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徳川十一代将軍家斉は、23人の妻妾に55人の子を産ませました。男子27人、女子28人です。当時は、乳幼児死亡率が高く、成人したのは28人でした。側室・お美代の方は、21女の溶姫、23女の仲姫、24女の末姫を産みました。男子はいません。仲姫は3才で夭折しましたが、溶姫と末姫は数え56才まで生きました。東大本郷キャンパスは、加賀藩の上屋敷でした。将軍家斉の21女溶姫が加賀藩12代藩主前田斉泰に輿入れするに当り、赤門が建てられました。溶姫は、1813年4月27日生まれで、1827
2泊3日石川県漫遊初日。茶屋街から浅野川を渡り、金沢城へ向かいます。ご存知、加賀藩前田氏の居城です。ここは戦国時代、加賀一向一揆の拠点となった城塞寺院、尾山御坊があった地でした。そして、佐久間氏が尾山御坊を攻め落とした後の天正11年(1583)、豊臣秀吉に命じられた前田利家が入城し、以降、前田氏の居城となりました。◆金沢城◆(国指定史跡・日本100名城)元は堀だったお堀通りに架かる石川橋を渡り、城門へ進みます。石川門(国指定重要文化財)天明8年
加賀百万石の城下町・金沢には、風情ある茶屋街が三つ残っている。すなわち、ひがし茶屋街・にし茶屋街・主計町茶屋街である。このうち、主計町茶屋街がある浅野川沿いの「主計町」は、「かずえまち」と読み、加賀藩の重臣の名前に由来する。初見で正しく読める方はなかなかいないのではないだろうか。筆者も最初は「しゅけいまち」だと思っていた。主計町の街並み。浅野川沿いを茶屋建築の特徴を残した風情ある建物が立ち並ぶ。江戸時代、この主計町がある一帯には「富田主計重家(とだかずえしげいえ」の屋敷があった。こ
月1回ほどブログに『三州奇談』の現代語訳を投稿しています。そのほか、ときどき『三州奇談』について書いています。これから3回にわたって、その『三州奇談』とはどのようなものであるのか、どのように読んでいるのかということを書いてみたいと思います。『三州奇談』をより多くの人に読んでもらため、この入門編は3度目になります。意外に思われるかもしれませんが、私ははじめは奇談集『三州奇談』を、文学の奇談としてではなく歴史学の研究対象として読んでいました。読み始めて5年、これにつ
加賀百万石を治めた前田家の居城・金沢城。この金沢城には、明治時代から陸軍第九師団が駐屯していた。これに代わって終戦から四年後の昭和二十四年(1949)に金沢城に入ったのが国立金沢大学である。金沢大学は、金沢東部の角間町へのキャンパス移転が完了する平成六年(1994)までの四十五年間、全国でただ一つの「お城の大学」であった。世界を見渡しても、この金沢大学とドイツのハイデルベルク大学の二つしかなかったと言われている。現在、金沢城はすでに「金沢城公園」としての整備が進められ、大学であった頃の面影
昨日は、柳美里の小説「JR上野駅公園口」(河出文庫)をめぐって少し綴った。その中で読んでいてひっかかった「加賀越中」という言葉について触れた。富山も加賀藩だったのか?❗って、驚いたと記した。(私は、中学校で国語のほかに社会も幾度か教えたことがあるというのに無知である。笑&恥)それにしても加賀藩である。加賀百万石といわれる。加賀藩が大きい藩だとはもちろん知っていたが、まさか富山まで入っていたとは知らなかった。(笑)それで、ウィキペディアなどでいろいろあ
8番らーめんの店頭で「野菜トマトらーめん」の旗を発見「野菜トマト」は確かに秋に登場するはずなのにえ?どういうこと??という訳で、旗に誘われて8番に行ってきました!(^^)!「野菜トマトらーめん」と「野菜バジルトマトらーめん」が💖🍅バジル好きな私は迷わず後者を選択爽やかなバジルの香りがトマトスープに合って美味しかったです🍅🍅🍅個人的にはスープにもう少しコクがあってもいいなぁ次はどんならーめんが登場するか楽しみにしています^^『8番らーめんバンザーイ』
2017年4月9日2017年春の青春18きっぷを使い切るために金沢観光していますす。「金沢21世紀美術館」を鑑賞した後は、歩いて兼六園に移動しました。歩くと言っても、近くなので、広坂の交差点を渡るだけなんです今にも雨が降りそうな曇天ですが、てるてる坊主が効いているようです。ここは、兼六園の真弓坂口になります。おめでとうございます!!幸せいっぱいの新婚カップルに遭遇いたしました。着物姿の素敵な若人です、兼六園で素敵な写真が撮れたのでしょうね。いつま