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アンニョンハセヨご覧いただきありがとうございます日韓夫婦のみぴとぴぴです先日(韓国にいた時に)みぴと2人で景福宮のすぐそばにあるクルミ韓服へ行ってきましたここはもう私の行きつけで今回で3回目←好きだわ何がいいかって駅チカ・景福宮チカ韓服が可愛い現代風なパステルカラーの揃えが豊富種類が多い清潔←お店の中はいつも洗剤の香りがしてる真っ白お店の方が親しみやすいお店の雰囲気がアットホーム
シュルプ終わってしまいましたね全般的に面白かったです特に中盤から後半にかけてがハラハラドキドキもあったし世子嬪の頭の回転の良さが際立つ演出が面白かったです私はムンサンミン君の成長を見てみたくなりましたこのドラマではよかったけれど他では…いまいちでがっかりそんな俳優さんも多いですが彼には期待しましょう初回からの数話とそのあとの演出が少し変わり面白くなったのですが最終話までの3話が私には今一つ内容に盛り上がりがなくみんなの予想通りの展開
Netflix土日配信『シュルプ』7話と8話世子の息子元孫へ秘密の遊びと称して体に針を刺していた女。食事に毒を持ったのは自分では無いと。裏に誰がいるか尋ねると「家族を人質に取られているから言えないと」言い自害した。中宮殿に誰かが火を放った。そこへ世子妃が王宮を出たいと直訴。元孫の命が脅かされている。世子妃は自分の首に刃物を当てた。「その勇気があれば子を守る」と言う王妃の言葉でその場に泣き崩れる。王妃をひきづり下ろそうと王に抗議する大妃。王妃がクォン医官を探すと牢獄を出され
ドラマ『トンイ』でもその生涯が描かれている張禧嬪(チャン・ヒビン)は1701年に死罪となり、ライバルだったトンイこと淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)は1718年に亡くなった。そのとき、息子の延礽君(ヨニングン)は24歳だった。そして、チャン・ヒビンの息子で異母兄だった世子(セジャ)は30歳だった。年齢は6歳違っていたのだ。その2年後の1720年に粛宗(スクチョン)が亡くなり、世子は20代王の景宗(キョンジョン)として即位した。【関連】トンイが生んだクムと張禧嬪の息子が後継者を争った背景とは?
李氏朝鮮王朝モノの時代劇を見ていると、身分の高い人々は、いろんな呼ばれ方をします。封建社会なので、名前ひとつにも、たくさん決まりごとがあるのですね。☆まずは、王子の呼び方・呼ばれ方、いってみたいと思います。イ・ソンゲ将軍が高麗王朝を倒して朝鮮を建国(1392年)したので、最初のほうはまだ何も整備されていなかったので、高麗の制度や用語をそのまま使っていますね。高麗王朝は、中国の制度を真似ていますが、長い間に、オリジナルな部分も出来ていたと思います。李氏朝鮮も、中国と高麗両方の制度を土台に
■生涯■家族■昭顕世子が登場する作品昭顕世子昭顕世子-Wikipediaja.m.wikipedia.org■アジアンドラマの史実昭顕世子は不審な死をとげた悲劇の王子昭顕世子は不審な死をとげた悲劇の王子昭顕世子は16代朝鮮国王仁祖の長男。王位継承者でありながら謎の死をとげ、家族が処刑されるという悲劇の王子です。清との戦争に負けた朝鮮から人質として送られました。人質生活が終わって朝鮮に戻ってみると歓迎してくれる人は朝廷にはいませんでした。しkorea.sseikats