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以前悩んでいた上司からの霊感商法の勧誘についてです。『悩み事&嬉しかった事』前回のブログで病院へ行くと書いてから約2週間が経ちました。無事に何とか病院へ行く事ができお薬を貰ったのですが、なかなか症状は良くなりません。主な症状は、胃…ameblo.jp続きを書こうかとずっと迷っていました。詳しく書くと身バレしそうなので簡単に書きます。以前書いた通り、上司Bさんからしつこく霊感商法の勧誘を受け悩み続けていました。そこで信頼できる上司Aさんに相談をしました。Aさんは、Bさん
明日は、出勤時間が遅いので少しだけ日記を書きます。相変わらず体調は、不安定でお薬に頼りながら仕事をこなす毎日です。さらに今日は、普段は優しいお客さんが酷く酔っていて別人のようでした。暴言だけでなく殴られそうになったので思わず逃げました。他にも色々なお客さんがいていつも警察沙汰に巻き込まれないかという不安があります。警察沙汰になれば身分照会で元受刑者だという事が一発でバレてしまいます。そして数か月前からお金の管理も任されるようになりました。信頼して任して頂いているのですが常に
半年以上前の記事にも少し書いたので重複する部分があると思います。申し訳ございません。出所後、私は元受刑者だと知った上でパートとして雇って下さる企業様と運よく巡り合う事ができました。元受刑者だという事は、入社時点で”総務の方と直属の男性上司だけ知っている”という状態です。同僚の方達には、絶対に知られたくないので言わないで欲しいと前もって伝えていたからです。しかし、噂好きの直属の男性上司は古株の女性社員何人かに話してしまいました。入社して1週間後には、噂はどんどん広まり同じ部署の
今日は、出所後の話になります。※私個人の話で、他の方には当てはまらない場合が殆どなので、あまり気になさらないでくださいね。出所後は、父と母にかなりお世話になりました。そして、実家でお世話になりながらハローワークに相談して元受刑者だった事を明かしたうえで働き口を探しました。※服役中も探したのですが見つかりませんでした。その後、運よく働き口は決まり働かせて貰ったのですが、給料は異常に低くて10万円もない月が多かったです。10万円もない為、被害者の方々に渡せるお金はほんの僅かになってし
最近、3交代の仕事+掛け持ちバイトという生活に少しずつですが、やっと慣れつつあります。不器用ながらも必死に覚えて何とかやっています汗今週は、3交代の仕事が終わってから、さらに単発のバイトを入れてみたのですが、睡眠不足から頭痛が酷くなりました。3日間、ほとんど寝ずに働くのは、無理だったようです。体を壊したら全て台無しになるので、やっぱり3交代の仕事が休みの日だけに掛け持ちの仕事を入れます。また、父から「シャバの生活には、慣れてきたか?」と電話が来ました。シャバという言葉が、父から出ると
1年前に誹謗中傷なども覚悟の上で逃げない為に前へ進む為にブログを始めました。ブログを始めてから沢山の方々と出会い助けられてきました。最初の頃は、社会復帰が怖くて怖くて怯えて食事も喉が通らない状態だったのですが何とか1年が経ちました。安定剤と頓服を飲むながらですが逃げずに掛け持ちで働き続けここまでやって来れました。本当にありがとうございます。被害者の方々へも決められた金額を渡し続ける事が出来ています。また、湯浅さんのブログを読み改めて自分の罪の重さを実感しました
早稲田大学のサークル「スーパーフリー」輪姦事件の主犯、和田真一郎(44)の懴悔録ということで、週刊新潮2月21日号に7ぺージのインタビュー記事が掲載された。スーフリ事件とは、2003年5月に発覚した組織的な輪姦事件。早稲田大学の「スーパーフリー」のメンバーは「ギャルは撃つための公共物だぜ」を合言葉に1999年秋から女子大生への輪姦を行っていた。被害者の数は非常に多く、『スーパーフリー主催によるほぼ全イベントで強姦が行われていた』と、裁判の公判で被告人の1人が証言。被害者の総数は400名
