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高野山「奥の院」には織田信長をはじめとする有名な戦国武将の墓が点在しています。ちょっとご紹介織田信長、豊臣家、徳川家、明智光秀、石田三成、伊達政宗、武田信玄・勝頼、上杉謙信など、誰もがよく知る武将の名が連なります。伊達政宗、石田三成、明智光秀の慰霊碑今はお隣さん同士です戦国時代には考えられない隣人関係…何だか微笑ましいですね。立派な鳥居の墓群薩摩島津家の霊屋がありました。豊臣家の墓所は他よりも広い敷地で墓所に入れないように柵が設けられていて常にお供え物が置かれ、さ
松山市末広町にある興聖禅寺の墓所の入口に赤穂義士の遺髪墓があります。遺髪墓の近くに大きな墓石があり、それが松山藩二代目藩主蒲生忠知公の墓です。蒲生忠知公の墓蒲生忠知公は戦国武将蒲生氏郷の孫で、父は蒲生秀行、兄は蒲生忠郷です。兄の蒲生忠郷は会津藩の二代目藩主でしたが、世継ぎのないまま死去したため、蒲生家断絶の危機になりました。しかし、母の正清院が徳川家康の娘だったので断絶は逃れることができました。蒲生家は次男の蒲生忠知が継ぎましたが、会津藩60万石から松山藩24万石へ減移封となりました。代わり
この日は笠間市で遊んでいますまずは国指定文化財の楞厳寺山門その奥には笠間城主笠間時朝公の一族の墓所がありますさらに奥には楞厳寺行ってみよう山の中山際に田畑が広がる小川のせせらぎを聞きながら見えてきたのは楞厳寺山門です周囲はのどかな風景です日本情緒あふれる鎌倉時代笠間城初代城主笠間時朝
Googleマップで検索して参って来た津山三十人殺しの都井睦夫の墓石。Googleマップに表示された場所のスロープを上がった右側が都井家本家の墓所。スロープの左側の笹に覆われてしまっている場所の奥に都井睦夫の墓石代わりの川石が有りました。周りの笹を取り除き、撮影して、車に戻って写真フォルダを確認すると、上の墓石の写真の次に紅色の謎の光の画像が。こんな紅いものに向けてシャッターを切った覚えは無いのですが。何なんでしょう。
今回は墓所になります生誕地家督を継ぐ切っ掛けの合戦地で今回は墓所ですが・・・まだこれで終わりではありませんつづきます居城などがまだ・・・岐阜県揖斐郡揖斐川町の月桂院になります戒名清光院殿前三品法印一鐵宗勢大居士ご覧頂き感謝です
ココロが【興福寺】を出発し………車で北へ約10分ほどで到着したのは………【三笠霊苑(みかされいえん)】奈良県奈良市川上町623番地ここに、島左近の墓があるという【三笠霊苑】は、春日山原始林をはじめとし、東大寺・正倉院など世界遺産に登録されている「古都奈良の文化財」の傍に位置している。世界遺産に囲まれた霊苑は、全国的に見ても極めて稀少であり、市街地とは思えないほど自然に囲まれて歴史と静寂さを感じる場所である。総面積約30.000平米総区画数3.300区画広
(北海道石狩市厚田区望来327)戸田記念墓地民営の墓地ですけど車でも一周出来て広大な墓所の満開の桜を見せていただけます今年は、過去一👏花芽も多くて枝ぶりも素晴らしい(もの凄い技術で手入れされています)正面が手稲山手稲山のアップポートレート撮影にして周りを暈してみた9時なのでそんなに混んではいませんです…3年のうちによく整備されていて👏木も大きくなっているので枝ぶりも、センテイ技術も素晴らしい👍道内一の規模じゃないかなぁ
■Wikipediaより拝借して引用させて頂きました。■宣嬪成氏(ウィビンソンシ)が女官として仕えていたのは?■愛しい我が子は?■墓所=西三陵(ソサンヌン)。●宜嬪成氏(ウィビンソンシ)の墓所。側室たちの墓がある場所にソンヨン=宜嬪成氏(ウィビンソンシ)の墓もあるそうです。何か小さくて寂しく、侘しく感じるのは私だけかな。●文孝世子(ムニョセジャ)の墓所。西三陵(ソサンヌン)内に位置しています。かつてはソウル市内の現在は孝昌公園(ヒョチャンコンウォン)内にありま
2018年1月20日JR東海のさわやかウォーキングに参加しました。テーマは、「新春詣、家族皆で豊川歴史散歩」です。距離も4.5kmと短めですね。豊川駅の一つ手前、牛久保駅で降りてウォーキング開始です。改札を出たところで地図を貰いスタートです。車の入れない細い道を進みます。野菜のセルフ販売所には、一袋100円の里芋がありました。安いけど・・・・ウォーキングで持って歩くのは疲れるので止めました。大聖寺にやってきました。