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土津神社は、磐椅神社の西側近くにありますが、磐椅神社の末社という位置付けのようです。祀られているのは、土津神霊こと初代会津藩主・保科正之公。下記リンクを読めば、保科正之は、一地方の藩主というより、国政の場において、多くの民のために善政を施した方であることが、よくわかります。《参照》『保科正之』中村彰彦(中央公論社)ご祭神|土津神社【公式】には、保科正之公について、以下のように書かれています。二代将軍・秀忠公のご落胤、三代将軍・家光公の異母弟。幼名「幸松」。母は秀
【東京】東京都八王子市台町の武田信玄公息女松姫さま開基信松院新たにステキな穴守稲荷コラボ御朱印帳がいただけます【穴守稲荷コラボ御朱印帳】【信松院御朱印帳】以前お受けした【信松院御朱印帳】(大判サイズ)松姫さま400年遠忌記念で奉製されました【穴守稲荷御朱印】令和6年から境内にある穴守稲荷の御朱印がいただけます【信松院御朱印】【信松院御朱印】以前お受けした【信松院
徳川2代将軍・秀忠の子供でありながら、保科を名乗り続けた会津藩主・保科正之(1611~1673)。社会に多大な功績を残した人物であるにもかかわらず、明治維新を境にこの人物のことは語られなくなった。故に今日では知らない人々が殆どである。【江戸城本丸・天守閣・再建せず】江戸城本丸・天守閣は、五層五階地下一階の大建築であった。この天守閣が消失したのは1657年「明暦の大火」の際のこと。天守閣再建が検討されたとき、会津藩主・保科正之は主張した。「ただ世間を観望いたすのに便利だというだ