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本日、主人が再入院しました。退院して在宅介護をスタートしましたが、アッという間に喫煙と昼夜逆転が再開し、夜中の散歩も再開しそうだったのでケアマネさんと病院に助けを求めての再入院です。私の車で二人きりで行くと強い拒否が出た場合に対応できないですし、最悪の場合は事故も考えられるのでお義兄さんに車で迎えてきてもらっての入院です。朝9時、緊急ショートステイをさせていただいている特養に迎えに行き、お義兄さんを待ちつつ退所に必要な書類へのサイン、荷物の引き取りをしました。ちょうどお義
主人が前頭側頭型認知症と診断されたのは、2023年12月のこと。67歳でした。その以前から「なんか変だな」と思いつつも、加齢による物忘れかな、もともと家のことには無頓着な人だからポンコツぶりが加速したのかな、そんな程度かと思っていました。しかし段々と時間を守らなかったり、言ったことができなかったり、新しいことが覚えれなくなったり、「おかしいな?」と思うことが増えて、そのうちに異常なこだわりが出てきたため、念のためと思って病院を受診しました。「加齢によるものですね」とか
まずは3月の主人の入院費などのお話です。入院費37,370円歯科検診1,760円レンタルセット56,854円合計95,984円難病指定のお陰で入院費がすごく下がりました。1月分と2月分も市に請求を出したので、返ってくると思います。レンタルセットだけはどうにもならないので、これが何ともですが💦4月の入院費は18,415円だったのですが、3月の入院費と併せて保証金から差し引いて清算済みです。(もちろんレンタルセットは後で請求が来ます)4月はデイサー
昨日のタバコ事件のあと、更にいろいろありました。まずはベッドに入ってからのこと。ベッドに入ったのは深夜の1時だったのですが、とにかく寝ない。喋る⇒私にちょっかいをかける⇒脚がかゆいというの繰り返しです。喋るのは黒猫くんのこと、虹の橋を渡った愛猫のこと、このマンションの住民のこと。それを何度も何度も話します。そして私に「大丈夫?寝れる?」と聞き、ほっぺたをつつくまでがワンセット。これが早朝4時くらいまで続いていました。4時~6時は私も記憶がないので、その時間は主人も寝ていた
昨日は何もしない日でした。仕事しよう(副業)とPCを立ち上げたものの、主人のことを考えてしまって。結局は再入院の日に出すために退院してから緊急ショートステイに行く迄の経緯をまとめたり、ブログを書いたり読んだりして過ごしていました。今日の日中は部屋の掃除。退院時にセットした主人のベッドも、またベッドパッドやシーツ、カバー類を外して洗濯です。前回の入院時も全部外してベッドカバーを掛けていたのですが、黒猫くんがもぐりこんで寝ることが多く、しかもマットレスで爪とぎまでしていたので、今回
この話についても後ほど……と言いながら書いていませんでした^^;義母が同居していた義姉宅から老人ホームに入居して1年が過ぎました30年以上住んだ義姉宅で人生の幕を閉じるものと思っていたであろう義母…まさかのホーム入居話にかなり駄々をこねましたが最後は諦めの境地で新しい居場所へ向かったと思いますこのコロナ禍で見送りも面会もままならなかったのでせめてもの罪滅ぼしのつもりで毎月…葉書を送っていました季節の挨拶と簡単な近況を伝えるという薄情な嫁の葉書に毎回…義
在宅介護が始まって三日目。昨晩は何とか寝てくれましたやはり1人では寝ないので、結局は私が入浴が終わった23時に一緒に寝る羽目になりました。夜中に3回くらいトイレに起き、最終的には5時30分に起床です。起きてからは朝ごはんまでにかりんとう、アイスコーヒーを繰り返し、朝ごはん後に歯と顔を洗うと言いましたが結局時間がなくできず。着替えるときにパンツの履き替えを促すと「平気だからいい」と何度か拒否をしましたが「せっかくだから履き替えていこうよ」と勧めると「そうだな」と了承。今日のデ
