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おはこんばんは。すっかり春めいて、ミネソタン(ミネソタ人)はワクワク気分で外に繰り出す今日この頃です。🌸いや、桜はもう今週末くらいかなミネソタは。さて、先日びっくりの展開で今まで父の認知症話から、一気に母の話題へ急展開でしたね。まさにこれっていつ自分が介護者になるかわからない。私の書いたことをお読みいただいた方が、勇気をもらえたり、後悔になったり、ただ言葉がない、って思ったり色々感じていただいたこともあるかも思うんです。私自身も読んでもらって同情してほしいとかでは
3/7に最初の介護認定を受け、その後再申請をした結果が4/17に届いた。結果は、初回結果と変わらず。要介護4私達家族は、介護認定結果を要介護5だと予測していた。理由は、父は意識不明で認知能力、身体能力がないからだ。そこから、家族が理解できる理由を見つけたくて、インターネットで厚生労働省の資料を見ると、父の場合は、食事の介助時間はないので、そういった理由なのだと理解ができました。介護認定結果について、少しの説明文章や、説明を聞ける機会があるといいのにと感じました。これまでの人生にまった
おはこんばんは〜。またまたセーターを引っ張り出しながらも春はそこまでと信じて過ごしています。さてさて、昨日のブログでは、かなり母の状況おちついてる、と書きました。しかーし!!!実は昨日のブログを上げる前に、また小波が押し寄せました。昨日の夜、皆がそれぞれの部屋へ行き私が1人で片付けをしていると、母が不安げに降りてきて(その時は何かある)私「どうした?」と聞くと、母「いや・・・私家族いるよね?」私「そうだね、誰が家族かわかる?」というとこ
おはこんばんは。ミネソタも帰ってきてみたらいきなり春になってきて樹木の蕾も一気に膨らむ季節となりました。さて母と意気揚々とアメリカへ来たわけですが、いきなりですが、前途多難な幕開けです事態の好転ばかりではないのはわかっていましたが、母の認知が急速に進んだと感じる出来事がいくつかありましたので書き記しておこうと思います。勿論着いたその日はクタクタで、でも子供たちの習い事の送り迎えなどがあり疲れ果て私は秒でグッスリ眠りました。翌朝は普通に起きて時差ぼけはないかに見え
今年1月13日(日)後から考えたら、倒れる1週間前のこと。その日は、母と観劇に行きました。観劇帰りの夕方、父と待ち合わせ、3人で食事へ。その時の会話は、観劇についてや、4日後が父の誕生日だったので、お祝いの話など、いつもどおり、笑顔で過ごした時間。誕生日をむかえることで、病気することなく健康でいられることに、父は亡き親への感謝の気持ちを語っていました。食事した東京の店を出ると、両親はバスで埼玉の家へ、私は電車で横浜の家へそれぞれ帰り、別れ際、父は私に、実家に泊まらないの?と泊まってほしそ
今年1月20日、左右両方の脳出血で倒れ、緊急手術をした父。開頭手術をし、頭蓋骨はお腹の脂肪のなかに入れた。2月19日、お腹のなかに入れていた頭蓋骨を取り出し、頭に戻す手術をおこなった。もう1ヶ月もたつんだ。術前の頭は、べこっとへこんでいて違和感ある頭でした。もとに戻るんだ、嬉しい。術後、またも包帯ぐるぐる巻きの頭。そして、4-5日間は顔も腫れあがった。これまで健康で手術の経験がなかった父、この1ヶ月で、頭を2回、お腹も20㎝ほどを2回きり、気管切開、肺、と、大変な1ヶ月を送った。体力
