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[宮古島/来間島]山砲陣地竣工:昭和19年頃備砲:94式山砲(75ミリ)←終戦時には未設置?標高:約20メートル守備:山砲兵第28連隊構造:琉球石灰岩を掘り込み、砲口のみコンクリート補強終戦時の宮古島陣地構築図出典:アジア歴史センター(C11110237900)戦史資料山砲第28連隊(宮古島)*(山砲陣地から真っ直ぐ海岸に出たところの景色)来間ガーの入口に「山砲陣地」の案内版がたつ。出典:宮古島市neo(新)歴史文化ロード綾道戦争遺跡編宮古島
[澎湖島要塞]外按社砲台/外垵餌砲台湾、澎湖県西嶼郷外垵村外按社砲台起工:大正10年8月12日竣工:大正11年3月31日←公式記録備砲:砲塔35センチ加農砲×2(1基2門)←未設置除籍:華府会議(ワシントン海軍軍縮条約)の批准により工事中止明治45年の要塞整理計画では、澎湖島要塞の外按社と猪母水にそれぞれ大口径砲「30センチ榴弾砲」を擁す砲台を設置することが勧告されていたが築城は延期された。参謀本部は大正10年公布の「要塞再編要綱」では計画されていた兵器を砲塔35セン
[宮古島/来間島]東御嶽の陣地と遠見台沖縄県宮古島市下地来間477来間集落の東に来間集落発祥の地とされる東御嶽(アガイヌウタキ)がある。観光的には『松の木展望台』や『パシャ(端)の石段』と言った方がわかりやすいかも。この東御嶽(アガイヌウタキ)の一帯に、集落の防禦のための少人数の防禦陣地があった。密林となっているため詳細はわからないが、確認出来るのは東御嶽の鳥居の横、琉球石灰岩を掘り込んだタコ壺(竪穴)である。1m×0.7mくらいのタコ壺(竪穴)堆積物があるため浅く
巨大機コンペは、プロモデラーの大ちゃんさんの提供によりお送りしています。ロシア軍の早期侵略地全面撤退、ウクライナ戦争の早期終結を祈念するコンペです。ImperialJapaneseArmy,MitsubishiKi-67Type4Heavybomber"HIRYU"帝國陸軍三菱キ-67甲型四式重爆撃機「飛龍」1/73マイクロエース1966年旧LS社製金型太平洋戦争中に我帝國陸軍が1944年8月最後に量産化した高性能爆撃機。●第1セクション(機
大日本帝国陸軍義烈空挺隊搭乗機別隊員名簿断片的な情報を元に制作した第3独立飛行隊を含む義烈空挺隊隊員の名簿です。辞世の句はサイパン島攻撃計画時のものと混同している可能性があります。●1番機搭乗員(機体番号:4484)作戦結果:地上墜落又は海上墜落川守田啓司少尉正操縦士陸士57期。青森県出身。遺書「任」諏訪部忠一大尉副操縦士第3独立飛行隊隊長。陸士54期。神奈川県出身。26歳没。小林真吾少尉航法士陸士57期。1924年生まれ。新潟県出身。「今敦盛」の愛