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そうちゃんがとってもご機嫌だったこの日、夜勤の担当の看護師さんは、そうちゃんが転院する時には涙を流してくれたほどにいつもそうちゃんのことを可愛がってくれていた、とても優しくて好きな看護師さんでした。調子の良さそうなそうちゃんにも安心していた私たちは、この日は何の心配もなく「また明日ね~」とそうちゃんに挨拶をして足取り軽く笑顔で帰ることができました。家に帰ってからも、両親とこの日のご機嫌なそうちゃんの映像を見返し、この日は家族みんなが笑顔で眠りにつくことができました。ところが翌朝、病院へ行く
肺炎の心配もなくなり、やっと少し安心できるようになったそうちゃんは、スッキリとした口元をよく動かし、これまで以上に色々な表情を見せてくれるようになっていました。特に、母乳綿棒を近づけた時には、自由になったお口を大きく開けてますます積極的に吸ってくれるようになり、そんな姿を見ていると、ずっと夢だった授乳がいつか叶うのではないかと期待したくなってしまうほどでした。「これだけ口をよく動かしてるなら、少しずつ嚥下訓練も始めていっちゃってもいいかもね。」産まれてすぐの頃、センター長から嚥下はできない
そうちゃんの最期は、とても悲しいのにとても温かくて、涙が出るのに笑顔にもなれて、とても不思議な穏やかな時間でした。寂しくてたまらないはずなのに、思い出すのは嬉しかった思い出ばかりで、心の中はただただありがとうでいっぱいでした。そうちゃんと過ごした8ヶ月と30日は、苦しいことや不安なことも沢山ありましたが、それを忘れてしまいそうになるくらいに沢山の幸せな時間を過ごしてきました。そして、毎日そうちゃんと充分すぎるくらいに向き合うことができたのは、そんな環境を整えてくださった病院の皆さんや家族が
そうちゃんの状態が不安定に戻ってしまったこの日、私は久々に眠れない夜を過ごしていました。そして手元に置いておいた携帯を夜中に何度も確認しては、病院からの着信がないことにホッとしていました。そのまま病院からの連絡もなく迎えられた術後13日目の朝。どうにも落ち着かなかった私は、仕事に出かける主人を見送った後、すぐに病院へと向かう準備を始めました。こんな時でも仕事に向かわなくてはならない主人を見ていると、会いたいときに病院に行くことのできる私はまだ幸せなのだろうと感じていました。病院に着くと
これまでブログを読んでくださった皆様、そうちゃんが頑張って生き抜いてきた8ヶ月30日を見届けてくださり本当にありがとうございました。自分が想像もしていなかった多くの方々が読んでくださり、沢山のメッセージを届けてくださったことに今は驚きと感謝の気持ちでいっぱいです。そうちゃんが頑張ってきた姿から、毎日を大切にしようと感じてくださったり、家族を大切にしようと感じてくださったり、同じような境遇の方だけでなく、幅広い方々が様々な思いでこのブログを受け止めてくださったことがとても嬉しく、ひとつひとつの