倒れてから2ヶ月間は目を開けることができなかった父。開かないけどピクピクという動きをするようになって、家族で喜んだ。リハビリテーション病院に転院してから、リハビリ途中で片目が開き、私は泣いた。そして、リハビリ以外でも、たまーに、ほんの一瞬ベッドでも片目を開けるようになり、そして、倒れて3ヶ月、両目を開けたときは、また泣いた。今では、両目を開けていることが増えた。増えた…といっても、開けている時間は数秒~数分。開ける頻度が増えた。眼球の色も薄かったときから、もどってきたような気がする。
60代の父と母をもつ私40代の娘。同じ40代の兄がいます。兄弟二人とも家庭をもち、実家はでています。とても元気な家族で、笑顔に溢れていた日々が一転。今年1月父が脳出血で倒れました。背が高くて、恰幅のよい父、風邪で寝込んだことも記憶にないくらい健康で、まだまだ仕事もしていました。そんな父が…目まぐるしく過ぎてゆく日々と、追いつかない気持ちを書き留めておきたい。心のページです
一日数回、栄養を鼻からチューブで入れている。口がたまに動く。何かはいってきてるってわかるのかな…。ふと見ると、父が口からあわをふいていた…。その姿にショックをうけ、すぐにはっと、きっと呼吸苦しいよね、危ない。ちょっとびっくりしたが、キレイに拭き取ったら落ち着いた。栄養入れると、痰もでやすくなり、苦しそうになる…。まだ私には、元気な父が鮮明すぎて、日々こういう姿を見ていくってことが、受け入れられてない…。何もできないとは、寝ているだけの姿を想像していたけど、こういうことか、、父をみ
父が今年67歳となった1月17日。後から考えたら、倒れる3日前のこと。私は父にメールを送りました。おめでとう。最後に送ったメールとなった。その後父からの返信メールはなく、父から最後に届いたメールは、1月13日待ち合わせした時、今バスに乗ったよ。でした。誕生日、メールですませず、会えばよかった…会っておめでとうって伝えたかった…会っていらたら、運命は変わっていたかもしれないと後悔が押し寄せる。
一般病棟に移ってから2日後、医師から説明があった。最近撮った術後の脳の画像。腫れは落ち着いてきていたし、中心位置も戻ってきていた。意識不明のことについては、今後、目を開けてくれるかどうか…。倒れた日の説明では、片麻痺、失語などの可能性を話されていたし、家族も質問していた。ただし意識回復が目標だと。今回は、失語や片麻痺の言葉は誰からもでなかった。気管切開の話になる。私の気持ち、今の人工呼吸器がついた状態で目も開かない父。気管切開をして、この状態で生かされていくのはどうなのか…。医師に話
病院から袋に入った状態でわたされた。父が着ていた服と靴…。ビリっと切られた服を見て、大変だったね…。倒れたときを想像してしまう。助けは呼べなかったのか、呼んでほしかった。痛かったのか、苦しかったのか、意識がなくなるまで、どれくらいの時間を苦しんだのか。父は東京都で個人タクシーをしていた。倒れたのは車内。誰も乗せていなかった。車を駅付近の道路脇に停めていたそう。異変に気がついてくださったのは、バスの運転手の方。きっと数時間も同じ状態だったのだろう。最後のメーターは午前1時ぐら
脳出血で倒れた父。目も開かず意識不明が続いている。それでも、顔を真っ赤にして苦しい顔をする時がある。苦しさで身体も動く。ピンコンピンコン、機械音も鳴る。最初はすごく驚いた。原因は痰がつまっているのだ。意識不明でも苦しいのか…。看護師の方が痰吸引してくださる。口からは人工呼吸器がつながれているので、鼻からチューブを入れ、吸引する。それが、すごく苦しいという。顔が真っ赤になり、身体全体で苦しさを伝えている。数分のことだが、見ていられない。そんなことが1時間おきにやってくる…。生き
