ブログ記事333件
親会社から帰って来て、事務所に戻ったら、あのまま「辞めたるわっ!」と捨てぜりふを吐いて出て行った工場長が、戻って来て仕事をしてました。そして、着替えて工場に行こうとしていたら、玄関にもう一人の従業員と2人で工場長が居て、「辞めませんから、話しにきました。」と立っていました。私は、父の仏壇のある我が家にあげるつもりはないので、「今は、まだ就業時間中なので、仕事終わってから来て下さい。事務所に。」と言いました。就業時間
飯場の子第6章22話「どうしようもない中学生日記入学編」「飯場」と共に育ち、遊び、本当に様々な経験をした小学生時代もそろそろ卒業という区切りを迎える時が近づいていた。そんなある日の夜「二人の姉」から突然訓示を受けることになる。「お前もいよいよ中学だな。どうせお前もツッパリになるんだろうから、大変だぞ~。」と、半分からかった感じで話をしてきた。二人の姉も中学時代は目立っているグループにいたので、ツッパリ組のシキタリはよくわかっているのであった。「まずは悪い先輩のパシリ
飯場の子第7章26話「愛と伝統のラグパンレース」僕の高校時代はラグビーの記憶が9割で授業のことなどほとんど覚えてもいない。前述したが、ラグビー部に入部したことがきっかけとなり、僕は「悪さ」から足を洗い、本格的に部活動に没頭していくのだが、ヤンチャの世界の上下関係とはまた別の厳しさが当時の日藤ラグビー部にはあった。そこのヒエラルキーは、「1年生はしもべ、2年生は人間、3年生は神様」。監督の松久保は教祖という構造がきれいにも出来上がっているのだ。ただ、入部したての1年生は、春の大
飯場の子第6章24話「どうしようもない中学生日記恋愛編」まあ、ヤンチャ活動に没頭し、勉強もそっちのけの飯場の子にも春は来るのである。中学1年生の時、好きな子ができた。同級生の「ヤマモトさん」という子だ。幼稚園の時も小学校の時も好きな子はいた。が、それまでの「好き」とはわけが違う。相田みつをじゃないが「だって思春期だもの」、である。授業の風景(イメージ)ヤマモトさんは凄く美人というわけではないが、愛嬌がありしっかりした子で、新体操部に所属。勉学の成績も学年上位の優等
飯場の子第7章28話「怪我と運命の11月26日」高校時代をラグビーに費やした僕は、普通の高校生活をエンジョイするような、バイトや合コンなどを楽しんだという思い出もない。しかし、その分、他の学生には出来なかった、ハードで熱い経験をしたという自負はある。そう、ラグビーと向き合いがむしゃらにやってきた。【練習試合のワンシーン】左筆者いよいよ僕らも最高学年になったのだ、「ノムラ主将」率いる日大藤沢ラグビー部30期の闘いが始まった。【30期メンバー】遡るが、僕は2年
飯場の子第7章25話「高校入学とラグビーとの出会い」進学先の高校として日大藤沢高校に行くきっかけになったのは、中学3年生の秋くらいにの晩に父親に呼ばれたことだった。話も早々に「オマエ、高校はどこに行くか考えてるのか?」勉強そっちのけで遊び惚けてはいたが、成績は真ん中くらいであった僕は、「考えた事もないけど、行けるところしか行けないんじゃないかな。」と返したのだ。そんな僕に父はこう言うのだ。「日大藤沢はどうなんだ、お前は日大の土木に行った方がいいんだ。」などと。