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ご訪問ありがとうございます。※どうでもいい、ひとりごとのコーナーです(笑)※母の様子の記事ではなく、介護とも、特に関係ありません。この記事が公開される頃は、大学病院の受診を終えて、母をリハビリ病院に送り届けて居る頃か、リハビリ病院から、職場に向かっている頃かな?本来は、10月に受診予定だったのですが、その時はとても外出できる状況になく、延期しました。大学病院の眼科受診も、これで最後になるのかな?と、ぼんやり考えています。年も年ですしね。予
ご訪問ありがとうございます。※どうでもいい、ひとりごとのコーナーです(笑)※母の様子の記事ではなく、介護とも、特に関係ありません。今朝は無茶苦茶寒かった..寒がりな僕を、毎晩一生懸命温めてくれる、健気な布団さん。目覚ましが鳴っても、我が最愛の布団さんが、僕を放してくれなくて..もちろん僕も離れなくなくて..お互いが求めあう、相思相愛な関係です。二人の仲を引き裂こうと、無情にも鳴り響く目覚ましを止める。だれにも邪魔はさせない!ゆっくり目を閉じると、す
介護、ひとまず一区切り?と思ったら…また来た話父を肺がんで亡くした翌年、今度は旦那を膵臓がんで見送り、そのことを姑に報告したら、なんと4日後に姑が亡くなるという怒涛の展開。(このあたりの詳しい話は、ブログのカテゴリー【介護】から検索してくださいね)「よし、これで私の介護人生も終わりかな?」……なんて思ったのも、ほんの一瞬でした。今度は母が脳出血。実家に帰省し、そのまま介護生活がスタート。この先どうなるの〜〜〜!!と叫んでいたら、またもや突然の「終わ
こんにちは、ねりま健育会病院事務部です。毎週金曜日は日刊ゲンダイに掲載されている酒向院長の記事のバックナンバーをご紹介させていただきます。第25回~脳出血が重症で半身が完全麻痺でも本当に回復できるのか?~かつて、当院でリハビリ治療に取り組んだAさん(男性・当時39歳)のお話です。彼は身長175センチ、体重98キロの肥満体形で、高血圧もずっと放置していました。仕事はシステムエンジニア(SE)で、職場までは電車通勤。独身で両親と同居しており、趣味は
ご訪問ありがとうございます。外出許可はどうなったんだろう..14時に病院に到着し、母の病室に行く前に、スタッフステーションで聞くと許可はバッチリ下りてます!との事でした。24日の午前中は、母を連れて大学病院の眼科に行ってきます。母にとっては、久し振りのお外。僕もちょっとドキドキ(笑)12月21日(日)の母の様子母の病室に入ると、母は寝てました。肩を叩いて「来ましたよ」と、いつもの声掛け。母:(余所行きの声)あ、はいー...
義母の要介護認定の結果が届きました。要介護3でした。認知症の実母が要介護2ですので、根拠はないんですが義母もそれくらいかな・・と思ってました。明日リハビリの病院に転院する義母ですが、入所できる施設が決まれば、入所迄にどれくらい待って頂けるかにもよりますが、転院先から施設入所になると思います。そして要介護3の認定がおりたので、特養の入所が可能となりました。自宅がある町にも特別養護老人ホームはあるので、今週土日に2ヵ所見学に行く予定でしたが、特養の施設にも見学をお願いしました。インフルエ
青森のリハビリ病院へ自宅前で転倒、上腕骨折で入院していた義母は、退院して姉(私の夫の姉)の住む青森のリハビリ病院への転院となりました青森へ発つ前に我が家へ寄った義母は元気そうで、笑顔で楽しく話せて嬉しかったのですが…気になったのは姉と義母の会話でした姉が義母の言葉に反応し、お説教?諭す?場面が多かったんです────認知の衰えも出てきている88歳の義母私は自分の母の88歳の頃を思い出して、あの頃の私と母との関係に似ていると思いました『自分はしっかりしてる、何でもできる、自炊も出来る
