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今回は神社の記事ではなく、いつかちゃんと調べてみたい🔎と思っていた「宗像三女神」についての研究記事です「宗像三女神」は、「綿津見三神」や「住吉三神」と違って、まず女神であること。そして、底津綿津見神・中津綿津見神・表津綿津見神底筒男命・中筒男命・表筒男命のような名前の規則性がないこと。これだけ見ても、特殊な成り立ちであることがわかります総本社「宗像大社」を見てみます。【御祭神】①沖ノ島・沖津宮=田心姫神②大島・中津宮=湍津姫神③宗像市田島・辺津宮=市杵島姫神※辺津宮
ヒーリングサロンDesertRoseです。日本一の縁結び出雲大神宮に参拝したのは、2020年7月19日。出雲大神宮(いずもだいじんぐう)は、京都府亀岡市千歳町にある神社。式内社(名神大社)、丹波国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁に属さない単立神社。旧称は「出雲神社」。別称として「元出雲」や「千年宮」ともいわれております。フライングすると、アップしても取り下げになってしまうが、そろそろGOサインのよう。御祭神出雲大神宮は京都府亀岡市の北東部に位置し、大国主命(オオクニヌシノミ
出雲国美保神社■概要高皇産霊尊の娘神。大物主の后。◎紀の一書にのみ登場します。大己貴神の国譲り後の場面。━━高皇産霊神は大物主神に勅しました。「汝が若し国神(国津神のこと)を妻と為すなら、私は汝に疎心(嫌って遠ざける)がまだ有ると思う。故に私の娘三穂津姫を汝が妻とせよ。そして八百萬の神を率いて長く皇孫の奉護をするように」と。そうして大己貴神を地上に返しました━━(大意)◎事績についての記述はまったく無く、子女の有無も不明。◎これについての経緯は以下の通り。先ず経津主神と武甕槌神が葦
事代主(ことしろぬし)系「えびす」の総本社美保(みほ)神社です。島根半島の東側、日本海と中海(なかうみ)にかこまれた一帯を美保関(みほのせき)というそうです。江戸時代には北前船(きたまえぶね)の寄港地でもあり、漁港としてにぎわったといいます。もとは、たたら製鉄による鉄の輸出港で朝鮮半島との交易拠点でもあったようです。さらには、古墳時代の墳墓群や縄文時代の遺跡まであるといいますから太古からヒトやモノが行き交う地だったのでしょう。国引き神話では、
村屋坐彌冨都比賣神社(むらやにますみふつひめじんじゃ)大和国城下郡奈良県磯城郡田原本町蔵堂426(二の鳥居前にP有)■延喜式神名帳村屋坐彌冨都比賣神社大月次新嘗相嘗の比定社[境内摂社服部神社]服部神社二座鍬靫の比定社[境内摂社村屋神社]村屋神社二座の比定社[境内摂社久須須美神社]久須々美神社の比定社■旧社格県社■祭神三穂津姫命[配祀]大物主命[村屋神社]経津主神武甕槌神室屋大連神大伴建持大連神[久須須美神社]天之久之比命事