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今日は、こちらのニュースからネタを引っ張ります。奈良時代の斎王宮殿、初確認井上内親王の正殿か三重・明和(外部リンク)https://yomotto.jp/2023/10/13/1436056/斎王というのは、皇室の祖神であるアマテラスを祀る伊勢神宮に仕える未婚の皇女さまのこと。飛鳥時代の40代・天武天皇の時代に整備されて、建武親政時代に消滅するまで(何度かの危機に晒されながらも)続いた制度でした。斎宮跡は1989(平成元)年から発掘が始まり、平安時代の方格街区や内院
こんにちは🍀タイトルのままでございます本気の本気で毎週『光る君へ』を見ておりますこれはあくまでもドラマですので藤原道長と紫式部が実際にあんなふうだったとは思ってはおりませぬがそれでも脚本はいとおもしろく実在の人物の中にオリジナルキャラをお見事に使っていらっしゃる中世近世に比べて資料の少ない時代だからこそ妄想満載にできるのが大変楽しいのです感情を揺すられたりドキドキするドラマは眠れなくなりがちなので普段はあまり見ないのですが平安時代で紫式部などと言わ
平安時代を漁ろうとする時の最大の悩み。それは「藤原氏」なのではなかろうか。来年の大河ドラマ『光る君へ』の主役・紫式部は、父が藤原為時であることからも分かるように、藤原氏の出自(勧修寺流)夫となった藤原宣孝も、藤原氏(勧修寺流)。紫式部が仕える彰子と父の道長も藤原氏。「四納言」と呼ばれる道長の腹心四天王のうち3人は藤原氏。(藤原公任・藤原斉信・源俊賢・藤原行成)どこからどこまでも藤原氏(^^;2012年大河ドラマ『平清盛』が「平氏と源氏と藤原氏ばっかりで
土浦市の東城寺からせっかくなので清滝寺へ向かいます近いのよ着いたよ安産不動尊により山からの水かな清めて見て上ります登場したぁ~楼門カッコよ迫力だぁ良いですね今回は向上庵東城寺清滝寺です日枝神社は行かなかったの
四国霊場第23番薬王寺から西へ15km程沿岸漁業の基地として栄えてきた牟岐町で漁船のひびきが境内をつつむお海岸沿いの寺に来ました寺院名;摩尼山満徳寺宗派;高野山真言宗御本尊;虚空蔵菩薩所在地;徳島県海部郡牟岐町大字牟岐浦字浜崎1TEL;0884-72-0320新四国曼荼羅霊場第85番札所でもある満徳寺は奈良時代に創建され行基菩薩が開山されたそうです山門手水舎本堂斜め右からの本堂大師堂修業大師像六
先日、本棚を整理すると宇野静山先生が50年以上前に臨書された光明皇后の「楽毅論」が出てきました。宇野先生は、私の師である金子鷗亭先生と同じ明治39年、北海道生まれです。久しぶりに先生が書かれた臨書を見て生き生きとした線が色あせることなく感動しました!奈良時代、王羲之の「楽毅論」を聖武天皇の皇后「光明皇后」が臨書したもの↓1)宇野先生の臨書3)私の臨書折れを力強く躍動的に表現しました。
mixiをやっていた頃からの悩みの種だったのですが、6月は奈良の寺社での行事や特別公開が少ないのです。「6月で行事か特別公開は何か無いかな」と検索してみてみたところ、目にとまったのが『秋篠寺の秘仏・大元帥明王像の特別公開』でした。奈良寺社ガイド@Nara_jisya【秘仏公開秋篠寺】苔で有名な奈良市の#秋篠寺では、毎年6月6日に秘仏・大元帥明王像(重文)が特別公開されます。6本の腕を持つ2mを超える像で、髪を逆立てだ忿怒の表情に、筋骨隆々の体躯、蛇を体に巻きつけた姿は迫力が
このブログで過去に数回取り上げている、NHK紀行・バラエティ番組『ブラタモリ』、3月2日の放送で『奈良・正倉院〜なぜ1,300年もお宝を守れた?〜』が放送されたので、このブログで紹介をします。この回のテーマ「なぜ1,300年もお宝を守れた?」からもわかる通り、この回のブラタモリは正倉院を紹介する内容。奈良ファンとしては必見と期待をし、TVの前で正座する感じで鑑賞させてもらいました。番組のスタートは正倉院正倉の前から、タモさんは「午前8時半、この時間には誰もいない」という掴みで