🌿エンジェルナンバー2222と、心の再生のメッセージ🌿〜もう、過去とは交わらない〜心が傷ついたとき、不安や恐れが、静かに、でも確実に胸に広がっていきました。高次脳機能障害になっても、最初の10年ほどは、なぜか自己肯定感が高かった気がします。きっと、健常者だった頃の自分のままで生きていたからでしょう。でも、あるときから崩れ始めたのです。失恋、大きな仕事の失敗、人間関係の崩壊。まるで積み木を倒すように、あっという間に音を立てて、内側が壊れていきました。そのときの僕は、不安と恐れの中に
初めての方はこちら『初めまして高次脳機能障害になり40年』撮影場所イタリア🇮🇹ポジターノ波瀾万丈な人生初めまして、小川伸一と申します。高校2年生の時、器械体操のスポーツ事故で高次脳機能障害になり40年が経ちます…ameblo.jp✨エンジェルナンバー1616と「安心のひととき」〜午後のやすらぎに込められたメッセージ〜今日は、午後から半休を取って、年金の申請へ。ひとつずつ、未来への準備を進めるように、書類を整え、手続きを済ませた。帰り道、ふと見上げた空はどこかやさしくて。自宅に
ガンダーラまたはドナドナ?の歌が流れる、ペガサスけいこです。第24回言語聴覚士国家試験合格回復期リハ病院4年目からパートST、訪問リハも始めました。今は父の“通い介護”をしながら、STとして臨床と家庭のはざまで見えてきたもの、母、娘、アラフィフ主婦としての日常も綴っていますクラスターが起きた時の言語聴覚士の働き方から得るもの昨日の続きです。『久しぶりに出勤したら、クラスターが起きてた話』3日空くと世界が変わるそんなことが病院では起こります。3日
初めての方はこちら『初めまして高次脳機能障害になり40年』撮影場所イタリア🇮🇹ポジターノ波瀾万丈な人生初めまして、小川伸一と申します。高校2年生の時、器械体操のスポーツ事故で高次脳機能障害になり40年が経ちます…ameblo.jp🌙色んなことがあった一日と、エンジェルナンバー2233の優しい導き今日は本当に…いろんなことが交差した一日だった。弟への優しさと、つい爆発してしまった感情。そのあとにやってくる「ごめんね」と「分かってほしい」の気持ち。どれも僕にとっては大切な魂の
マブチモーター12月権利のマブチモーターより株主優待が到着しました優待内容はこんな感じっ400株で1年以上なので4000円相当✖️家族分です。ひとつはジャムとハチミツセットにしました見ると気持ちがアガル三越の包み紙赤の模様見て興奮するなんてワタクシったら、、まるで牛⁉️かしら真ん中はハチミツで他はジャムです今は久しぶりにフォションのブルーベリージャムを食べてますがやっぱり美味しいのー!腐ってもフォションだわさてさてこのジャムセットはどうでしょうか残り3名義はお米に
地味ーな昼ごはん…目玉焼きへたくそかw皆様ごきげんよう訪問していただきありがとうございますm(__)m今回も早速続きから結局、外科の先生とお会いしたのはその時の1回だけ。急性期病院からリハビリ病院に転院して退院するまで誰にも脾動脈瘤にふれられること無く。時々、左肋骨下に違和感はあったけどさほど気にすることもなく過ごしていた。リハビリ病院の退院から1年4カ月…2025年の2月になった頃肋骨下というより、背中寄りで胃の横から少し後側にかけて違和感が出るようになった。※画像はお借
佐賀住まい・福岡勤務の作業療法士の橋間葵です。わたしは住まいの近くにDAISOがあるので、特に用事がなくとも何かリハビリに使えそうなグッズがないかなと探しにいくことがあります。先日も気になるグッズがありましたので、わたしの健忘録として記したいと思います。DAISOは店内商品の撮影が許可されていますので、わたしは良いなと思った商品をメモ代わりにスマホで撮影しています。▼ぐにゅぐにゅジェルセラプラストに似ているなと思いました。▼ブロックプレイ見た目はLEGOのようだなと思いました。
ワタシは滅多に頭痛ってないのですが頭が痛いのってツライですね朝からずっとガマンしていたけれど夕方にはガマンできずロキソニン飲みましたお役所や年金事務所から持ち帰った書類も書かなければ…葬儀をしていないので親戚やら母の数少ない友人にお手紙でも書こうかなと思ったり…病院へはお礼のお手紙を書きました返送する書類があったので同封させていただいたのほんと優しく温かなスタッフに最後までお世話していただいて母は安心して旅立てたと思いますって元気だったころの写
