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2023/3/22〜3/24投稿『松の木坂』と書いた説明板がありました。古写真によれば、かつては「松ノ木坂御門」という立派な櫓門が建っていたことがわかります。(*^^*)現在は坂道と石垣を残すのみとなっています。福岡城の石垣はほんとうに立派ですね。福岡城は初代福岡藩主・黒田長政(くろだながまさ)が慶長(けいちょう)6年(1601)から7年がかりで築城しました。ほぼ現在の舞鶴公園にあたる内郭は天守台、本丸、二の丸、三の丸の4層に分かれ、潮見櫓(しおみやぐら)、多聞櫓(たもんやぐら)
長野旅行の続きのお話です。7月27日は(旅行5日目)道の駅「上田道と川の駅」で朝散歩してからは~上田城へー。(上田城跡公園駐車場は無料でした)南櫓下の中段石垣は、長雨により崩落しちゃったらしいのだけど~原型に基づき修復されたんだそうな~天然の堀となっている尼ケ淵は崖面がもろく崩れやすい性質らしく西櫓下の中段も修復されたかと思うのだけど?大雨に降られたら崩れて
こちらは、金沢城の夜桜です。金沢城・鼠多門金沢城・鼠多門と玉泉園金沢城金沢城・二の丸堀金沢城・二の丸堀金沢城・菱櫓金沢城・菱櫓金沢城・菱櫓と堀金沢城・石川門裏金沢城・菱櫓金沢城・石川門金沢城・石川門金沢城・石川門桜が散っても、北陸には沢山の見どころ、美味しいものがあります。是非、北陸へ♪※素敵な御写真をお送りくださり有難うございました。心より感謝申し上げます。※お知らせ12/1~4/17までの間にお申込みを頂きました方の鑑定料金を、通常の3分の2にさせて頂い
(1)菱の門櫓門と呼ばれる型式の二の丸の入口を固めた門で、両柱の上の冠木に木彫りの菱の紋のあることから、この名前が付いています。門全体に安土桃山時代の様式を残しており、城内で最も大きな門です。何の表示か忘れました歩いた順に写真出しますのでよろしくお願いたしますこの櫓の南面と東面の鬼瓦には、波しぶきが彫ってあります。こ
こんザンギ!今回紹介するのは、大衆酒場俺流二の丸の"にせんべろ"です会社の後輩から、サシ呑みしませんか?と声を掛けられましたお酒をそんなに呑めない僕を誘うのは何故だろう?と思っていたら、ザンギのことを知りたいんです…だってお店はお任せしますので!ということだったので、お財布に優しく、ザンギも食べられるところ大衆酒場俺流二の丸へ行ってみました1,000円でベロベロに酔える"せんべろ"があるなら、2,000円で…の"にせんべろ"をやってみよ
栃木にもお城がありましたよ。栃木城の廃城栃木市城内町はかつて栃木城があったことから、栃木城内村と呼ばれていた。城内町1丁目の市立第4小学校の東側に、二の丸の土塁の一部がわずかに残っている。階段を上った記憶が慶安4年(1651)の「下野一国」に「栃木町古城」は皆川山城守(広照)の城跡とある。規模は周囲が(約920M)本丸は東西(約150M)、南北(約130M)。本丸の東に二の丸とそれを囲むように三の丸が、南には二の丸と三の丸が平行してあり、大手門は南三の丸、裏門は
こんばんは〜東九州城巡り第4弾は佐伯城です。続100名城です。最初基礎知識がなかったので佐伯城は大した事ないなぁ〜と思っていたら間違っていました。本当に良い城です。1角牟礼城2◯◯城3府内城4◯◯城5佐伯城6延岡城7◯◯城8◯◯城【佐伯城】築城1606年毛利高政廃城1871年城郭山城天守閣独立式望楼型3重佐伯城は江戸時代に作られた城としては珍しい山城である。特に戦火にさらされる事がなかったので石垣の保存状態がかなりよい。関ヶ原戦いにて毛利高
二の丸あとから桜雲橋を渡った先は本丸跡さらに西に向かって勘助曲輪を見下ろすところまで歩くお日様の出ているあいだ、晴れていれば桜の向こうに中央アルプスの山嶺が見える石畳の道に小型のプロジェクターで投影された桜の花枝ぶりの良い桜で覆われた桜色の天井本音と建前のメッセージを書いて折りたたんで結び付け桜雲橋を渡り、二の丸あとにもどる二の丸あとには屋台が出ていて、『お祭りのあの香り』が漂ってくるせっかくだから粉物でもいただこう続
前回の続きです。今回は二の丸大手櫓門跡から本丸大橋までです。二の丸大手櫓門や中堀が在りませんので、推定した場所から登城します。江戸時代中期頃の古絵図です。①→④と登城します。(上が北です)二ノ丸中堀が埋め立てられて現在は下図のようになっています。古写真と堀の写真です。薄い水色の中堀が埋め立てられてありません。濃い水色の堀だけがあります。①の馬出のあったところは①馬出から②二の丸大手門方向です。現在は何もありません。この付近だけでも復元して欲しいで