日本のログハウス業界では、正倉院が日本最古のログハウスであるというのが、定説になっている。しかし、2月にテレビに出るにあたって、制作会社から「どうも日本最古ではなさそうだ」という連絡があり、調査をしてみた。まずは、正倉院の概要から書いていこう。高床式校倉構法で造られた正倉院は、東北に長く建っている。間口33m14㎝、奥行き9m39㎝、高さ13m72㎝という巨大な建物である。床下は自然石の上に立つ高さ約2.5mの40本の束柱が建物を支えている。束柱も太さ約64㎝という巨大な材
昔の衣装に心惹かれます。奈良時代は、隋、唐の文化を輸入し、宮中では隋、唐の衣装をそのまま着用していた時代。明治の鹿鳴館時代とほぼ同じ感じだったのでしょうか?今、文化学園服飾博物館(東京)で「再現女性の服装1500年京都の染色技術の粋」展が開催中とのこと。(9月28日まで)以前展示品の一部を京都で見たことがありますが、今回の展示も面白そうです。気まぐれ着物日記かおりんさんのブログを読んでとても行きたいのです。でも、緊急事態宣言が9月末まで延長され
◼️浴衣(着物)の右前、左前とは?浴衣を着た時に、あれ?どっちだっけ?と一瞬悩んだりそれ「左前だよ!」と指摘され、恥ずかしい思いをしたことはないでしょうか?特に、温泉旅館で若い女性や外国人の方々が「左前」で浴衣を着ている場面にお見かけする時があります。というのも女性の場合、普段着ている洋服と同じ感覚で浴衣を着ると自然と「左前」になってしまうからです。浴衣に限らず「和服」はすべて「右前」。男女関係なく「右前」です。◼️自分から見て自分の体に密着しているのが「右前」着
笠置山笠置寺の洞窟実忠は、笠置山で修行していたとき、竜穴をみつけた。天平勝宝3(751)年10月のことである。洞窟に入って北へ一里ばかり行くと、にわかに光輝く世界に入った。そこは兜率天の内院になっていた。その世界には四十九院が備わっており、巡礼してゆくうちに紫金の光が旋回する摩尼宝殿の前に出た。さらに常念観音院という所に出ると、聖衆が集まって、しきりに十一面観音悔過の行法を修していた。行法が進むと、生身の観世音菩薩が現れた。実忠は驚き、ぜひこの素晴らしい行法を下界にもちかえりたい、と
(旧)睦月十八日光浴びて水面跳ねゆく影を見て東院庭園二月の終わり雲端平城宮跡の東の張り出し部分にある東院庭園へ。聖武天皇の娘、称徳天皇時代の庭園を2010年に開催された平城京1300年祭を機に復元したもの。
こんにちは、みなさんお元気ですか?さて、昨日は当ブログで、国指定史跡新治郡衙跡をご紹介しました。「新治(にいはり・にいばり)」というのは、奈良時代から存在する地名で、現在の茨城県筑西市は当時、常陸国新治郡(にいはりぐん・にいはりのこおり)に属していました。現在でも市内には「新治」という地名が残っていて、JR水戸線には新治駅があります。さて、奈良時代に編纂された現存する日本最古の歴史書「古事記」や、同じく奈良時代の「日本書紀」に、この「新治」という地名が登場するのをご存知でしょうか。ヤマト
世界遺産唐招提寺へ759年唐の高僧鑑真大和上により創建されました天平様式の南門南門正から金堂講堂天平時代・平常宮の面影をとどめる建築物内部には多くの仏像が安置されています鼓楼鎌倉時代(1240年)楼作り・入
先日の尾道訪問は「仏画曼荼羅アート」の打ち合わせを兼ね浄土寺に伺った。ご存じの方も多いと思うが、尾道浄土寺は尾道三山の一つとして飛鳥時代に聖徳太子が開創したと伝えられている、中国地方屈指の古刹である。瀬戸内海の交通や商業として発展した尾道の歴史文化に必ずと言っていいほど登場する寺院である。およそ七百年の時代を重ね、いまも尾道の発展を見守り続けている。朱の山門をくぐると正面が本堂、その右手に阿弥陀堂と多宝塔が建つ。これらは中世仏教建築の代表的な建築物として現存している。それに対し、境内西側に
おはようございます。仏画Dayです。興福寺・阿修羅像を描く天平の造形美として最も美しい仏像❣画像はお借りしています八部衆(はちぶしゅう)古代インドの異形の神々。獣神や戦闘神、悪魔だったものが、釈迦に教化されて仏教の守護神となりました。半鳥歯半人や角や三つ目を持ちながらもあどけない表情の少年たち。幼いながらも憂いと、ひたむきさを込めた澄んだ眼差しに、仏に帰依し、仏教を守護しようとする気高い志を感じます。こ