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河川敷で言った、私の一言『償うより大事なこと』これに対して、Mさんは考えていた。私はのんびりと桜を眺めていた。月と街灯の明かりが、桜をほんのりと照らす。キレイ…スマホで写真を撮りながら、私から話し出した。「Mさん、償うって、方法によっては簡単。慰謝料を払うとか、弁償するとか…ホント、償う側は簡単だよ。それで終わりにできるしね…Mさんが今、私にお金を返済してるのも、子供の事や家事の協力をするのも、Mさんにとっては『償い』なんだと思う。でも被害者って、お金
すごくすごく考えた。何をしたら償いになるのか考えた。それはきっと『離婚』する事だ。ある意味お金もその一つかもしれない。けど、償いは『離婚』する事だ。おたがい弁護士たててるし、第一回目の調停が来月にある。けど、もう直接伝えた。償いとは、旦那を自由にしてあげること『離婚』だと思ってる。働いて自分のお金で今までの費用を払おうとも思ってる。このLINEを証拠にして即離婚にもっていってくれてもかまわない。ただ、私は別れたくない気持ちはかわってない。で
出所後は、元受刑者だと伝えた上でハローワークに行き仕事を探しました。隠して就職をしたとしても後に分かってしまえば直ぐに解雇になる可能性が高いと分かっていたからです。刑務所に服役中も、ハローワークの受刑者専用求人で就職口を探しましたが残念ながら見つかりませんでした。出所後は、引受人の両親の元へ帰り地元のハローワークへ行きました。担当して下さった女性は、元受刑者だと伝えた途端、笑顔がなくなりました。元受刑者だと知り怖いのだと思いました。辛かったですが私自身が招いた結果なので仕方ないと
Mさんからの告白『幸せにしてあげるから、やり直したい』どういう意味の発言なのか…本当にそう思っているのか…彼女を守る為に言っているのか…これまで、何度か『彼女を訴える』と、私はMさんに言っていたが、その度に『そんな事したら、一生彼女に償うしかない』と、Mさんは言っていた。償う相手が違うだろっ。Mさんが彼女を庇う度に、私の心はまた一つ、傷が増えていく。そんな想いでいた。そして先日、弁護士と会って、彼女を訴える決意をしたが、私的には代理人を立てずに、彼女と話し合いが出
私が収容されていたW刑務所には、霊安室がありました。他の刑務所にも霊安室は、あると思います。受刑者生活に慣れてきた時期に、霊安室で先生たちが出入りしているのを見ました。私と同じW刑務所に収容されている女子受刑者が亡くなったのです。ここで亡くなると火葬され遺骨になって遺族に渡されると聞きました。でも、遺骨の受け取りを拒否される遺族も多いです。その場合は、これまでにW刑務所で亡くなった他の女子受刑者達も眠る共同墓地へ入れられます。また、W刑務所には、多くの高齢受刑者がいました。累
刑務所に移送されて受刑者生活が始まり暫くたった頃。免業日に、犯罪の被害に遭われ大切なご家族を失った方の話を聞く機会がありました。当時の事を思い出すだけでも手が震えます。遺族の方は、事件から数年経っても心が晴れる事はなくずっと悲しみの中にいました。苦しくて辛い経験なのに涙を流しながらも私を含む聞いている受刑者に向かって最後まで気丈に心境を語っておられました。受刑者の前で話すのは、とても怖くて勇気のいる事だったと思います。事件が終わり何年過ぎようとも被害者遺族の方の心の傷は癒えな
今日は、掛け持ちの仕事の日でした。少しでも自分の稼いだお金を被害者の方々や両親に渡そうと本業の仕事と掛け持ちし始めたのですが慣れない仕事は、やはり緊張します。仕事をし始めると大丈夫なのですが、新しい職場なので行くまでが緊張してしまい疲れてしまいます。仕事のしんどさよりも今は、緊張の方が大きいです。刑務所へ移送される前日と当日もブログ記事では、落ち着いているように書きましたが、緊張感で死にそうでした。移送されるバスの中では、あまり刑務所の事を考えないよう過ごしていたと思います。時よ
今日は、出所後の話になります。※私個人の話で、他の方には当てはまらない場合が殆どなので、あまり気になさらないでくださいね。出所後は、父と母にかなりお世話になりました。そして、実家でお世話になりながらハローワークに相談して元受刑者だった事を明かしたうえで働き口を探しました。※服役中も探したのですが見つかりませんでした。その後、運よく働き口は決まり働かせて貰ったのですが、給料は異常に低くて10万円もない月が多かったです。10万円もない為、被害者の方々に渡せるお金はほんの僅かになってし
私が刑務所へ移送されてから暫くして父と母が面会に来てくれました。実家から私が収容されていたW刑務所へは、かなり遠く時間が掛かるのでとても大変だったと思います。父と母は、電車とバスを乗り継いで面会に来てくれました。さらに父と母は、私と面会する前に有名なお寺へ行ってきたらしく、母は「(私)ちゃんが健康で幸せでありますようってな。お願いしに行ってきたからな」と言ってくれました。父も厳しい事を言いつつも父なりに刑務所での生活を応援してくれました。私の場合は、逮捕されてから刑務所を出所す
いつも暗い話ばかりで本当に申し訳ございません。私の記録ばかりを書いてあるので、あまり楽しい話題の記事は少ないかもしれないです。しんどくなったらフォロー気にせず外してくださいね。以前、ブログに出所後、精神科を受診した事を書きました。逮捕されてから服役中まで、ずっと”死にたい”という衝動が起きてしまいどうしようもなくなる事がよく襲ってきました。また、出所してすぐの頃は、罪を犯した瞬間が何度もフラッシュバックしてしまいパニック状態になっていました。そこで周りから精神科への受診を勧め
犯罪にも種類があるのですが、私が事件を起こしてしまったのは突発的で取り返しのつかない事でした。私の行動により多くの人達を傷つけてしまいました。事件を犯した後は、私の様子がおかしいと家にいる母に心配され何があったのかしつこく聞かれましたが何も答えられませんでした。結局、母には警察が来るまで犯罪を犯してしまった事を言えないままでした。その後、逮捕され容疑者としてマスコミに実名報道されてしまいました。実名と年齢がニュースで流れてしまったので、当時やっていたフェイスブックアカウントから顔写真
以前、夫は私が崇拝するさだまさしさんを快く思っていないようでした。「さだの歌はいいけど、おしゃべりな男は好きじゃない」なんてそれが、ある日(かなり前の)仕事から帰って来るなり、台所の私の所に来て「今日は、ラジオから流れたさだの歌に泣いてしまった」と言うのです。「えっ?どの歌?」「償い」「ああ。」(さもありなん)「ゆうちゃんと言うのにもつまされてしまって」ゆうちゃんは、うちの長男の名前と同じです。それから、夫のさださんに対する頑なな心は和らいだような気がします。