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後に「祝婚歌」というタイトルが付けられたこの詩を、ある時「櫂の会」の仲間であり詩友の川崎洋さんに見せたそうです。川崎洋さんは詩人でもありますが、ラジオ番組などの製作にかかわる仕事をしていらっしゃいました。そして、ラジオドラマの冒頭でこの詩を放送したいとおっしゃってくれたそうです。父はもちろん喜んで承諾しました。そして、この詩は、タイトルも作者の名前も読み上げられずに、森繁久彌さんによって朗読されました。その後、ラジオ局には「この詩は誰の何という詩なのだ?」「どの詩集に入っている
O熊さんから、吉野弘さんのオススメのポエム「夕焼け」を読み返してみました!日常の何気無い満員電車の中での、娘ととしよりの出来事……そもそも、吉野弘さんの詩を思い出したきっかけは、先月最終の金曜日深夜、軽い気持ちでO熊さんとラーメンを食べに行って話題になったことでした。ちょっとした何気無い出来事で、人の気持ちや行動は変わりますね〜4年前、上司に貰った吉野弘さんの詩集、クローゼットの中で眠っていたので…起こしてきました(^^;;さて本題の「夕焼け」ですが……全文を読むと、優しい人は、優しいゆ
今回は、吉野弘第6詩集「風が吹くと」から「歩く」という詩をご紹介します。最近私は運動不足解消のためにウォーキングをしています。このところ、雨の日が多く、またお天気が変わりやすいので、毎日歩けないのが悩みではありますが、歩くって本当に気持ちがいいですね。時々この詩を思い出しては、歩きながら「歩く歩く」をつぶやきます(笑)歩く太陽を睫毛(まつげ)ではじきながら歩く太陽を頭にのせて歩く太陽を髪の波間に泳がせて歩く彼のいる楽しい青春を歩く彼のいない淋しい青春を歩く彼が
吉野弘の代表作の一つに「祝婚歌」という詩があります。この詩は、ありがたいことに、結婚式の祝辞代わりに、新婚のお二人に向けて読まれることがとても多い詩。。。みたいです。この詩を書いたのは父が50歳ころのことでした。姪っ子(私の従姉にあたります)の結婚式の時に、山形県酒田市に本来ならばお祝いに行くべきところが、仕事の都合でどうしても行くことができませんでした。この従姉というのは、父にとっては姉の娘になるわけで、非常に近い親戚であったわけです。で、父は多分伯母に「結婚披露宴に出てほしいの
昨日の記事(→☆コチラ☆)に書いた詩人吉野弘ほかの作品も読もうと思って奥さまとお嬢さんたちが選んだ作品集を購入妻と娘二人が選んだ吉野弘の詩胸に残る詩がいくつもあったけど今の私に最もひびいたのが奥さまが選んだ『さよなら』という詩゚・*:.。..。.:*・゜「さよなら」割れた皿を捨てたときふたつのかけらは互いにかるく触れあって涼しい声でさよならをした。目には侘びしく耳には涼しいさよならが思いがけなく身に沁みた。ちょっとした皿だった。鮎が一匹泳いで
『吉野弘』さんの詩作品できました『竹』です『吉野弘詩集』(ハルキ文庫)『竹』って、本当に『高層ビル』みたいですね『小人さん』ぐらいの大きさだったらちょうどいいお家にになりそうですねだけど、『竹の高層マンション』『かぐや姫』専用確かに、『かぐや姫』が一番似合ってるかもそんなわけで『竹の高層マンション』に住んでいる『かぐや姫』を描いてみましたこんな感じで『かぐや姫』がすんでいるのかな
今日は素敵なお話を聞く機会がありました。タレントでがんサバイバーでもある向井亜紀さんあまりにお綺麗で、その前向きな姿勢に元気もらいましたぽかぽか行ってよかった〜あらためて想ったこと。夫くんへ。娘たちへ。「ありがとう。わたしの生きる目標になってくれて」一緒に今を生きていこうね。年をかさねていこうね。吉野弘「祝婚歌」健康で風に吹かれながら生きていることのなつかしさにふと胸が熱くなるそんな日があっていいそしてなぜ胸が熱くなるのか黙っていても2人にはわかる
『吉野弘』さんの詩作品できました『石仏』です『吉野弘』(ハルキ文庫)晩秋の、静かな景色を思い浮かべてしまうような詩ですねもしかして、どこかに隠れてジーと、『お地蔵さん』たちを観察しているとお話してるのかもしれませんねだんだん秋も深まって冬が近づいていますいやもう、冬が来ているのかなそんな、『お地蔵さん』たちを絵で描いてみました何を、お話ししているのでしょうか・・・
今日はちょっと長いです吉野弘の詩で、(娘が思うに)最も知られている詩は、多分祝婚歌だと思うのですがそれと同じくらい、有名になったのが「生命(いのち)は」だと思います。生命は生命は/自分自身だけでは完結できないように/つくられているいるらしい。花も/めしべとおしべが揃っているだけでは/不充分で虫や風が訪れて/めしべとおしべを仲立ちする・・・・という詩です。この詩(の元になった詩)が一番最初に公表されたのは「文芸埼玉」10号(昭和48年1
今でこそ結核はそれほど怖い病気という認識は薄れてきていますが、昭和20年代頃結核は非常に恐れられていた病気でした。軽傷で済む場合もありましたが、重症化すればそれはもう「死」を意味するほどだったとのことです。現在結核がそれほどまでに蔓延していないのは、医療の発達と抗生物質主体の治療薬のおかげですね。父が結核を患ったのは、昭和24年(1949年)でした。18歳になったばかりの頃就職し、20歳そこそこで労働組合の執行部として、本業務と労働組合の仕事を両立しながら忙しい毎日を過ごしていました
■『空気人形』やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]2009年/日本映画/116分監督:是枝裕和出演:ペ・ドゥナ/板尾創路/ARATA/岩松了/高橋昌也/星野真里/柄本佑2009年第25回やりすぎ限界映画祭■2009年ベスト10第10位:『空気人形』■やりすぎ限界女優賞/やりすぎ限界男優賞/やりすぎ限界監督賞:『空気人形』[ネタバレ注意!]※見終わった人が読んで下さい。■やりすぎ限界女優賞:ペ・ドゥナ■やりすぎ限界男優賞:高橋昌也■第2稿2018年7月26日
今日は、「虹の足」という詩をご紹介します。父の詩は教科書に採用されることが多かったと先に書きましたが、これもその一つなので、「有名な詩」と言えるかもしれません。この詩は第5詩集「北入曽」に収録されています。虹の足雨があがって雲間から乾麺みたいに真直な陽射しがたくさん地上に刺さり行手に榛名山が見えたころ山路を登るバスの中で見たのだ、虹の足を。眼下にひろがる田圃の上に虹がそっと足を下ろしたのを!野面にすらりと足を置いて虹のアーチが軽やかにすっくと空に立ったのを
吉野弘第1詩集に収められている詩に「奈々子に」という詩があります。父の詩は国語の教科書に起用されることがとても多い詩人だと評されていますが、この「奈々子に」という詩が教科書起用の第一号で、昭和41年(1966年)に三省堂から出された中学生用の教科書でした。実は、私(奈々子)が中学2年生の時、翌年の教科書に採用されることを知りました。家族中で喜んだ(というよりびっくりした)覚えがあります。喜んだものの・・・・ふと考えればもしかして、私が私を題材にした詩のことを学ぶかもしれな