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以前、瞑想の師匠から大体の人は自分に目を背けている、、と教えてもらったことがあります。その時にやっていた瞑想はwhoisinというもので、その仏教発祥の公案禅とラマナ・マハリシのwhoamiを組み合わせた瞑想は、自分の中に何があるのかを問い続けるということで、否が応でも自分の中の自分のに向き合わなくてはいけない状況を強制されるのです。それは間違いなく思考の切り口で瞑想状態になっていく、つまりは左脳を疲れさせることで自然と右脳が活性してくるという手法なのだということなのです。
もう早いもので49日の法要となります。稽古に来られている皆さんには申し訳ないのですが、お休みとさせていただきます。ただ、有志の方は独自にいつもの場所で稽古に来られる分には問題ありませんので、、とはお伝えしてます。よろしくご了承お願いいたします。ここ最近思うことがあります。それは僕も含めて、多かれ少なかれ悩み、自問自答して、生きているということです。面白いのはそれぞれ自分のストーリーを持っていて、出来るだけ矛盾がないように自分の中で辻褄を合わせようとしているのです。それは何を辻褄を合わせ
今年の年末年始に大阪からいらっしゃった合気道家の方が、一冊の本を置いていかれました。その方は関西にある和道の流れをくんだ合気道をされているとのこと。時間の空いた時に少しずつ読み進めました。植芝翁先生の教えAmazon(アマゾン)成田先生の本のような結構難解な内容であればしんどいなと思いつつ、開いてみると、想像していたよりも文字が大きく、章立てた構成でもなく、和道を創始した早川宗甫先生が植芝翁先生から聞いたことを、さらにその弟子である愚郎先生が聞き取っていたものをまとめたもの、、ラン
先日、無元塾に通われている佐久間さんのご紹介で、葉山の藤田一照さんの庵(いおり)、つまりお住まいになってらっしゃるところに行ってきました。そして観音堂という同じ土地の山を少し登ったところに禅を組む茅葺のこれまた趣のある建物があり、そこでいつもの中心帰納セミナーをするタイミングをいただきました。とても、楽しく充実した3時間でした。成田伝合気道の稽古システムが禅と同じと言ってもいいプロセスを持っているという確認もできました。さて、今回のイベントで感じたこと、藤田一照さんという存在感。それ
改めて身近な人が亡くなると、いろいろなことを思い巡らせます。もし自分という存在、認識が独立したものという錯覚ではなく、自分以外の直接的、間接的な複雑な関係性の中で浮き上がってくるホログラムのようなものだとしたら、全てが自分にとってとても重要な構成要素なのですから、近しい人ほど、その存在が消えてしまった時の喪失感は大きいのです。そういうことを考えていくと、すべての人がその人なりの背景を有していて、そして、その背景があるからこそのその人だということが想像することができるのであれば、すべ
昨年末にこちらの稽古に来られている方の繋がりで、藤田一照さんとのご縁ができました。本当は成田先生から直接ここの合気道のことをお伝えされるべき方なのだと思います。しかしそれが叶わないので、私というフィルターを通して、私が想うことで表現している成田伝合気道をお伝えする場をいただいているということです。私の調子が良く、上手に表現することができれば、そして気に入っていただければ、今後も不定期にでも開催が続くような気がします。ここの合気道は禅のことと共通するところが多いと考えています。もちろん世
中心帰納という概念は、合気道にとどまらず、他の武道や、その他のあらゆる分野で活かせるものだと信じています。それは私が全ての分野のことをオールマイティーにできるという意味ではありません。それぞれの分野のエキスパートの方が、その分野をさらに深掘りするためのツールになるという意味なのです。もちろん、中心帰納という言葉や考え方を知らなくてもそれぞれの分野でどんどん上達される方はいらっしゃる、、、もしくは、逆にどれだけやっても、どれだけ意識的になってもなかなか上達できない方もいらっしゃる、、、双
来られている方に少林寺拳法をされていた方がいらっしゃって、ちょっとした本も貸してくださり、その本やその方の説明などから、少しずつ興味を持った次第です。全ての武道の成り立ちに、その武道なりの独特の経緯があり、それは必ず美化されたストーリーのようなものなのですが、その方もおっしゃっていたのですが、第二次世界大戦後の復興の潮流の中で、それに沿った宗教的哲学、組織化、稽古体系が時代性にマッチして、拡大していったということです。その本に書かれていて初めて知ったのですが、日本9大武道という言葉があっ
このブログの1番最初の記事が、2013年の9月27日、、私はその記事で合気道家宣言をしています。『合氣道家宣言』先日、整体師宣言(http://cranioaiki.cocolog-nifty.com/blog/2013/09/post-408a.html)したが、今日…ameblo.jp文章の中には整体師宣言もしていたようですが、それは実現せず、今に至ってます。。゚(゚´ω`゚)゚。別の記事では、2015年の1月に公園で稽古を始めた旨を書いてますので、多分、無元塾としては、その月から本
実はここの合気道には抜刀もあるんです。あまり、やれてないのですが、、基本的には5つの型があります。さらに体捌きを組み込んで行くと様々なバリエーションが出てくると、この動画の中で成田先生もおっしゃっています。つまり体捌きがここの合気道の基本であり、それがあるからこそ母体武道たる所以なのです。そして更に、ここで大切なことは、それは、ただそういう身体遣いの為に、抜刀という種目を稽古するのであれば、そういう得物を数限りなく取り入れるだけの技の収集家になってしまうのです。そこに、中心帰納、腰
中心帰納の簡単的な説明を書かれている文章を発見しました。難解なことを易しい言葉で表現することこそ難しいことなのです。書かれた方は一度だけお会いしたことのある新陰流の皆伝者で、合気道も長年やられている方です。http://www.heartoptimization.com/wordpress/文章の内容を見れば、おそらく心理系のカウンセラーでらっしゃることは一目瞭然です。武道の極意は、武道自体よりも、セラピーやボディーワークの中にサラリと書かれているという持論をより強化してくれます。↓
とてもユニークな名前です。まったく武道とは関係のない表題のようですが、ちゃんと武道的なエクササイズをしているところです。いや、むしろどこの武道場よりも本質的なことをしていると思います。インストラクター(教授)紹介の第二弾です。この方はとても好奇心の強い方で、さまざまな武道を経験、体験してこられました。その名を聞けば、武道好きな方ならば必ず一度は耳にしたことのある、またはとてもマニアック武道や先生のところばかりです。そしてここに辿り着かれたのです。既に4