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なぜかコロナの時期は、この人生の役割を知りたいという方がヒプノセラピーやカードリーディングのご相談に相次いで来られたことを記憶しています。今もたまに今生の役目をハイヤーセルフに尋ねられる方がいらっしゃいます。最近の事例で気づいたことですが、人生はもっと自由に楽しんでもいいのではないかと考えました。前世の影響を引きずる必要もなければ、現在の人間関係の悩みでもなく、本当にやりたいことを求める生き方があってもよいのではないかと思います。もちろん、自由に生きるために、まず親の影響か
大野城下町を散策すると義景という名前があちこちで見られました。案内版に従って歩くと義景のお墓がありました。これから向かおうとする一乗谷の城主、朝倉義景の墓所でした。亡くなったのはてっきり一乗谷の決戦で亡くなったと思っていましたがこの大野市のお寺で自害されたようです。義景の”義”は室町幕府の将軍足利義輝の「義」の一字を賜ったものと説明9されていました。室町時代の終焉の時代に翻弄された人たちの生き様を感じてしまいました。身内の裏切りで亡くなった姿もその一つですし、その後の墓所の建立なども家臣だった
警察によりますと9月23日午後6時55分頃、大野方面に走っていた軽乗用車と福井方面に走っていたバイクが正面衝突しました。この事故で、バイクに乗っていた大野市塚原の21歳男性会社員が頭を強く打ち意識不明の状態で病院に搬送されましたが、約9時間後に死亡しました。軽乗用車を運転していた21歳の女性会社員にけがはありませんでした。現場は大野方面に向かって緩やかな下り坂の左カーブで、警察が事故の原因を詳しく調べています。21日から30日は「秋の全国交通安全運動」が展開されていて、福
九頭竜ダムを過ぎてしばらく進むとこのお城が小高い山の上に見えてきました。続日本百名城にも指定されているお城です。山城ですがお城までは歩いて登城しないと行けなかったのでかなりの階段を上がっていきました。お城は1575年織田信長の家臣金森長近が築いたお城で江戸時代に大野藩として土井利房氏が藩主となり幕末まで土井氏が藩主として続いてきたとのことです。天守閣からの眺めも素晴らしく見事なお城でした。現在のお城は昭和時代(1968年)にコンクリートで再建されたものでした。今回は西口からの階段コースで登城
越前一向一揆攻めでこの大野郡の地域で功績があった金森長近氏に織田信長がこの地域の3分の2を与えられたのがこのお城の始まりのようです。明治4年に廃城となりその後復活再建されたのが1968年(昭和43年)大野藩士の子孫萩原貞氏の寄付により現在の大野城が復活したとのことです。そんなお城の天守に上がって大野市の景色を楽しんできました。