母のマンションは築年数が古く、部屋の手入れや掃除も行き届いていないため、そのまま住むのは無理だった。また母の物もそのほとんどを処分しなくてはならない。不用品処分とリフォームの手配をし、その間に引っ越しの準備を進めていった。幸い仕事がフルリモートのため、時間のやりくりはオフィスに出社しているときよりも格段に楽だった。とはいえ正社員で仕事のボリュームも多く、母の施設へも行かなければならないのでなかなか大変ではあったが・・・。主人はものの見事に何も手伝わない。手続き関係なども疎く
主人の変化に一番強く違和感を感じ始めたのがこの頃だった。私の母が2022年10月に歩行困難になったため老健に入所し、実家のマンションに誰も住んでいないので私たちが2023年の6月にそこに引っ越すことになった。このマンションは母が倒れて仕事ができなくなって戻ってくる2010年頃まで、私たち夫婦が住んでいた。母が戻ってくる際に私たちはここを出て、近くのマンションに住んでいたが、足腰が悪くなり歩行ができない状態でエレベーターのないこのマンションに母が戻ってくることはできないので、母から「勿
しばらくは特におかしいことはなく、普通に生活をしていた。時折、アイスコーヒーを入れている容器の蓋のパッキンがちゃんと入っていなかったり、洗濯物のタオルの入れ場所が違っていたりはしたが、それくらいのことは前からあったので「お手伝いあるある」だろうと思っていた。しかし4月頃から違和感を感じる出来事が増えた。一つ目は、毎日電車とバスを使ってある駅の喫煙所に行くこと。家は禁煙にはしておらず、換気扇の下ではあるが自由に吸えるのに、なぜか毎日出かけていく。時にはA駅とB駅と梯子してくるこ
入院前の大切な土日。なのに昨日は私にとっては大きく後悔する日になってしまいました朝10時に寝たのに13時には起きてきた主人。17時にA駅B駅の一人喫煙ツアーに出かけました。このコースの場合は大体2時間くらいで帰ってきますし、前日のように夜遅くに出かけたわけではないので私も安心して待っていました。でも帰ってきたのは21時近く。途中で「遅いな」と思ってみまもりサービスの位置情報を見ると、自宅のある駅の近くの大きな公園にいました。主人がよくトイレ(和式)に行く公園です。帰宅
主人の入院中は病状が分からないため前頭側頭型認知症の変化について記すことができずに、最近は私のつぶやきばかりになってしまっています。本来の目的からちょっとズレてきた気がするので、少しずつですが日記を元に変化の振り返りをしようと思います。日記をつけ始めたのは、認知症専門病院に問い合わせをして「サインが出ているので受診してください」と言われてからです。元々は初診時に書面で出すために今までの違和感や変化をまとめていたのですが、私の気持ちを吐き出す場も必要だと思ってつけ始めました。い
2016年冬...心配で心配で何かおかしい。私〝多分何もないやろうけど、何もないならそれで安心やん〟心配性で定期的に胃カメラや検診と病院に通っていた母もその言葉に納得し受診することに。当時もうすぐ1歳の息子と3歳の娘を持つ私に母の付き添いは、難しく、妹に付き添いをお願いし、母のかかりつけの病院で検査をすることに。検査の結果脳の萎縮がみられるということで大きな病院で検査した方がいいと紹介状を渡され総合病院へ。今度はなんとか私が付き添い頭の
前頭側頭型認知症と診断されたものの、この病気のことを全く知らない私は翌日から仕事の合間や寝る前にネットで検索をしてたくさんの記事を読み、認知症に関する本をいろいろとKindleで購入した。今まだ症状が軽いうちに、今後のために少しでも情報が欲しかったのだ。そして読み進めるうちに、この病気の恐ろしさを知り心底震えあがった。前頭側頭型認知症は比較的若い人に発生すること。記憶障害は比較的少ないこと(主人は短期記憶、中期記憶の欠如が出ているが個人差のよう)暴力的な行為や万引きなどをすること。
新しいリビングテーブルが来る前に古い方のコタツを処分したのですが、お昼寝から起きた黒猫くんが「お、俺のコタツがない」とボーゼンとしてました。そりゃそうだよねw日記は入院が近いのにキレてしまった日のものです。ブログにも書いていたので重複しますが、辛い気持ちを日記で吐露しているので転記します。****************2024年1月20日(土)3時寝てない、4時寝てない、6時寝てない。10時にやっとベッドへ。風呂も歯磨きもしない。13時起床。ハンバーガーとバナナ、
