ブログ記事109件
1,顕家の陸奥帰還と湊川の戦いさて、人物帖顕家編も4回目と。建武3年(1336)2月となり足利尊氏は西に逃れ、都は一時的に平穏を取り戻します。しかしそれはあくまで「都」だけです。そして新田義貞は尊氏を追って西に進み、顕家は3月には陸奥への帰路につきました。この同じ時期、尊氏は九州に上洛、多々良浜の戦いで菊池氏に勝利しています。余談ですが、多々良浜の戦いは足利直義の大活躍で勝利。直義の生涯2度しかない勝ち戦の1度です。もう1回はいつだ?尊氏は菊池氏と宮方勢力を追い、北九州を制圧下
1,鄙の娘・ヒロイン頼子さて、人物帖今回は伊達(浪岡)頼子です。頼子は……ヒロインです。出番があまり多くないですが。まず、本作『北畠顕家の旗ー蘭陵王太平記ー』を執筆にあたり「北畠顕家の妻」を調べました。一応「日野資朝の娘」が正室なのですが、それ以外特に記録もなくて。子孫の方から当たると、陸奥の浪岡氏が末裔を称しています。では……ということで、「都の貴公子と鄙の武士の娘」という構図にしようと思い、頼子の登場となりました。日野資朝の娘は崇子として、すでに亡くなっているとしてあります。
1,希代の思想家・北畠親房人物帖今回は『神皇正統記』の作者として著名な北畠親房です。親房は……顕家の父です。以上です。うちの従姉の息子が「教科書に載ってた人」と言ったのは、おそらく親房で。ある意味で足利尊氏や新田義貞よりも有名な人。村上源氏分家の北畠家の当主となり、後宇多上皇の若き側近として活躍。やがてその子の後醍醐天皇が即位すると吉田定房(後醍醐の乳父)、万里小路宜房(藤房の父)と共に「後の三房」と称され、討幕以前の後醍醐帝の治世をリードした存在でした。なにより彼の名を知らしめ