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2019年2月6日(水)。今日大腸癌の診断を受けた夫、実は前兆とも言える症状がありまして。それは、①何度も何度もトイレにいきたくなる②今までコントロールできていたはずの体調がコントロールできなくなる(毎日だいたいこの時間にトイレと決まっていたのが、不規則になり、急にお腹が痛くなったりする)③食べたらすぐ便意が来るので食べられない④体重が急に減る(5週間の海外出張後、日本へ戻ったとき、会社の人はそのやせ方に驚いてたんだそう。私はそんなに気づかなかったてへ。)⑤体温が下がる実は
2022年6月頃。血便が出る。血は💩に少しまとわりついている感じ。痛みも無い。が、母が大腸癌で手術した直後だったので、念の為消化器内科医院へ受診。大腸内視鏡検査の予約が取れず、8月に検査予約。血は治まらず、増えもせずといったところ。2022年8月検査日に下剤を飲むが、💩全く出ない…便秘症ではあるが、そんなことあるか?!?ついに気持ち悪くなる…医院へ行くと、医者も驚いてた今までそんな人いないと…内視鏡検査の予約を再度とり、それまでは便秘治療することに。(血便は相変わらず。)
2022年6月頃病状がでてくる2022年12月潰瘍性大腸炎と診断、内科的治療開始2023年8月病状悪化、緊急入院→内科的治療が全て効かず重症化の為、大腸全摘出(3期分割手術)→手術後、入院中腸閉塞2回→9月退院2024年1月2期目手術直前に腸閉塞入院→手術延期現在、2期目手術を控え、自宅療養中。肛門吻合(IAA)の予定。発病後一度も寛解せず、急激に重症化。現在までの事や、術後の容態を記していきます。カバー写真は、重症化直前のご飯。コロッケ、アジフライ、ハン
私は腸閉塞を克服するため、病棟内を毎日グルグルと1万歩ほど歩いた。鍛えるためできるだけ早く歩いた。他の入院患者さんに、「あんたどこが悪いのん?」と不思議がられた。その内、"スピードの〇〇さん"という異名が付いた。しかしその努力もむなしく何度も腸閉塞を繰り返した。「ストマがあることにより、つまりやすくなって腸閉塞を起こしている可能性がある」と先生は言った。食事がとれないので毎日点滴をたくさん打つ。だから血管にも限界がきていた。針を刺せる場所がなくな
2019年2月9日(土)。病院が決まり、あとは、大腸全摘すればもう大丈夫!問題は、摘出後の合併症だよな。と、ひとり、そればかり考えていたけれど、実は私は、大腸がんの今の状態を知らない。。転移もなく、切れば、完全に治る!!と思い込んでいたけれども、大腸がんのステージ、聞いてないんだよな…。夫も知らない。3日前、CTを取ったらしく、次の水曜に結果を聞きに行くことになっている。もし、深い場所での癌だったら?もし、転移していたら?もし、ステージ4で5年生存率が20%だったら?なんで
正月休みが明けて私は予定通り働き始めた。内視鏡検査は1月10日に予約してあった。なので検査結果が出るまでは誰にも言えないしとりあえず出勤するしかなかった。職場は大きすぎず小さすぎず、ほどほどの距離感で人もいい感じだった。ああ、働きやすそうな感じの会社なのに。アトピーがマシになってやっと働き始めたのにそんな残念な思いがあった。でもそのおかげで働けるって幸せなんだと少し思った。そして内視鏡の検査の結果。やはり大腸癌だった。最悪の結果を覚悟をしていたせいか、癌がわかっ
下痢入院から退院後はできるだけ散歩をし、食事はとにかく消化のいいものを少しずつ食べるようにした基本的に小麦はやめ、お米もお粥にしたり、野菜はミキサーでポタージュにするか、くたくたに煮て味噌汁にしたり、バナナなどはレモン汁と一緒に煮て柔らかくして食べたその頃10回ほどあった排便も5~6回ほどに治まっていたお腹は上部が時々張ったとにかくお腹に溜まるガスが多い何を食べたら下痢が強くなりガスが増えるのか、記録ノートを読み返してもいまいちわからなかった(記録の意味無いな…)じゃがいもはガスも下
大腸がなくなると、最初下痢が一日に何十回もでるという噂を聞いていた私はいつでもトイレに行けるように、また他の患者さんの迷惑にならないように、お尻のチューブが外れるタイミングで個室に移ることを決めていたMyトイレゲットである柔らかめのトイレットペーパーも用意した寝てる間に漏れることなども想定して、ほぼおむつみたいなパッドも用意して準備万端個室は静かで快適だったトイレは落ち着いてできたし、テレビも室料に含まれてるので見放題だ街中の病院なので景色はビルばかりだったけど、ちょうど夫の職場の
2019年2月6日(水)。夫が大腸癌と診断されました。潰瘍性大腸炎からの大腸癌。このあと電話がかかってきて、動揺してるかと思ったけど案外普通。私も癌と聞いて、えっ?とは思ったけど、案外普通。そして、このあと、ふたりでランチへ行きました。ふたりとも、もちろん完食。3月の旅行、行けるかな?卒業式出れるかな?卒業式出れても入学式出れないんじゃない?まじかー。癌だけど、なんでしょう。実感ないから?どうせとっとゃうから?余命とかそういう話は一切ないから?いつもと何ら変わらない
