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「鳥見」の由来が金色霊鵄によるものなら、その出現地が近くに存在する筈だし、金鵄の出現に両軍の戦況が一変したなら、そこは皇軍と長髄彦軍が対峙した場所ということになる。しかし、奈良県生駒市に比定される「鵄邑」が金色霊鵄に由来するものなら、遠く離れた桜井市の鳥見山をその出現地とすることに矛盾が生じる。実は「神武天皇聖蹟調査報告」には、選定に漏れたものの、もう一つの鵄邑候補地として桜井市大字外山(とみ)を挙げている。大字外山は、金鵄伝説のある鳥見山の北麓にあるため、日本紀の「皇軍の鵄瑞を得
高天彦社の岡本家家系図では、賀茂氏と葛城氏が同族関係にあったと述べました。賀茂氏や葛城氏そして尾張氏の祖先達は、この葛城の地に同居していたのです。【鴨県主系図】「諸系譜」第十五冊よりこの「鴨県主系図」は、国立国会図書館に所蔵されている「諸系譜」に収められており、古代賀茂氏を考察できる数少ない資料となっています。そして、この系図では「玉依毘古命」から始まっています。この系図では、玉依毘古から十一代を経て、「賀茂神官賀茂氏系図」及び「河合神職鴨県主系図」の冒頭の人物である「大伊
金色霊鵄と呼ばれた怪光現象は、磯城の軍勢を驚愕させ、皇軍にとって不利な戦況を一変させてしまった。なぜなら、金鵄の出現は「天神之子」を称する神武天皇の神性を証明する結果となり、敵兵はすっかり戦意を失ってしまったからだ。そして、おそらくその時に投降したのが磯城県主の祖「弟磯城黒速」だろう。先遣使者徵兄磯城、兄磯城不承命。更遺頭八咫烏召之、時烏到其營而鳴之曰、天神子召汝。怡奘過、怡奘過。兄磯城忿之曰、聞天壓神至而吾爲慨憤時、奈何烏鳥若此惡鳴耶。乃彎弓射之、烏卽避去、次到弟磯城宅而鳴之