佐賀住まい・福岡勤務の作業療法士の橋間葵です。脳卒中後、箸が使いにくいとき、「もっと指を動かさなきゃ」と思われることが多いです。ですが指先の感覚がわかりにくい場合、動きだけを練習してもうまくつながらないことがあります。大切なのは動きと感覚を一緒に取り戻していくという視点です。たとえば箸を持つ前に指先で触れる当てる転がす押すといった小さな感覚体験を重ねること。「今、どの指が触れているか」「どこが当たっているか」をゆっくり確かめるだけでも、感覚は少しずつ目覚めていきます。
『波動が変わると人間関係がガラッと変わる』初めての方はこちらから『初めまして高次脳機能障害になり40年』撮影場所イタリア🇮🇹ポジターノ波瀾万丈な人生初めまして、小川伸一と申します。高校2年生の…ameblo.jp🌈波動が変わると人間関係も変わる〜エンジェルナンバー1515に導かれて〜⸻🌀「不安と恐れ」の波動が引き寄せたもの長い間、僕は高次脳機能障害によって心の中に不安と恐れが根づいていました。「うまくできないかもしれない」「また迷惑をかけるかも」――そんな気持ちが、無意識に
初めての方はこちら『初めまして高次脳機能障害になり40年』撮影場所イタリア🇮🇹ポジターノ波瀾万丈な人生初めまして、小川伸一と申します。高校2年生の時、器械体操のスポーツ事故で高次脳機能障害になり40年が経ちます…ameblo.jp🌟エンジェルナンバー1717と「チャンスの波に乗る日」〜クリアーな空間と心で、未来の扉が開き始めた〜今日は、仕事を余裕をもって終えることができた。そして、ふとした瞬間に目に飛び込んできた「エンジェルナンバー1717」。これ、ただの偶然じゃない。今こ
パパが入院してから私も変わったあんなに一緒に居たのに。1人でお買い物、パート生活。重い荷物も持ち、パートではビールケースなども移動しまくるので特に右の肩と二の腕がムキムキに今まで肩に筋肉なぞついた事は無くてちょっと戸惑うでも、帰って10時近くにご飯食べるからお腹だけ出てきだしてヤバいやたらとお腹空く〜ゲーム好きだったのに全く興味なくなる。車ももうすぐ手放すので自転車も買い、33年ぶりくらい?自転車乗ってみた。出だしフラフラ。でも今の自転車軽い!疲れにくいアルコール毎日飲
佐賀住まい・福岡勤務の作業療法士の橋間葵です。脳卒中後、「箸が使えないなら、他の道具に変えたほうがいい」。そう言われたとき、心が少し重くなる方は少なくありません。箸を使えない=能力が下がった=できなくなったそんなふうに感じてしまうのは、とても自然なことです。しかし、リハビリの視点から見ると、箸以外の食具への移行はあきらめでも後退でもありません。むしろ、身体を守り、回復を支えるための「戦略」だと思っています。箸は、つまむ保持する微調整するという複数の動作を同時に求めます。
おいらは令和4年2月に脳出血発症しました。診断は死ぬことはありませんが、3割寝たきり、3割車椅子、歩けるのは4割でしょうと言うくらい出血部分の大きい脳出血でした。リハビリ病院に移ってリハビリをとにかく沢山して、杖ついてゲイトソリューシヨンと言う短下肢装具をつけて退院出来ました。身体障害者1級の障害手帳を取りました。それから3年です。杖なし装具なしで遂に走りました。3年前現在もちろんスピードが遅いし、めちゃくちゃぶん回しになっています。でもそれを補って余りある喜びがありました。
母の転院今日は母がリハビリ病院へ転院しました。私は行けないので、叔母と叔母の長男がリハビリ病院まで連れて行って手続きをしてくれました。叔母の長男は介護の仕事をしているので安心です母と電話で話したら、声がめっちゃ元気でした。叔母が言うにはとにかく母はスタスタ歩くので、私(叔母)よりも歩くのが早かったと。叔母は股関節の手術をしてから、杖をついて歩いているのです。今日退院でも大丈夫なくらい、回復してたよと。リハビリ病院はもしかしたら年内で退院できるかもよと言ってました。頑張り屋の母
