ブログ記事789件
●孔雀明王(くじゃくみょうおう)(※画像は文化遺産オンラインから)(東京国立博物館所属「孔雀明王像」)インド名は「マユリ」、若しくは「マハーマーユーリー」。マユリとは「孔雀」の意味であり、マハーマーユリーは「偉大な孔雀」と訳されるインド神話の女神のこと。そのため「孔雀仏母」、「仏母金剛」とも呼ばれる。常に孔雀に乗った姿で描かれると共に、明王でありながら憤怒の形相ではないばかりか、手にする持ち物も武器ではなく蓮華や孔雀の羽である。孔雀明王は嘗て僧をしていたとき、毒蛇に噛まれ
(原文)今は昔、忠明といふ検非違使ありけり。若男にてありける時、清水の橋殿にして、京童といさかひをしけり。京童、刀を抜きて、忠明を立てこめて殺さむとしければ、忠明も刀を抜きて、御堂の方ざまに逃ぐるに、御堂の東の端に、京童あまた立ちて向かひければ、その傍にえ逃げずして、蔀のもとの有りけるを取りて、脇に挟みて、前の谷に躍り落つるに、蔀のもとに風しぶかれて、谷底に鳥の居るやうに、やうやく落ち入りにければ、そこより逃げて去にけり。京童は谷を見下ろして、あさましがりてなむ立ち並みて見ける。
受験生の皆さま、ご健闘をお祈りしています。先日、鎌倉でおとずれた三浦氏一族のやぐら山肌にうがたれた坑が自然と一体化した洞穴のようにくらくてここを墓所にするとはどんな心のありかただったのだろうと疑問がわいたのでした。やぐらは右奥の黒い穴手がかりをもとめ場所は違えど鎌倉時代初期に完成したというそれだけをたよりに『宇治拾遺物語』を選んでみたら、町田康さんによるぶっ飛んだ現代語訳におったまげ!池澤夏樹責任編集日本文学全集より『宇治拾遺物語』町田康訳全集第8巻の
今は昔のこと、夏の七月の暑い盛りに、大和の国から、多くの馬に瓜を積んで、下人どもがおおぜい、京へとのぼっていった。途中、宇治の北に、「ならぬ柿の木」という木があるが、その木の下の木陰に、この下人どもが皆、腰を降ろし、瓜の籠もすっかり馬から降ろして、一息つき涼んでいた。瓜は籠のほかに、下人どもが自分用に持ってきた瓜もあって、それを取り出して、皆が切り分けて食っていた。そこに、近在のものであろうか、ひどく年をとったひとりの翁が、単衣に帯を締め、下駄をはき、杖をついた姿で現れ、瓜を食っている下人ど
マルコロ今昔物語という個展に行ってきました♪マルコロチャンたちをお迎えしました可愛い😍本物のマルコロチャンもとても可愛い人です東京では4年ぶりの個展だそうで、かなりの賑わい私が伺った日は最終日前日だったのだけど、作品がどんどんどんどんみなさんの元へー会場を出てみたら、待機列ができていました。行けて良かったよー連れて帰れて良かったよーその後、渋谷でランチしてvironでパン買って、自由ヶ丘であれこれ見て帰ってきました。欲張ってどんどん歩いてどんどん見てあれもこれも感じて、最