ブログ記事4,178件
暮らしと算命学*「組織や集団的な生き方」人間の心と言うのは、生き方や暮らし方の中でかなり成長していくものですが、そのためには、先ず自分の命を人任せにするような心が大切なのです。ある意味では、死に対する覚悟で生きると言うことです。生きるという「覚悟」のある、なしは「心」の大きな問題ですから、心は強くあって欲しいものです。大運天中殺や天剋地中が来るからと言って、右往左往しているようではまだまだ新米で、そんなものに振り回されない心を育てて欲しいものです。この現実と精神のバ
昔、宇宙には神様がただ一人住んでました。神様の周りには誰もいませんでした。ある時、神様は友達を作ろうと思いました。そこで神様はまず地球を作り、何十億年もかけて草や木、自然をはぐくみ、生命を大切に育て、そして最後に自分に似せて人間を作りました。神様は人間と話をしたかったのです。やっと神様にも話し相手が出来ました。人間は愛し合った者同士で恋をしました。結婚をしました。子供を作りました。どんどん人間が増えました。神様には一つの希望しかありませんでした。それは、みんなと仲良く暮らしていくこと。
『自死遺族の集い星めぐりのうた』は、以下の日程で開催いたします。直前のお知らせになりましたこと、お詫び申し上げます。日時:2月9日(日)PM2:00~4:00場所:ル・シーニュ京王線府中駅南口直結6F第6会議室A(詳細は下記HPよりご確認ください。)HP↓自死遺族の集い星めぐりのうた東京都府中市で自死遺族が運営する分かち合いを定期的に開催しています。huchuu-amayadori.amebaownd.comご興
入院4日目で、午前中のラジカット点滴で治療は終わりなのでその後は夜まで基本暇だ夕方くらいには、奥様と息子が来るのでそれまでは。。フリーだから、病院周りのポケモンGOのジムやポケストが唯一の楽しみかな。。昨日のお祭りもそうだけど、最近人のSNSを、流し見くらいはチェックしてるが、ガッツリ直視出来ないまだ、リア充をシッカリとは見れないかなぁなにかの写真とか見るたびに。。おれはこの動きはもう出来ないよなぁいいなぁ。。こんな所にはもう行けないよなぁなどなどテレビも、入院し
算命学で言う「神」というのは「自然界の法則」のことを言うので祈れば救われるとか悪いことしたら地獄に落ちるとかそういった宗教的な神とは違っています。なので、自然界の法則には情的なものはありません。・・・ここで、ふと思いました。算命学って、常に一極二元論。神という極も一極二元で言えないのかな??算命学でいう神は、自然界の法則なので理的な神だけど、人間が求めている神っていうのは、信じたら救われる的な、情的な神。理的な自然界の神(天)と情的
今日は仕事の関係で非常に面白い講演を聴講しました。京都大学高等研究院・特別教授、京都大学霊長類研究所・兼任教授、理学博士である松沢哲郎先生の講演「想像するちから-チンパンジーが教えてくれた人間の心-」という演題です。京都大学霊長類研究所チンパンジー・アイとなかまたち講演『想像するちから:チンパンジーが教えてくれた人間の心』京都大学霊長類研究所は、犬山にある日本モンキーセンターに隣接しています。元々、犬山には名鉄とその関連会社が経営する「日本モンキーパーク」という遊園地があり、
こんにちは。お盆休みも終了間近。田舎へ帰省したり、川へキャンプに行ったり、海へ泳ぎに行ったり、山へドライブに行ったり、普段会えない友だちと飲み会をしたり、休暇を楽しまれた方が多いと思います。私も、少しだけ楽しみました。(今年は、激動と飛躍の一年になるので、この休みはその準備期間となりました、、、我慢です。笑)本日は、部下や社員を従わせることについて、お話しします。(言葉がストレートすぎて申し訳ありません、但し、私は経営者である以上、人間とはこんなものなんだと理解した上で書い
(庭に咲く椿)「朝な朝な掃き集めたる落椿紅腐る古庭の隅に」」正岡子規の詠んだ「落椿」の短歌が思い出される。半世紀もの間、閑散とした冬の庭にあって、小鳥たちに蜜を与え、人間の心を癒し続ける。花びらを散らすのではなく、一つの花として落ちていく故に、「落椿」と言うのだと知れば、尚更に愛おしい。風や雨や雪の朝は当然だが、そうでない日でも、掃き集めるほどの落ち椿が道を塞ぐ。「チイー、チイー」とヒヨドリが姦しく叫びながら枝を揺らして飛び立つ。数えき
暮らしと算命学*「制限のない自由な生き方」人間の心と言うのは、生き方や暮らし方の中でかなり成長していくものですが、そのためには、先ず自分の命を人任せにするような心が大切なのです。ある意味では、死に対する覚悟で生きると言うことです。生きるという「覚悟」のある、なしは「心」の大きな問題ですから、心は強くあって欲しいものです。大運天中殺や天剋地中が来るからと言って、右往左往しているようではまだまだ新米で、そんなものに振り回されない心を育てて欲しいものです。この現実と精神の