※当時の事を振り返りながら戒めの為にも忘れないよう記録しておきます。気分が悪くなられる方もいると思うので苦手な方は見ないようお願いいたします。まず、私が犯した罪によって多くの人に深い傷を負わせてしまいました。詳しい事は書けませんが、被害者方達・そのご家族には一生許される事はないですし一生償っていかなければいけません。だけど当時の私は、逮捕され実名報道されても自分の事で精一杯だったと思います。両親とは、出所して仕事に就いた現在になってようやく普通に会話ができるようになりました。
私が収容されていたW刑務所には、歯科があったのですが受診するまで数か月待ちです。こんな事を書いたら失礼かもしれませんが、治療はかなり雑です。さらにお金がない人は受診しても抜歯しかできませんでした。税金で賄われているので、もちろん贅沢は言えません。なので虫歯だけには、なりたくないと思い歯磨きは、かなり念入りにしていました。しかし、刑務所に収容されてもうすぐ3年目を迎える時に左の奥歯が痛くなりました。奥歯を見ると少し黒くなっています。何かついているだけなら良いと思い歯ブラシで必死に
被害者の方々やご家族にお渡ししているお金について、コメントやメッセージをくださった方が何人かいらっしゃいました。特に待ち人様の中には、どういうお金なのか不安に思われた方もいらっしゃったと思います。不安にさせてしまい申し訳ございませんでした。なので、その事について少しだけ身バレのない程度に書きたいと思います。私は、刑事裁判で実刑が確定した後に被害者の方々やご家族から民事訴訟を起こされております。私自身がしてしまった事であり被害者の方々やご家族のお気持ちを考えると訴えられるのは当たり前
早くも2月ですね。3月まで休みがないと書いていたのですが、実は本日有休を頂くことができました。せっかくの休みですがお昼過ぎまで爆睡しておりました。体調は、未だに回復せず相変わらずお薬に頼りながら生活しています。母に「薬の量が多すぎるんじゃない?」と心配されたのですが、飲みながらではないと仕事ができないので辛いところです。ちなみに逮捕されるまでは、体はかなり丈夫でした。風邪なんか全然ひいたことがなく学校も仕事も休んだことがありません。しかし、逮捕後から免疫が一気に下がっ
この前は、吐き気と闘いながらブログを書いておりました。結局、この日は一睡もできませんでした。そして、次の朝トイレへ行こうとしたら冷汗と悪寒と目眩で倒れてしまいました。そこから立ち上がろうとしても力が入りませんでした。しかし、その日は人手不足で残業もあったのでシャワーまで這っていき何とか体を温めました。そして、フラフラ状態で職場へ行き倒れそうなのと吐き気に耐えて何とか仕事をこなして帰ってきました。そこから1週間、吐き気は少しマシになったものの全身に発疹や下痢が出続けています。
○。。●。。○。。●。。○。。●。。出所後、しばらくしてから電話営業の仕事を始めた元夫。外面と話し方は上手だったので仕事は順調だった。元夫は年金生活の父親と一緒に住んでいた。アパートの家賃は父親が出し生活費や光熱費は元夫が半分出していると言っていた。給料が出た後元夫は約束通りの金額を養育費として渡してくれていたので毎月1回子供たちに会わせていた。娘は父親の記憶はないが元夫が一緒に遊んでくれるので少しずつではあるが慣れてきた様子だった。養育費は話し合いで決めた
仕事が終わったので日記を少し書きます。以前も書いたのですが、W刑務所に移送された時、面接と共に学力テストもありました。私は勉強が苦手だったのでテストの結果は散々だったと思います。仕事さえしていれば勉強をする必要がないと思っていたので刑務所に入る前は、ネットやテレビばかり見ていました。しかし、逮捕され女子刑務所に入ってからはネットやテレビを自由に使えなくなり官本を借りて読むようになりました。私の居たW刑務所では官本は、最大3冊まで借りれます。拘置所に居た頃は最大2冊までだったので1
刑務所に移送されて1年目は、イジメはありましたが、慣れるのに必死で色々と考える暇は、あまりなかったです。だけど刑務所生活2年目になると進級してトイレが外にある鍵の無い雑居部屋(開放寮)に移ることができ酷いイジメに遭う事もなく穏やかになりました。嫌がらせをずっとしてきたYさんもついに出所しました。しかし、ゆっくり考える時期ができたからか、今度は犯した罪についてや今後の事について深く考えるようになりました。考えれば考えるほど不安感や苦しさが強くなっていきました。もう、出所しても逮捕前の
