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かつて大地真央は伝統的な男役のイメージを打ち破り、新しい男役像を作る先駆けとなった。そしてそれをさらにエンタテイメントとして進歩させたのが真矢みきだと思う。真矢の同期67期生には涼風真世、黒木瞳、毬藻えりに加えて故北原遥子もいた。入団当初は成績も下の方で特に注目を集める存在ではなかったようだが、とにかく稽古場に居続けて稽古に集中するうちに徐々に役が付き始め、やがてその明るいキャラもあって段々と目立つようになってくる。1983年(S59年)高汐巴のトップ披露「メイフラワー」新人公演で主役
匠ひびきの愛称“チャーリー”は音楽学校生の頃、街を自転車(チャリンコ)で疾走する姿から名付けられたとか。生徒の愛称は本名や芸名又は雰囲気が似てるキャラクターに由来するものがほとんどだが、時々このようにユニークなものがある。古い話になるが麻月鞠緒の“ブチ”は、若手時代に髪を染めたところ斑なぶち模様になってしまったからだとか。矢代鴻の“シビ”はある時胸に赤い吹き出物ができて、それが“谷間のともしび”のようだったからとのこと。元花組組長の宝純子の“レモン”は、音楽学校の時に九重佑三子(初代コ
こんばんは♪やっぱり星組の公演中止がまだまだ謎のままなので気になります。過去、特に花組は主演クラスのスターさんが病気や怪我で休演した方が多かったように記憶しています。その中でも1回こっきりの公演でトップに就任された匠ひびきさん。大劇場の千秋楽近くに病気にかかりふらふら状態で舞台に立つのもやっとという感じで涙、涙で退団されました。東京公演は、初日から中日まで2番手の春野寿美礼さんが代役されました。中日でショーの部分復帰はありましたが、この作品がお披露目でも
大浦みずきから安寿ミラの時代にかけて、愛華みれは同期の真琴つばさと常に二個一で使われていたような印象があった。真矢みきトップの元で二番手となってからは、派手に盛り上がる真矢と対照的な落ち着きが個性となっていた。とにかく真矢が一際個性的なスターだっただけに、その後を継いだ愛華の落ち着いた伝統的ノーブル感が地味な印象になってしまったのは否めないと思う。大地真央の後の剣幸や天海祐希の後の久世星佳の様に、どうしても華やかなトップの次に来る人が割を食うことになり勝ちなのはしょうがないところ。19