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ずっと1人で泣くしかなかった。想像して、打ち消して。また想像して。なかった事に、あれは現実ではないと。単なる不倫ならこんなに苦しまない。命より大切な我が子の人生。私に出来ることは何?神様、何でもします。どうか救ってください。
私は兄弟がいます。兄が二人です。兄二人とは、父親が違います。それを知ったのは大人になってからだけど。長男は東京に10年以上いましたが、地元に帰って結婚して、今は近くに住んでいます。が、交流は特にありません。次男は東京に住んでいます。こちらも、普段は連絡を取ることがありません。帰省した時にたまに連絡が来て、タイミングがあればお互いの子供を会わせるという目的で会うくらいです。二人とも都会人といった感覚の人種です。私は、ザ田舎者感覚です。なので、たまに会う分には、面白いな~で済み
職場に、外線から電話が入った。今日予約だったが、子供の小学校が休校になったことと、大雪で車を出せないということで、予約を変更したいとのこと。名前を聞いて、生年月日で調べたら…おうたが事故にあったとき一緒に遊んでいた友達の母親だった。遊ぼうって、おうたを誘ったのはそっちなのに…休校になったというのは、おうたの通っていた小学校…本来なら、うちも、子供の小学校が休校だったんだなおうたなら、今なら小5だから、一人で留守番できたかな?なんて、あるはずだった未来を想像して、それらがどうして私
【妊娠したら普通に産めると思ってました】5月1日水曜日のアフタヌーンクルーズ、「妊娠したら普通に産めると思ってました」著者の堀井斉未さんがゲストに来てくださいました!死産・流産の経験を通して大切な我が子のことや経験者のケアについてまで心の変化や想いをとても丁寧にお話してくださいました。この日から書店に並んでいる本を読ませていただきましたが、内容はもちろんカバーイラストや帯まで細部にいたるところから斉未さんの人柄や大切な人たちとの
はじめましてwishと申します私の息子はある日突然、痙攣し原因不明の急性脳炎、脳症と診断され10日間PICU(小児集中治療室)で壮絶な治療を乗り越え脳へのダメージが広範囲に出てしまいどんな症状が出るのかも分からないし後遺症は避けては通れないと断言されましたが一般病棟へうつったのち奇跡的な回復力を見せてくれ1ヶ月ほどで退院し自宅へ戻ってきました。このブログでは当時、脳炎、脳症などに全く知識がなく毎日色んな方の記事を読んで勇気を貰った日々を思い出して
https://www.dailyshincho.jp/article/2022/09160610/?all=1先日、ブラタモリで恐山を特集していた。私達のような人間に寄り添った内容というよりは、当事者でない人々に、紹介するといった内容だった。ただ、南直哉さんの仰る言葉が、私達に直接語ってくれた内容もあり、ちょっと嬉しかった。僧侶や神主、教祖的な崇められる人の言葉は何一つ響かないけれど、直哉さんの言葉だけは届くんだよなーなんでだろう?また行きたくなってきたな。行けば会える気がして。
おうたが事故にあったとき、おうたは1歳下のお友達と近所の公園にいた。2年生になったばかりのことだった。あの時は、子供だけで公園に行くことは日常だったし、他のお友達も、親がついて公園に行っている子はいなかった。だから、私はどこかで、自分の判断が間違いではないと思いたかった。だけどずっと、喉の奥に小骨が引っかかっているような罪悪感と後悔が消えない。たまたまネットで、7歳の子供がお友達とだけで公園に行くことに対して、賛否両論意見があった。何かあってからでは遅い。過保護と言われても構わない
先日、古くからの友人が家族全員で我が家に来た。旦那と、子供を二人連れて。相手に子供が生まれてからは、いつも子連れでくる。旦那は子守担当なんだと思う。正直、旦那に来られるのは気を使うし、下の子は三歳くらいだから連れてこないで欲しい。何より、子守りで付いてくる旦那もずっとスマホいじっていて、私が家の裏に公園があることを子供たちに教え、暗に連れて行くように誘導してもなかなか動こうとしない。友達も、子供が危ないことや勝手なことをしていても、「ダメだよー!」って言うだけで本気で止めようとはしない。
