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朔出版刊、定価2200円+税。1954年生まれの櫂さんのいわばエッセンスを集めた句集。櫂さん、ボクよりちょうど10歳若いが、俳句でも俳論でも現代の俳句の前線に立って活躍してきた人だ。ボクなどとは俳句的人生がかなり異なっているが、彼に共感や反発をしながら俳句を考えてきた一面がボクにはある。去年の暮、大阪の読売新聞社で小一時間彼と話したが、じつはそれまでちゃんと話したことがなかった。ボクは彼との違いを大事にしながら、櫂さんが俳句にもたらしたものをちゃんと見つめたい、と思っている。
(神奈川県横須賀市長沢)夏鳶や地質学者の首タオル誠司今日は西荻窪「俳句の駅」句会。コロナの影響で会場の入場定員数が制限されており、3回に分けて句会をしている。今日はそのうちの2回分(午前、午後)があり、一日中、句会である。普段とは違う6~8人程度の句会で、物足りなくもあったが、句についてディスカッションも出来て楽しかった。ふだんはスルーする私の句も、みんなに見解を尋ねたりした。この句、好きな句なのだが、先日の超結社句会「細道句会」で、鳶鳴いて地質学
(神奈川県横須賀市長沢)昨日は荻窪・青丹会。青丹会では今、松尾芭蕉の最初の紀行文『野ざらし紀行』の講義をしていて、今回は駿河(今の静岡県)の「小夜の中山」(さよのなかやま)である。年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山西行法師(としたけてまたこゆべしとおもいきやいのちなりけりさよのなかやま)『野ざらし紀行』も大事であるが、私がこの講義で一番伝えたかったのが、この西行の和歌である。別に『野ざらし紀行』の中に出て来るわけではないが、間違いなく、
隠れ住んで花に真田が謡かな与謝蕪村(かくれすんではなにさなだがうたいかな)与謝蕪村が紀州九度山(和歌山県九度山町)で詠んだ一句。この句の「真田」とは戦国武将の真田昌幸・幸村父子のことで、紀州九度山は、関ヶ原の戦い後、真田父子が徳川家康によって十数年蟄居させられた場所である。その場所は今、真田庵として残っている。この句の思い出については以前、書いたことがある。私の俳句人生にとって大切な一句である。『「俳句深耕」~「あいさつ」の心』私の趣味
をとこのてをんなのあしやはなびえす『2024/4/8句集「水惑星」修羅の眼春2004』はなびえのいきをかがみにのこしけり『2024/4/1句集「水惑星」修羅の眼春2004』てのひらをこぼれはなではなくなりぬ『2024/3/25句集「…ameblo.jp🖌🖌🖌🖌🖌😅🖌🖌🖌🖌🖌いつもご訪問ありがとうございますまたお立ち寄りくださいませ(*⌒▽⌒*)
歴史探訪社発行、メディアパル発売、定価2420円(税込み)ウクライナの俳人、ウラディラワ・シモノアさんの297句をたくさんの写真を添えてまとめた句集です。田中潤さんやボクが作者の作をもとにして作った日本語の句もおさめられています。ちょっと残念なのはボクなどが「俳句界の三賢人」と呼ばれていること。「三人の俳人」で十分ですが、丁寧に校正を見なかったボクのミスです。ともあれ、この作者は、俳句の即興性と鑑賞の多面性が好きだと言います。ボクなどと同意見です。
街かどデイハウス「人と木」では平成28年の4月から川柳の講座が始まっています。ほぼ8年になります。川柳句会として成立している句会というよりも、人と木の利用者がこの講座に参加して楽しむ句会ですから、途中で参加をやめる方、途中から始める方、2~3回参加されてれてそれっきりになる方もいます。最初から今まで続けて講座資料を纏めてくれている人が一人いるほか、6年以上続けていただく方もいますけれど、今までにも、参加者が少なくなる時が何度もありました。今がその時です。昨年の12月の句会では、8名が参加し
黎明書房刊、定価2200円。作者は名古屋を拠点に活躍する「窓の会」の常連、彼女の第2句集です。「大まかにおたまじゃくしをかきまわす」「たんぽぽの料理に欠かせない弱気」「チューリップうっかりもらう皆勤賞」「まあまあの福利厚生木の芽和」などのちょっと知的なひなねりが二村さんの句の特色かも。福利厚生などという固い言葉が知的なひねりによって和えられている感じです。
2020.7.25書肆麒麟澤好摩句集『返照』12月31まで仕事だったため、さすがにへろへろでした。ご褒美に美味しい酒を飲みながら、紅白歌合戦を見ていたら、酔っているせいか、やたらと楽しい。去年は忙しくて、天気予報と録画した「麒麟がくる」ぐらいしかテレビを見なかったので、出演している歌手のほとんどわからないところが新鮮でした。しかしもう体力が残ってなく、見たかったほとんどの歌手を見ることなく酔い潰れて寝ていました。1日は用意していた浪の音と小鼓をじゃんじゃん飲み、最後は記憶を失いなぜか玄関で
(神奈川県横須賀市長沢)乾坤(けんこん)の変(へん)は風雅(ふうが)のたね也(なり)松尾芭蕉(『三冊子』)「乾坤」とは「自然」のことである。自然の変化は俳句の根本である、と芭蕉は言っている。ここで重要なのは、自然が俳句の根本ではなく、自然の変化が俳句の根本である、ということだ。誰から聞いたが忘れてしまったが、日本人は自然を愛しているわけではない。ドイツ人やカナダ人のほうが自然を愛している。日本人は自然ではなく、季節を愛している。
