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2000年6月30日、横浜で試合がある日、リングサイドで長州力と佐々木健介と越中詩郎がトレーニングをしていた。7月30日に横浜アリーナで長州力VS大仁田厚のシングルマッチが決定していたが、大仁田はまだ、電流爆破マッチをやるという確かな答えを新日本プロレスからもらっていなかった。大仁田としては、長州と普通のルールで試合をする気はないし、長州が勝つに決まっている試合では興行的にもマイナスだ。電流爆破マッチという大仁田の土俵なら、まだどうなるかわからないと興行的にもプラスといえる。
1999年6月27日、静岡でIWGPタッグ選手権試合が行われたが、王者チームの佐々木健介と越中詩郎は、挑戦者チームの後藤達俊、小原道由組に敗れ、ベルトを奪われてしまった。後藤の必殺バックドロップで越中がフォールを奪われた。後藤のバックドロップはまさに一撃必殺で、劣勢でも一瞬で決まってしまう。タイトルマッチの試合後、新日本プロレスではよくチャンピオンを囲んでビールで乾杯し、ビールかけが行われることもある。まさか後藤と小原が新チャンピオンになることを想定していなかったのか、後
2004年10月9日、両国国技館のメインはIWGPヘビー級選手権試合。王者・藤田和之に挑戦するのは佐々木健介。背水の陣の健介をリングサイドで北斗晶が見守っていた。序盤はグラウンドの展開か。藤田が胴絞めスリーパーで攻めると健介がブリッジして藤田の両肩がマットにつく。レフェリーがカウントを数える。「ワン、ツウ・・・」「危ねえ!」とばかり藤田が慌てて跳ね返し、スリーカウントは入らなかった。これが伏線のつもりか?もう一度藤田が胴絞めスリーパーで攻める。同じ
2004年1.4東京ドーム第8試合は危険過ぎる闘い。永田裕志VS佐々木健介のシングルマッチ30分1本勝負。ゴング前から永田が健介を蹴る!永田の目が危ない。新日本プロレスが一番大変な時に離脱した健介。しかしWJプロレスが崩壊すると、新日本プロレスに禁断の出戻り。会社が復帰を認めても永田は認めていなかった。ゴングが鳴るといきなり感情剥き出しの蹴り合い、張り手合戦、エルボー合戦、壮絶な張り手合戦。健介がロープに飛ぶと永田が腕にキックを叩き込み、ハイキック、ローキッ