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今日・4月17日は、おそらく我が国の歴史上最も過酷な状況下・・・即ち大東亜戦争敗戦時に総理大臣を務めた軍人・政治家、鈴木貫太郎海軍大将の命日にあたります。鈴木氏は、ちょうど明治に時代が変わった1868年に、現在の大阪府堺市で生まれました。父親は代官を務め、体格が良く武芸に秀でた人格者だったそうですが、彼もその血を色濃く受け継いだようです。その父が群馬県庁に招かれたため同地に引っ越した彼は群馬中学にで学び、その後上京して近藤真琴が主宰する近藤塾に入塾。
4月15日というと、タイタニック号の沈没が有名ですが・・・その2年前、今から114年前の今日、ある意味タイタニック号よりも世界中に衝撃を与えた沈没事故が起きていました。それは日本海軍の潜水艇だったのですが、悲劇でありながらも世界中の人々から称賛を浴びたのは、艇長以下乗組員たちの散り際の見事さでした。その艇長の名は、佐久間勉大尉佐久間大尉は1879(明治12)年に福井県で生まれました。1901年に海軍兵学校を卒業すると2年後海軍少尉に任官し、日露戦争
以下は、米国の第二次世界大戦の機密文書が解除されてから書かれたものを2016/12/07に翻訳し、Yブログに掲載したものです。ここでは、日本の帝国海軍のトップである連合艦隊司令長官山本五十六は、実は、ルーズベルトと通じた米国のスパイであったと述べられています。◆◆◆TheattackonPearlHarboristhestrategyofPresidentRoosevelt真珠湾攻撃はルーズベルト大統領の戦略だ(画像)左から、スタ