満の伝説より)播磨鏡では式神対決で安倍晴明に敗れて、播磨へ追放された道満は佐用に住んでいたが、その後子孫が姫路市飾磨区三宅に住み薬屋をしていたらしく、初代の道満にちなんで名前に「道」を一字をつけた子孫はずっと後まで栄えたと伝えている。薬の販
東京メトロ東西線の早稲田駅の南側に「喜久井町」が広がっている。永青文庫から1㌔ほどの距離である。その名のもとは、夏目漱石の父親が夏目家の家紋であった「井桁に菊の紋」から名付けたものとされる。「菊井」を「喜久井」として町名にした。すぐ近くに夏目漱石の「漱石山房記念館」もある。夏目家では、あの高天神城主で三方ヶ原の戦いで主君・徳川家康を助け身代わりとなって戦死した夏目次郎左衛門吉信の御子孫と信じて疑わなかったようだ。これを否定する向きもあるが、それはさておき漱石は随筆『硝子戸の中』で、喜久井