運命の2023年8月。大病院での診察は、1週間の出張が終った翌日。この1週間で特に異変を感じた。その前から、体重が減り始める。それをカバーするために高カロリーのものを積極的に食べていた。つまり、高脂質の揚物など。(元々揚げ物は大好物♥)それに伴い便秘気味だったのに、出張中は下痢気味になる。出血量が増えた。そして心做しか腹痛を感じる。更に処方薬のリアルダが1週間分足りなかったので服薬できず。↑これも急激に悪化した原因かもしれない。病院変わるし、薬も変わるから1週間位なら大丈夫か
内視鏡医院から紹介してもらった大きな病院で改めて検査をして診察を受けた。私の癌は上行結腸という位置にあり、大腸の比較的上の方?だった。なので、肛門は無事だから人工肛門などは作らなくて済むと思っていた。しかし、、、「大腸全摘した方がいいですね。」と先生。夫も私も「え…?」と驚いた。潰瘍性大腸炎の場合、癌の部位だけ切除しても大腸の他の部位にまた癌が出来る確率が高く、さらにこの手術がきっかけになって広がる可能性がある、と。そう、私は17歳の時に潰瘍性大腸炎を発症している。潰瘍性大腸炎と
手術は予定では5時間くらいと聞いていたけど、合計7時間かかった。当時コロナで病院待機できなかった夫は、手術終了の連絡がなかなかこなくて不安だったらしい。手術後一晩は個室に泊まる。とにかく腹部全体が痛く、全身がだるくて体を動かせなかった。夜間、数時間おきに看護師さんが手際よく体制を変えに来てくれる。しんどいながらも感心した記憶があり、今でもそのてきぱきとした看護師さんの名前や声はしっかり覚えている。朝から麻酔で7時間も寝ていたせいか、その日の晩は一睡もできず、一晩が恐ろしく
それは去年の年末、お正月の支度をしていた頃に健康診断結果の通知が届いた。便と腫瘍マーカー値に異常が出てた体には何の症状もなかったけど、すぐに大腸癌を疑った。それは私が潰瘍性大腸炎という難病をかかえていたから。そのことを夫に報告するとそこまで深刻には受け止めてないようだった。私も内心すごく不安だったけど何事もないように正月までの数日を過ごした。それに私は2年ほど専業主婦だったけど、正月明けから久しぶりに期間限定で働くことが決まっていた。とにかく内視鏡検査を受けてその結果を見ないこと
元旦のこと。いつもどおりのお正月。朝から初詣に行き、帰ったらお節に雑煮お酒を少々。あれから数日何事もないように振舞ってはいたものの頭の片隅にはいつも健康診断結果のことが気になっていた。そんな中、日本酒でごきげんになった夫、「今年の抱負は何ですか?」と無邪気な笑顔で聞いてきた。いつもどおりに振舞っていても、夫も内心は心配してるんじゃないかなと思っていたが、心配どころか私の診断結果の事なんてすっかり忘れていた。逆の立場だったらどうだろう?夫に大腸癌の疑いがあったら?詳しい検査を受けるまで
度重なる腸閉塞のせいで治療が前へ進まないので、ストマ(人工肛門)を造ってから1ヶ月半しか経ってなかったけど、ストマを閉じる手術をする事になった。手術を終え麻酔が覚める頃、また大声で名前を呼ばれ、「ゆっくり呼吸してください」前回より息苦しく感じた。お腹全体が痛かった。そしてなぜか全身の震えが止まらなかった。「寒いですか?」と布団をかける看護師さん。私はガクガク震えながら、かすれかすれの声で「痛い‥」と言った。そして強い痛み止めを打ってもらい、しばらくすると痛みが楽
朝になり、主治医が来てくれた。レントゲンの結果、やはりイレウスだった。癒着箇所があるらしい。原因としては、「食べ過ぎ」食べ過ぎて、癒着箇所に詰まったらしい。買い食いしてた事を注意された…(やっぱりね…)点滴と絶飲食生活に戻った。また更に痩せてしまう…アルブミンの数値も低くて、脚が浮腫んでる。数日前には浮腫みが酷く尿量も少なかったので、利尿剤を使用した。30分で2回程トイレに駆け込み、800ml以上排出した。体重測ったら1キロ減っていた!利尿剤すごい!だけど、浮腫は完全
退院してからは食事の記録をノートに付けだしたそこには毎日の食事の内容、飲んだ薬やサプリ、体温、体重、歩いた歩数、便の回数や簡単に体の状態を書くようにしたそれとは別に、スマホのメモにはトイレに行くたびに便の状態を記録するようにしている手術前の体重から退院時は6kgも減っていた家に帰ってからトイレ回数は減らせたものの、下痢は続き体重は増やせず、そんな中いよいよ抗がん剤が始まった1回目は再入院して投与された顔なじみの看護師さんと楽しくお話をしながら過ごさせて頂き、2晩入院の予定だったけど特
手術翌日の晩、急にお腹が張ってきた。夜中気分が悪くて眠れなくなった。吐いたので看護師さんを呼んで吐き気止めをもらって飲んでも、一向に治らず、再度呼んだけど「これ以上何もできない」と言われ、そのまま一晩中放置された。更にここからが地獄の始まりだった…朝になりレントゲンを撮った後、急に先生が来て、「ごめんね苦しかったね~。腸閉塞を起こしてるからチューブ入れるね」と言われた時、やっと楽にしてくれる…!と喜んだのも束の間、ぐいぐい鼻から太いチューブが入ってきた。チューブが深く入
正月休みが明けて私は予定通り働き始めた。内視鏡検査は1月10日に予約してあった。なので検査結果が出るまでは誰にも言えないしとりあえず出勤するしかなかった。職場は大きすぎず小さすぎず、ほどほどの距離感で人もいい感じだった。ここ数年もともとあったアトピーが酷くなって、ステロイドを断つため専門の病院に入院したり、人に会えなかったし働けなかった。ああ、働きやすそうな感じの会社なのに。アトピーがマシになってやっと働き始めたのに。そんな残念な思いがあった(働けるって幸せなんですね)そして内視