どういうわけか、父の年齢が、実年齢より10歳若い57歳と書かれていた。ベッドにも。父の手首バンドにも。気がついたのは、1月20日に倒れ、そのまま開頭手術となってから、確か2~3日後のことだ。どういう経緯かわからないが、他人から見たら、50代でも違和感がないのかもしれない。背が高くて恰幅がよく、シワもまだないし、白髪も目立たない父。開頭手術する際、本人にはかなりの負担がかかる。その判断のひとつに、患者の年齢もあるのではないだろうか…。もし、57歳ではなく、67歳と理解していたら、何か違っ
リハビリ中、父を立たせたとき、片目だけだけど、はっきり目が開いた!ドキッとした反射の反応なのか父が倒れて初めて見た父の瞳に、嬉しくて、そして悲しくて涙が溢れてしまった。スタッフの方が、「○○さん、いいとこ見せれましたね!」と父に声をかけた。リハビリ中にもかかわらず、さらに涙が溢れ出す。悲しかったのは、父の目が、父の目ではなかったから。私の知ってる目ではなかったから。目が合わない…。何も見えていないのだと思った。でも、生きようと必死な目だった。お父さん、しっかり目が開いてるよ。
まだ意識不明のなか、3/1抜糸した。大きな大きな傷に、かなりの数がホチキスのようにおおっていたもの。抜糸された。頭と、頭蓋骨を入れていたお腹、同時に抜糸。1月20日、開頭手術、お腹に頭蓋骨入れる2月19日、お腹から頭蓋骨取り出し、頭蓋骨戻す手術をした傷跡同じく3月1日、送っていた酸素をとめた。自発呼吸。たまに、苦しそうに大きく息を吸い込む父。心配…。どうにか酸素を父の口元に集められないかと思ってしまう。夜はまた酸素を送ってくれるそうなので、日中は側にいた。
今年1月20日に倒れてから約10日ほどで、ICUからHCUに移った。顔の腫れは落ち着いてきたが、父の意識はまだ戻らない。人工呼吸器もまだついている…。熱が出やすくて、からだのまわりにアイスを置いている。冷たそうだ。
保険証など、父の荷物をいろいろ見る、探すことが、とても嫌だった。こんな日がくるなんて…。あらためて父が見えないところまで几帳面な人だと知った。すべてひとつのところにあった。保険証券などもすべてひとつのところにあった。私は何かととっておき、不用な書類も結構ためてしまうほうだ。だが、父は不用な書類がなく、見つけやすく、探しやすかった。すぐに、見習った。自分に何かあったら、ここにすべてあると夫に伝えた。もっているクレジットカードもすぐ解約できるよう、わかりやすくまとめた。保険、クレジットカ
今年1月20日に脳出血で倒れ、意識不明が続いている父。2月13日、気管切開手術をした。麻酔がきいているというが、見た目にはわからない。大きな管がとれ、父が少しでも楽になったと思うと嬉しい。今まで鼻からチューブを入れていた痰吸引は、気管切開したところから痰吸引する。それは、変わらず苦しいみたい。意識回復したときは、声がでなくてびっくりしちゃうよな。
今年1月20日に脳出血で倒れ、2月5日、一般病棟に移った。父の意識は戻らない。目も開かない。人工呼吸器がついている。その状態でも一般病棟なのは不安に思うが、仕方ない。ICUやHCUには、日々、救命のために、次々と運びこまれてくる。
開頭手術で左側を大きく開いたことにより、顔を右側に向けていることが多かった。向けていることが原因いうより、恐らく、右耳が折れた状態が続いていたと予測する。顔を右に向ける際に、耳の状態まで確認していないのだろう。ICUに入っていた術後数日で右耳が炎症し、血がではじめた。どんどん酷く大きくなり、耳鼻科の先生に毎日処置していただいたが、治ることはなかった。右耳壊死…。
頭蓋骨を戻す手術をした3日後の2/22から、日中は人工呼吸器をはずした。意識不明は続いている。ただ酸素は送っている。夜はまた人工呼吸器をつける。途中、呼吸を休んでしまうことがあるので心配の日が続いた。
意識不明の父はオムツをしている。意識不明でも便がでてる。便意を感じてるのだろうか。少なくても、りきむ力が必要のはず…。なんか、嬉しくなった。