私の母は、15年以上前に脳梗塞をやりました。右半身に多少の麻痺が残ったものの一人暮らしができる状態でしたので、介護保険でヘルパーさんにきてもらったり訪問リハビリをしてもらいながら、ずっと一人で暮らしていました。私は実家から原付バイクで10分くらいのところに住んでいましたので、何かあればすぐ行ける距離ですしね。その母が2022年10月に歩行困難になり入院、そのまま老健に入所となりました。筋力が弱ってしまったのでしょう。でも頭はハッキリしていますし、病気もせずに施設で元気にしていま
昨日の家族会の続きです91歳のおば様の介護に手を焼くYさんに対して99歳のおば様の介護をしているTさん初めて参加した時はおば様の我が儘に困惑されていました(こちらも独身で定年まで勤めあげた強者)どちらも同じくらいの年齢で生きてきた人生も似ていますそのせいなのか?認知症の症状も似ていてTさんも何度もショートから呼び出され出張もままならないとこぼしていたのを記憶していますしかしそのおば様がいよいよ人生の終末期を迎える状態になりその時が近づくにつれ胸が押し潰されそう
主人の入院日。無事(?)入院をしました。今朝も9時まで起きていたのでヤバいかな、と思ったのですが、予定の時間(14時)に間に合うことができました。寝る前に「今日は病院だよ」と言うと「うん」と言ってはいたのですが、私の車で行くとなると、絶対に仕度に時間がかかったり、最悪「行かない」と言い出すと思い、実は民間救急の車の手配をしておきました。11時過ぎに主人を起こす際に「病院から電話があって、頭の血管の状態がよくないのであまり動かないようにって。病院から迎えにくるから、それで行
無事に引っ越しを終え新居で暮らし始めた頃、主人の様子が変だな、と思うことが増えてきた。今までできていたブルーレイの操作ができない。テレビの録画ができない。そして、前のマンションで契約していたひかりTVが、今度のマンションは光ケーブルの関係で観れないことが判明したのに、何度も何度も「ひかりTV観れないの?」と聞いてくる。録画したものも著作権の関係で観れないのに、何度も「なんで観れないの?」と聞いてくる。その度に説明して「何度も同じこと聞かないでよ」と怒っても、翌日になるとまた「ひ
初のカンファレンスに行ってきました。主治医、担当看護師、栄養士、リハビリ療養士、相談員と、こちらは私とケアマネです。入院当初のように病棟の入り口に張り付いて外に出ようとする行動はなくなったということですが、病棟内を歩き回るのは変わらず、他のユニットに入って窓の外を見たり、テレビのリモコンを持っていったり、お茶を取ってしまったり、という行動があるそうです。他の患者さんが夜早く寝ているのにテレビの音量を上げてしまうこともあるとのこと。ただ「他のお部屋ですよ」「夜遅いので音量は落としま
昼夜逆転がどんどん酷くなってきた12月終盤の二日分の日記です。私も寝る時間が少なくなり、イライラが募ってきていました。そしてハンバーガーの執着が強まってきたのもこの頃でした。********************2023年12月21日(木)脳血流検査の日。何とか起きて病院へ連れていけた。13時に出るよと言ったのに出れたのは14時近く。今回もギリギリで間に合った。10時に起こしてもこんな感じか。家を出るまでに4時間みないと行けない。この病院は2回目な
8月上旬のある日、二人で銀座の「アクアリウム」を観に行った。テレビで紹介されているのを見て、私が「行きたい!」と私が言うと、主人も「行きたい」と言うのでチケットを買って出かけた。本当に驚くほどに綺麗で芸術的だった。しかし主人は展示を観ているものの、ゆっくりとは観ずに早足で通路を進む。お土産を見ているときも「まだ?」と落ち着かない。私は決して買い物が遅いわけではなく、むしろ早い方だ。それなのに・・・である。そして暫く銀座を散策、「食事でもして行こうか?」と聞くと「帰る」と言