L字型の添え木を日本でつけられてから、飛行機に乗ってNYへ戻るときには、なんとか痛みもおさまっていた。飛行機の中では、どんどん血が足先のほうへ下がっていくので、足の指をマッサージ。特に親指と薬指がジンジンしていた。マッサージすると、少し楽になった。なるべくマッサージできるときは、マッサージしたり動いたりしたし、さすがにつらいときは、デニスの膝に骨折している左足を乗せて、立たせてもらった。今も骨折部分の関節は固定して、それ以外の部分はマッサージしたり、動かしたりしている。
【第2章】波動空間とは何か?〜見えない階層で生きるということ〜《波動空間で生きる〜パラレルワールドの歩き方〜》⸻この世界は、ひとつの地面の上にありながら、人それぞれが“違う階層”で生きている。そう言われても、ピンとこないかもしれません。でも、私の人生を振り返ると、それが本当に“現実”だと感じています。⸻■気持ちが変わると、出会う人も変わる私は、健常者だった頃、高校時代に障害者となり、そこから留学、就職へと歩んできました。振り返ると、その時々の「心の状態=波動」によって
ご訪問ありがとうございます。シンプルライフを目指して日々奮闘中です。心地いい暮らしのために実践していることや、お気に入りのもの達のことを綴っています自己紹介はこちら⇨ブロガーズショップはこちら⇨※当blogの記事ではアフィリエイトプログラムを利用しています。よく読まれている記事『知っておきたい「回復期リハビリテーション病棟での入院期間とかかる費用」』ご訪問ありがとうございます。シンプルライフを目指して日々奮闘中です。心地いい暮らしのため
初めての方はこちらから『初めまして高次脳機能障害になり40年』撮影場所イタリア🇮🇹ポジターノ波瀾万丈な人生初めまして、小川伸一と申します。高校2年生の時、器械体操のスポーツ事故で高次脳機能障害になり40年が経ちます…ameblo.jp波動は人間だけが変えられる——明るい波動が最高の未来を作る心の状態がすべてを決める高次脳機能障害を負ってから、健常者だった頃とは大きく違う部分があった。それは、「心の状態」だ。性格や気質の基本は変わっていない。でも、心の在り方はまるで真逆に
佐賀住まい・福岡勤務の作業療法士の橋間葵です。脳卒中後、寝る時に布団に入っても、「布団に入っても手足がずっと冷たい」「寝つけないし、夜中に目が覚める」というお声を寄せていただくことが本当に多いです。今回は“夜の冷え・布団の中での工夫”をテーマにまとめます。なぜ「夜に冷えやすい」のか昼間より体温が下がりやすい時間帯というだけでなく、・布団の中で動きが少なくなる・麻痺側の筋活動が弱い・体温調節の働きが不十分などが重なり、冷えが続いてしまうと言われています。患者さん方の声を
ChatGPTについて語りました。本来の自分が取り戻せました。-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。www.youtube.com僕の人生を変えた斎藤一人さんの教え──言霊とポジティブ思考で豊かに生きる方法僕は、斎藤一人さんの考え方を実践することで、豊かで幸せな人生を手に入れることができました。高次脳機能障害による二次障害も、40年かけて克服し、今では毎日を楽しく生き
佐賀住まい・福岡勤務の作業療法士の橋間葵です。脳卒中後、利き手が麻痺側となったとき、もう一度利き手で箸を使いたいというお気持ちをいただくことがよくあります。麻痺手が利き手の場合、グーパーができるようになったり、ものをつまめるようになる時期などに箸練習を行うことが多いです。リハビリ室での箸練習で、小さく切ったスポンジを箸先で摘んだり、小さなお手玉を箸で摘んだりして箸操作ができ始めたときに実際の食事場面でチャレンジしていきます。実際の食事場面で、箸でつまみにくい食材の中に麺類が挙げれます。
自宅マッサージ終わってからリハビリへ~((o(^∇^)o))体スッキリリハビリ病院クリスマスの飾りで賑わってました(*´▽`すう先生が飾り付けしたらしい(((*≧艸≦)ププッリハビリ来るの楽しくなっちゃいます(≧▽≦)