仕事が忙しくブログの更新がまたもや滞ってしまっていました。気が付けばもう春ですね。しかし、まだまだ寒くて湯たんぽは欠かせません。ブログが滞っている間、メッセージを頂きました。とても温かい言葉で溢れていました。私は20代の一番大事な時期に事件を起こしてしまいました。そして、女子刑務所で受刑者として過ごしました。事件後は、いつ死んでもいいと思い続けていました。出所後も、そのように思いながら自分の心身を痛めつけ休まずに仕事をして過ごしてきました。ブ
現在の事です。出所後は、友達とも自分から離れました。中にはハガキを送ってくれた友達もいましたが、出所後は体調が悪く一度会ったきりでした。そして、彼氏には勾留中にフラれました。後、刑務所を出所してからどうやって調べたのか支援したいという人も訪ねて来ました。でも実際は支援をするのではなく、あれこれ聞いて挙句の果てには金銭を要求されました。寂しい気持ちもあり仲良くなり色々と話してしまった事を後悔しています。弱った時に危ない誘いが来るんだと実感した瞬間です。現在は、誰も知らない土
今回の内容は、不快に思われる方がいるかもしれないです。本当に申し訳ございません。事件を起こした直後、私は被害者の方達ではなく自分の事だけを考えて怖くなり逃げてしまいました。私の行動で結果的に大勢の方々を傷つけてしまいました。罪悪感は、服役後も消える事はなく当時の事が今でもフラッシュバックしてしまいます。その後も自首する勇気は出ず、事件を起こした後は何度も自殺しようとしていました。でも、自殺する勇気もありませんでした。私の様子がおかしいと母はとても心配して何度も必死に励まして
出所後の話を書きます。逮捕されてから出所後の現在まで体調不良と不眠に悩まされています。自責の念が強く服役中は食べられない期間が続きました。無理やり食べても吐き気がして思うように食べられません。それほど精神的負担が強いです。ブログに記録して置こうと思ったのも自責の念があるからです。被害者の方の気持ちを考えるとさらに苦しくなります。私の行動で多くの方を傷つけてしまいました。今も考える度に胃腸がズキズキと傷んでいます。償う為にも私が出来る事は、誠意を持って仕事をし、ひたす
※ただの愚痴ですので見たくない方は、閉じてくださいませ。私は、今まで迷惑を掛けた分、実家に少額を仕送りしているのですが、「2万円じゃ足りひんわあ」「お金がないから苦しい」ついに母に言われてしまいました。現在、父も母も働いておらず父の年金だけで暮らしており体調も悪いので本当に申し訳ないと思っています。そこで少しでも多く渡せないかと思い、空いた時間にできるポスティングを期間限定でやってみる事にしました。今日は、出勤前の2時間頑張ってきました。しかし
今日は、午後に出勤して夜に終わるコースです。よく怒鳴ってくる社員さんとは入れ違いなので気持ち的に今日は楽です。刑務所の人間関係も大変ですが、出所後の人間関係も難しいです。また、私のブログをフォローしてくださっている方が何人かおり、こちらもフォローしようかと思ったのですが、私のブログがフォロー欄にあるとご不便をおかけすると思い御礼だけでも言わせて頂きます。本当にありがとうございます。イイネだけでもと思ったのですが、アメンバー限定になっている方もおり御礼を言えませんでした。で
出所後は、元受刑者だと伝えた上でハローワークに行き仕事を探しました。隠して就職をしたとしても後に分かってしまえば直ぐに解雇になる可能性が高いと分かっていたからです。刑務所に服役中も、ハローワークの受刑者専用求人で就職口を探しましたが残念ながら見つかりませんでした。出所後は、引受人の両親の元へ帰り地元のハローワークへ行きました。担当して下さった女性は、元受刑者だと伝えた途端、笑顔がなくなりました。元受刑者だと知り怖いのだと思いました。辛かったですが私自身が招いた結果なので仕方ないと
前回は、彼と一緒に依存症子さんに会い『罪友会』に行って色んな方と触れ合う事で同じ方向に向けた様に感じたと書きました。彼は、初めて社会で1年半もの月日を過ごす中で、長い間刑務所で過ごしていた分、色んな体験を積んでいるところです。社会生活が短ければ短いほど、社会での常識やマナー、そして理不尽な出来事に、つまずく確率が上がります。繰り返す閉鎖的な刑務所生活ではコミニュケーションというものをあまり学べないだけでなく、臨機応変という柔軟な考え方を育てる事は難しい。それに該当するのが、彼です!服役