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金属バット両親殺害事件1980(昭和55)年【事件発生と犯行の発覚】1980(昭和55)年10月29日の朝9時過ぎ、パジャマ姿の一柳展也(いちりゅう・のぶや、当時20歳)が「親父とおふくろが大変なんです……」と隣家に駆け込んで来ました。一柳展也その家の主婦が一柳の家に一緒に行くと、一階の6畳間で展也の父の幹夫さん(同46歳)が、奥の8畳間で母の千恵子さん(同46歳)が、いずれも布団の中で血まみれになっていたので、あわてて自宅に戻り110番通報をしました。事件が
八月入りました我が家の受験戦争は、一進一退を繰り返すとにもかくにも、頭で考える暇がないくらい押し寄せてくる課題をさばく日々。ごくごく普通の少年である我が息子には、本当にきつい量。キツイと感じさせないように、涼しい顔してさばく私。後ろを振り返させずにひたすら前へ前へと前進の日々。今まで季節講習は気まぐれにしか受講せずにいましたが、最終学年の今年だから何とか向き合えてるんだなとも思えます。最後の年だからやるしかないと思っています。こんなの、最後の年だからとかでなかったら
開成高校生殺害事件1977(昭和52)年朝日新聞(1977年10月31日夕刊)事件の裁判の内容はこちらの本を参照しています↓1977(昭和52)年10月31日、佐藤忠良(当時46歳)が妻の成子さん(同44歳)と一緒に、10月30日未明にひとり息子の健一君を自宅で首を絞めて殺したと赤羽署に自首してきました。警察が自宅を捜索したところ、2階6畳間の押入れの布団の上で、長男で開成高校2年の健一君(同16歳)の遺体を発見したため、父親の忠良を殺人容疑で逮捕しました。健一君
誰もが自分のど真ん中で輝ける世界をつくる誰もが最高の自分を表現して生きる喜びに溢れた世界をつくる。これが、僕の人生のビジョンです。自分らしく幸せに生きるためには、自分の本音を選択し自分の最高を社会で発揮して生きることが大切だと信じています。それは、なぜか。この世にたった一つしかない僕の人生の物語を通じてお伝えしたいと思います。6才のちっちゃいボクに、母が言いました。「あなたはエスカレーターに乗って生きていくのよ」「エスカレーター、なにそれ?」そしたら、梅田の阪神百貨店に連