何故か急に…おうたがいつも着ていたジャージを目にしたくなった。おうたが居たんだ、生きていたんだと、証みたいなものを、急に欲するような感覚…多分、原因は昨日の出来事。周りのみんなが別の少年を当たり前のように「おうた」と呼ぶことへの違和感。不安。私の息子は確かにいたよね?私のお腹から生まれ、7年間共に生きていたよね?あんまりにも会えない時間が長過ぎて、確かめるようにおうたの荷物を引っ張り出す。だけど、求めていた服を探せなくて。サイズアウトしていたジャージは出てくるのに、いつもサッ
私の住む北国でも、ようやく桜が咲き始めました。毎年、桜を見ると寂しさと悲しさが募る。おうたとさよならする前は、幸せの象徴だったのに。時間の経過と共に、おうたと同じ年頃の男の子を目にしても、以前ほど憎悪を抱かなくなった。見当違いな憎しみや疎ましさの代わりに、思い返すのは自分への後悔。GWの日。旦那の実家で咲く桜の木で、おうたと木登りをした。母ちゃんは子供の頃、よく木登りをしたんだよ。おうたもできるかな?って。その2日後に、木登りが原因で事故にあった。後悔してもし切れない。ごめ
最後にブログを書いてからだいぶ経ってしまった。果たしてここに書くことが正しい判断かは分からないまま、再びパソコンの前に座っている。新しい命がこの身に宿った。それはとても幸せなことで、嬉しいことで、ハッピーなことのはずだ。けれど、その感情を私は素直に受け入れることができずに、ずっと持て余して過ごした。悪阻も相まって、私の精神状態はボロボロだった。そんな私の心境などお構いなしに、周りは120%の祝福を向けてくる。それが居心地が悪く、息苦しかった。保健師や助産師に、おうたのこと
娘が、おうたと同じ学位年に上がる。段々と、お兄ちゃんよりも年上になる。そんな現実に寂しさを募らせたり、本当に我が子は大人になれるのだろうか?と不安になってみたり・・・おうたと同じ時期、時刻に、娘までいなくなってしまうんじゃないかという恐怖。親としての責任も、これまで以上に重くのしかかる。きっと娘はすごく窮屈に感じている。色んな事に制限をかけていること。家の裏の公園ですら、大人がいない場合は遊ばせられない。春休みの学童も、歩いて行かせられない。自転車も禁止にしている。な
職場に、娘より2歳下の女の子を育ててるママさんがいる。そのお母さんは、テレビを見せないユーチューブも見せないオモチャを与えない家庭内の食事はほぼ無添加というこだわりを持っている。我が子に未来があることを信じて疑わない。我が子の未来が突然消え去るなんて想像もしてない。私は、おうたを失ってから。娘に甘い。おうたが見てたら、ずるい!って怒られちゃうくらい、娘に甘くなった。食べたいものは何でも食べさせ欲しいオモチャも極力与えてるあいさつとか、行儀とかも、注意はするけど、強く
娘がスプラトゥーン3にハマっている。私も旦那も、娘と楽しくプレイしている。が、私と娘は同じSwitchで別ユーザーでプレイしているため、対戦したり仲間となって戦うことができない。旦那はSwitchライトでプレイしているため、娘とプレイしている。それぞれが交代しながらプレイしているが、不便さもある。おうたのSwitchを借りてプレイすれば一番手っ取り早いのだけれど、おうたのSwitchは一度も使っていない。時が止まったままだ。私はずっと、おうたのSwitchとiPadを開けないでいる。
人生初、コロナにかかった。お腹も大きくて苦しいのに、さらに辛い。味覚障害あったら嫌だな。今もまだ味覚障害残ってるのに。つわりからようやく開放されたのに。先月は初めて夫がかかったから、うちでかかってないのは娘だけ。うつらないといいなー…おうたが事故にあったとき、緊急事態宣言が解除されて次の日で、公園周りには大人が一人も歩いてなくて。だから、おうたのお友達も、助けを求めるために10分かかる自宅まで戻ったみたいで。コロナさえなければ。いつもの公園みたいに、近所の大人が外にいれば。