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2024年4月17日。旧北幾世橋村内の祠について、引き続き、見てみたいと思います。『奥相志』(東京大学史料編纂所蔵写本4141.26-20。原本は相馬市指定文化財)を翻刻して確認してみます。----------------------------------------三宮在渋井、宮方一間、社田一石四斗〈二斗四升一合〉〈南泉田、明暦四年・貞享四年二、有勝胤公・昌胤公印證〉、𦾔社〈一宮在小丸邑、二宮在新田邑花光院近傍、三宮則當祠也〉所祭豊斟渟尊〈神影木体、長五寸、形似大黒〉、
2024年4月18日。旧北幾世橋村内の祠について、引き続き、見てみたいと思います。『奥相志』(東京大学史料編纂所蔵写本4141.26-20。原本は相馬市指定文化財)を翻刻して確認してみます。----------------------------------------八幡宮在右同所、宮方一間、當社亦為泉田氏之鎮守、上棟文曰奉再興八幡宮大檀那小林甚左衛門信則・其子内匠助清則慶長廿年乙卯應鐘吉日〈泉田氏去泉田邑、後小林氏居當邑、以当社為鎮守乎〉、奉再興八幡宮大檀那勝胤公明暦元
2023年4月4日『大字誌浪江町権現堂』前近代編執筆中の西村慎太郎です。最後の節、「第三章近世の権現堂戊辰戦争における浪江宿」を書いています。今日の文字数は708文字。総文字数64730文字-----------------------------------------------------七月二十九日の戦いで、相馬藩は新政府軍の大砲二門・大砲の玉一箱・ミニエー銃一七・本込銃一・ハトロン八荷・刀五腰・脇差四脇・胴乱三個・両掛三荷・ブランケット一枚・龕燈二・義経袋一・蝋燭二
2021年8月20日。浪江町大字権現堂について勉強中の西村慎太郎です😊前回から権現堂城跡の西台墓地入口にある戊辰戦争戦後50年の石碑に揮毫した元衆議院議員の愛澤寧堅について検証しています。愛澤寧堅は明治15年の福島事件で河野広中とともに逮捕され、翌16年に軽禁獄6年の判決を受けることとなります。時に愛澤34歳です。福島事件で大きなダメージを受けた福島県の自由党員らは、明治17年(1884)に栃木県令に転じた三島通庸を暗殺すべく、計画を立てます。しかし、このテロ計画は露見し、福島
2024年4月16日。旧北幾世橋村内の祠について、引き続き、見てみたいと思います。『奥相志』(東京大学史料編纂所蔵写本4141.26-20。原本は相馬市指定文化財)を翻刻して確認してみます。かなり多いんで何回かに分けて書きます----------------------------------------稲荷〈正一位〉・金毘羅二神合祀、宮方二間、在古城、社料四斗五升〈貸地〉、旧在南幾世橋十日林、文化元甲子年遷于古城、別當修験泉田山来祥院、------------
2022年3月31日。浪江町大字権現堂について研究中の西村慎太郎です😊明治22年(1889)3月31日、つまりいまから133年前の今日は近世以来続いていた権現堂村最後の日です。4月1日に町村制が施行されて、権現堂村は川添・牛渡・樋渡・高瀬村の4ヶ村と合併して「浪江村」となりました。町村制がどのように進められたかの先行研究は近代史研究の中で豊富な蓄積がありますし、『浪江町史』(浪江町教育委員会、1974年)でも「町村の自治制への移行」という項目が設けられています。但し、なぜ権現堂村が他の
2023年12月21日。西村慎太郎です。昨日のブログではブレッドハウスさんでのミニ講演「大原幽学が歩いた富岡宿から浪江宿」の資料をお見せしましたが、その資料で「高瀬の清水」について触れました。「高瀬の清水」とは、高瀬村の清水のことでして、清水は現在小字名にもなっています。『奥相志』(東京大学史料編纂所蔵写本4141.26-20。原本は相馬氏指定文化財)には、この記述がありますので、確認をしてみたいと思います。以下、高瀬村の「旧蹟」の項目です。--------------
西村慎太郎です😄下記の通り、浪江の「まち・なみ・まるしぇ」さんで『「大字誌浪江町権現堂」のススメ』出版記念イベント「第1回浪江を語ろう!」というイベントを開催します。登壇するのは浪江町の郷土史家である末永福男さん、権現堂城趾がある西台地区の大倉満区長、そして西村です。第2部では浪江町が生んだ歌人の三原由起子さんも交えて、町民の皆さんとクロストークを行います。入場無料ですので、ぜひお越しください♪日時:2022年4月30日(土)午後1時~午後3時場所:まち・なみ・まるしぇ(浪江町幾
2024年4月19日。旧北幾世橋村内の祠について、引き続き、見てみたいと思います。『奥相志』(東京大学史料編纂所蔵写本4141.26-20。原本は相馬市指定文化財)を翻刻して確認してみます。三宮・八幡宮と見ましたが、同じく神宮寺が別当だった天満宮について見てみたいと思います。また、三宮・八幡宮・天満宮と同じ場所にあった稲荷・妙見についても検証します。----------------------------------------天満宮在右同所、上梁文云、奉葺替天神宮大
2024年4月14日。昨日のブログでは北幾世橋字町尻の祠について書きましたが、Facebookでいろいろな方からコメントを頂きました🤩どうやら「ゴジラの木」と呼ばれていて、幾世橋小学校の子どもたちをはじめとして、浪江小学校の学区の子どもたちにも知られていたようです。現在では少し小さくなってしまったようだす。ところで、2010年の住宅地図を見ると、「ゴジラの木」があるところは桑畑の地図マークになっています🤩実は桑畑の地図マーク、2013年に廃止されているので、これはこれでたいへ