12月の数日間は同じような行動をしているので端折ります。大晦日、年末年始休みだったので、少し時間に余裕ができたこともあり、いろいろと考えました。そのときの日記です。************12月31日(日)深夜3時寝てない。深夜3時30分散歩。6時に寝る。8時45分、私が起きると起きていて「ハンバーガー2個とバナナ食べた」と言う。9時もう一度寝る。12時起床。あんばんと焼きおにぎり2個。(朝早くにハンバーガー2個とバナナを食べたのは忘れていた)15時30分に
昨日の面会で、主人とたくさん話をしました。まずは年齢の話。いつも通りの「帰る」「ここは年寄りばっかり」と言ってきたので、「旦那は一般的には高齢者に入るけど、ここじゃ若いよね」と言ってから「いくつになったっけ?」と聞いてみました。そうしたら考え考え「・・・70・・・72?」と答えたので思わず大笑い。自分の年齢を忘れてしまったのか、という悲しみではなく「なぜ急に歳を取ったの」というおかしさがこみあげてしまったのです。つられて旦那も笑いながら「違うな」と言い、ポケットから入院時に手首
主人が入院してからの初の面会日です。やっと・・・会えました。髪と髭が伸びて、病院の衣服のせいか何だかちょっとみすぼらしい感じが・・・。会った途端に「あ、良かった迎えにきてくれて。一緒に帰ろう」と言われました予想はしてたんです。帰りたがるな、と。「昨日も車で迎えに来てもらおうと思って電話しようとしたのに、電話はできないって言われてさ」「今日は一緒に帰れるんでしょ」と。入院していること、脳の病気だということを話しましたが「そうなんだ、ヤバいんだ」と言うものの、すぐに「もうこ
12月12日、認知症や物忘れに特化した病院の初診日。前もって「この日は健康診断に行こうね」と言ってあったが、全く支度をしない。私が烈火のごとく怒り、やっとしぶしぶ支度を始める有様。本当にこの人おかしいのでは?と思うほどだった。何とかギリギリで予約時間に間に合い、受付を済ませる。臨床心理士のSさんと電話で話をし、その場で予約を取った後、今までの主人の状況を書面にまとめていた。(その書面がこのブログの回顧録の元にもなっている)仕事柄というか会社員の性というか、報告を口頭でダラダラと
回顧録の中でも書きましたが、本格的な便失禁をした日です。この日は夜の散歩での転倒もありました。症状の進みを強く意識した日でした。***************1月2日(火)頭にきてお風呂の蓋を閉めてガスも消した。どうせ言っても入らないから。気にしないで自分の生活ペースを守らないと私が倒れてしまうので、対応を変えよう。・お風呂を急かさない、入るなら勝手に入れ。ガスも切るし蓋も閉める。・私は寝る、眠くなったら勝手に寝ろ。・明け方にまだ寝ていなかったらガスとテレビは消す
MRIを撮りに行った日の日記です。この日くらいから夜中にコンビニで買い物してくる行動が出てきました。****************12月14日(木)この日はMRIだったが病院に連れて行くのに一苦労。前日や起きたときには「分かってるよー」というのに、支度を促すと「行かない。どこも悪くない」と頑として動かない。「健康診断だから前もってお金払ってるから」「いくら?」「15,000円」と言ったら勿体無いという気持ちが湧いたようで、やっと支度を始める。車の中で「一緒にドライブ行けて
元旦からすごく怒ってしまいました。新年になったばかりだというのに・・・。前日の「思いやり」はどこにいった?と思えるほど、怒りに任せて書き散らかした日記です。「後悔先に立たず」どころか「後悔役立たず」です・・・。*****************2024年1月1日(月)深夜2時にやっと入浴完了。3時寝てない。4時寝てない。6時30分寝てない。何度も促してやっと歯磨き。7時に寝る。10時に起きてハンバーガー2個とバナナを食べる。すぐコタツで寝るので、声掛けして10時
年末年始休暇に入り、少し朝寝坊ができるようになったおかげで、私の睡眠不足も解消されかかった1月2日の夜、とうとう「あの出来事」が起きた。まだまだ先だと思っていた、便失禁である。昨年の8月に少量の脱糞をしたことがあったがそれ以降はなかったし、多少の尿漏れはあるが年齢を考えれば仕方がないよね、くらいに思っていたが、今回はまさかの大量の便失禁だった。まず晩御飯後の散歩から帰るとすぐにトイレへ。「どうしたの?」を声をかけると「ウンチが少し出ちゃった」と。トイレを出てから下着を替