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立憲民主党のことを「左翼だ」などと言う人がいるのを見ると、この国はずいぶん右寄りになったのだと感じます(この原稿の下書きを書いたのは昨年末なので、党名はこのままにしておきます/参議院には残っていますし)。こういうことを言う人は、「真ん中」がずっと右のほうにあるのかもしれませんし、「左翼」と「リベラル」の違いが分からないのかもしれません(立憲民主党はリベラルかという問いもあると思いますが)。国が「右寄り」になるには、それなりの世界や社会の変化があることは確かです。でも、「リベラル
私が病院で研修担当していた時、研修医オリエンテーションでいろいろな現場体験をしてもらっていましたが、そこでの雑談で看護師から「医者ってだんだん偉そうになるんだよね」と言われたと研修医が報告してくれました。「研修医って、どうして2年目になると態度が悪くなるの」と、職員食堂でたまたま同席した旧知の看護師長が私に尋ねました。(〈2023.2.12「ふつうの暮らしの世界」の記憶から学びほぐす〉にも書きました。)誰もがそのようになるということは、医師の育つ土壌が悪いということです1)。
「左派の人が新しい法律や政治方針がでるたびに危険だというが、危険なことは何も起きていない」とツィートしている人がいました。法律を通したとたんに急激な政策が取られるはずがありません。「変わらないじゃないか」「よその国もそのようにしているのだから」と感じさせることこそ、法案を「整備」する人たちの「思う壺」です。だんだん危険なことに鈍感になってきます(馴化です)。この感覚が「危険」そのものです。「この程度なら、文句を言わないだろう」。「文句を言わないから(危険なことを起こさないでおく
灘中学校の国語の入試問題で、ガザのパレスチナの子どもの詩が2篇出題されたことが話題になっています(問題は、たくさんの人がインターネットにあげています)。「教育は、この段階から始まる」というような意味のことを言っている人がいました。このようなことを考えられる(設問に的確に答えられる)生徒を求め、この試験の段階からこの学校の教育は始まっています。それだけではなく、受験したすべての生徒に、今後この過去問を見るすべての生徒に、このようなことを考えてほしいという教育もしているのだと思います。