(神奈川県横須賀市長沢)忘れずば佐夜の中山にて涼め松尾芭蕉(わすれずばさよのなかやまにてすずめ)松尾家の身分は「無足人」(むそくにん)であった。無足人とは、帰農した国衆(くにしゅう)のことである。「国衆」とは「地侍」(じざむらい)のことだ。伊賀では、越後の上杉謙信、甲斐の武田信玄、関東の北条氏康などのような強大な「戦国大名」は生まれなかった。伊賀各地に小さな武家勢力が点在していたのである。その小さな武家勢力が「国衆」であり、松尾芭蕉の家
田中裕明(1959〜2004)100句(西村麒麟選)『山信』菜の花や河原に足のやはらかき我知らぬ人より母が柿もらひ嬉しくもなき甘茶仏見てゐたり大学も葵祭のきのふけふ夏の旅みづうみ白くあらはれしやはらかき宿の御飯や草干す夜『花間一壺』いつまでも白魚の波古宿の夜北ゆきて早苗投げゐる人にあふ雪舟は多くのこらず秋螢悉く全集にあり衣被蟬とぶを見てむらさきを思ふかな穴惑ばらの刺繍を身につけて好きな繪の賣れずにあれば草紅葉ゆつくりと掃く音のして小鳥村菜の花をもつて石屋の前に遊
(神奈川県横須賀市長沢)俳句の「三段切れ」は「季重なり」とともに句会でよく聞かれる質問だ。「三段切れ」とは、目には青葉山ほととぎす初鰹山口素堂のように、「上句」「中句」「下句」がつながっていない…、目には青葉/山ほととぎす/初鰹と、それぞれ「切れ」ていることである。多くの句会では、「三段切れ」はしないように…、と注意されることが多いようだ。が、この山口素堂の、この名句が証明するように「三段切れ」でもいい句はいい。だから、「三段切れ」がダメ
(神奈川県横須賀市長沢)暑い…。午前中、海辺を散歩したが明らかに日差しが違う。家に戻ってからも顔や体が「パリパリ」(?)している。顔も「黒」というより「赤黒」になってきた。(カモメ(左)が飛んでく様子)海の雰囲気も違う。釣り人も多いし、役所関係の人がなにやら調査している。八月だな、いよいよお盆休みなのだな、と思う。今日、俳句の知り合いから桃をいただいた。今年初めてである。桃は大好きだ。が…、まだ固かった…。ず~っと前、「東海道踏破の旅」で愛知県を歩いた時
(東京都杉並区西荻窪)梅が香にのつと日の出る山路かな松尾芭蕉(むねがかにのっとひのでるやまじかな)梅の花盛りである。梅の花を見上げて、ふと思うことがある。東風吹かばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな菅原道真【訳】春を告げる東の風が吹いたなら、その香りを送っておくれ、梅の花よ。私がいないからといって、春の心をを忘れてはいけないよ。芭蕉の句にしても、道真の和歌にしても「梅の香り」が出て来る。調べてみると、江戸俳諧にも現代俳句にも「梅
(東京都豊島区西池袋)胸の手や暁方は夏過ぎにけり石田波郷(いしだ・はきょう)(むねのてやあけがたはなつすぎにけり)暑さもだいぶ収まってきたようだ。朝は、上記の句のように涼しささえ覚える。「胸の手」とは、仰向けに寝た状態で、胸の上で指を組んでいることを言っているのだろう。目が覚め、胸の上で指を組み、朝涼にまどろんでいるのだ。日中はまだまだ暑くなるだろうが、朝はすっかり秋の気配になったな…、と思っているのだ。今日は東京都豊島区池袋の第二谷端川句会
阿部青鞋(1914〜1989)100句(西村麒麟選)『武蔵野抄』ほろほろと厨の妻の邪魔してをり泣きにゆく妻のうしろを少しあるく我が顔を犬が見てをり妻も見てをり別々の目をして妻と柿を食ふわが顔を見まはす犬をやがていかる冬の川ひりひりひりと流れたりくたびれて妻のうしろにころんでゐる秋の子の阿部青鞋をおそれずや『句壺抄』梟の目にいつぱいの月夜かな馬の目にたてがみとどく寒さかな鰤の血を見ながら牡蠣を買ひにけりおどり出し犬を愛すや火のごとく朝顔の沢山咲きし匂かなチューリップ
冬野虹(1943〜2002)百句(西村麒麟選)『雪予報』鏡の上のやさしくて春の出棺まよひこみ海綿売の声まつしろ肉色の空落つる処ラファエロ玉虫の曇りておちるまひるかな荒海やなわとびの中がらんどう薄荷ゼリー沼からみてゐる冬景色やせた鳥と四月の海に堕ちにけりメロンほど淡き翳もち夏の山羊三月や麒麟の夢を指にまき白い島へ白いかやつり草と私今滅ぶ寒夕焼をまとひつつひらひらと脚のびてゐる白魚雪女郎は反射鏡の位置直す花眩暈わがなきがらを抱きしめむ鳥葬のごと音楽を浴び母よ灰色の夢
(神奈川県横須賀市長沢)この三日間、「海光」の執筆や編集作業をしていた。いつも通り…、と言えばそれまでだが予定の半分ちょっとしかできていない。昨日は辛かった。パソコンを眺め過ぎたのか、明け方までこめかみが痛かった。この痛みは時々起こる。だいたいストレスが溜まった時か、パソコン作業に集中し過ぎると起こる。さて、話は変わるが、松尾芭蕉は自分の事を、はせをと書いている。句碑などを見ると、いつもそのように書いている。が、「芭蕉」は正確(歴史的仮名遣い(旧仮名))には