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★今日は岡田有希子さんの誕生日記念日。"岡田有希子さん"お誕生日おめでとうございます🎉🎂存命であれば56歳の誕生日を迎えることになります。岡田有希子さん56歳の誕生日おめでとうございます🎉🎂あなたのおかげで、多くのユッコファンの方と、多くのフォロワーさんと素敵な出逢いができました。透明感あふれる歌声とあなたの生きた証はいつまでも色褪せることはないでしょう。遠い星から私たちを見守ってください。今日は私から日ごろの感謝を込めてあなたに想いを捧げます。岡田有希子さん
※画像は全てYouTubeにアップされている動画のスクリーンショットです。「プロポーズ大作戦」1973年4月から1985年3月まで放送されていた視聴者参加型の恋愛バラエティ番組。フィーリングカップル5vs5は、同番組が45分枠に拡大された際に番組後半の目玉として設けられた公開お見合いコーナーである。男女5名ずつが向かい合う形で座り、互いに自己紹介や質問などをした後、5人の中から良いと思う相手を選び、番号を押す。相手も自分を選んでいれば、互いの番号が線でつながってカップル成立となる
♡ͯ·̩͙·。*.·゚✧.·。*.·゚♡ͯ·̩͙.·。*.·゚✧.·。*.·゚♡ͯ·今日4月21日は、ユッコちゃんが竹内まりやさん作詞・作曲のシングル「ファースト・デイト」で、歌手デビューして40周年記念日🎉ユッコちゃんおめでとう🎊竹内まりやさん、多くの名曲を作詞・作曲して下さりありがとうございます(*^^*)ユッコちゃんの素敵な人柄、笑顔、歌声永遠に憧れであり、尊敬しています🎶(,,>᎑<,,)♡✨これからも永遠に憧れでいさせてくださいね(*ᴗ
荻野目洋子さんは、ユッコの1学年下で1968年生まれ。小中学生の頃から断続的に芸能活動はしていたが、ソロ歌手としてのデビューはユッコと同じ1984年4月(荻野目さんは3日、岡田有希子は21日)。「荻野目ちゃん」の最大のヒット曲といえば「ダンシング・ヒーロー」。EatYouUpというディスコナンバーのカバー曲で、キレキレの振り付けと共に幅広い世代に受けた。当時小学生だった私もこの曲はよく覚えているし、振り付けも真似して遊んだ記憶がある。(ユッコ研究のブログを書いてるくせに、ユッコ
デビュー40周年を迎える菊池桃子さん。新作EPリリースや各種メディアへの露出、記念ライブを行なう予定等々何かと賑やかな様子。これまで何度も綴ってきたように、リアルタイム当時僕は桃ちゃんのファンだったのでこうして周年イベントで華やかにお祝い出来ることを大変嬉しく思う。であるが故に今年も、いや今年はいつも以上に考えてしまうのだ。生きてさえいてくれれば、と。本日4月21日は桃ちゃんと同じく岡田有希子さんのレコードデビューの日でもある。彼女も桃ちゃんと同じ日にデビューなんだ、ぐらいに軽く気に
ユッコのスマホは数年前に買ったiPhone7ですが、メモリー容量が32GBと少なく、すぐ満杯になってしまいます。その度に、要らない写真やLINEの過去トークなどを削除していました。2024年4月13日(土)、それも限界になってしまい、空き容量が少なくてiOSのアップデートができなくなりました。そこで、メモリーが128GB以上のiPhoneに買い替えることにしました。アップル公式ストアで、iPhoneの価格(税込み)を調べてみたら・・・。■アップル公式ストアで売っているiph
ユッコがデビューした頃に受けたインタビューでは、父親について以下のように語っている。・厳しいところもあるけど子供の自主性を尊重する人。・仕事が忙しく帰宅も毎日遅かったので、家では顔を合わせたことがほとんどない。・大きくなるまで(自分が夜更かしをするようになるまで)父親と話したことがほとんど無い。・芸能界に進むことについては、父親と直接話し合っていない。・いつも母親を通して、父親に自分の気持ちを伝えてもらっていた。ちなみに、ユッコの母親は専業主婦。一度働きに出たことがあるらしいが、
岡田有希子は直観像記憶(カメラアイ)の持ち主だった?佳代(ユッコの本名)が中学生の頃に描いた油絵。直観像記憶とは、映像記憶ともいう特殊能力のひとつで個人差はあるが、パッと見たものを写真で撮ったように記憶し、細部まで正確に思い出すことができるそうだ。ユッコが芸能界に進むために母親から課せられた「3つの条件」の話は有名だがその条件というのは、学内テストで学年一番になる等、勉強に関するもので比較的成績が良かった彼女でも到底達成できないような高いハードルだったらしいのだが、周囲が呆れるよ
まさに「不思議な電波を放つ」迷曲だ。ユッコの美しいファルセットで始まるこの曲は、ラストシングルとなった「くちびるNetwork」のひとつ前のシングルで1985年10月5日にリリースされた。売上枚数は12万枚。筆者は当時10歳だったが、ユッコがLoveFairを歌う姿を全く覚えていない。なので、ユッコのことを調べるようになってYouTubeで視聴してみたのだが…。全く聞いた覚えも、見た覚えもなかった。こんなに(色んな意味で)面白い曲なのに。私の中で、当時の岡田有希子はそのぐらい存在
オーディション番組を経て芸能界入りが決まった佳代(ユッコの本名)は、1年時の1学期だけ、猛勉強の末に合格した地元名古屋の向陽高校に通い、上京後、編入試験を受けて、堀越高等学校の芸能コースに転校した。1985年、3年D組に進級したユッコの主な同級生は、桑田靖子(本名、池田咲恵子)、いしのようこ(石野陽子)、倉沢淳美、高部知子、本田美奈子、長山洋子、南野陽子、宮崎ますみ、永瀬正敏などなど、そうそうたる顔ぶれ。これほど豪華な芸能クラスもないだろう。「え、みんな同級生だったの?」と驚くよう
ユッコのお母さんは、娘の死後に出版された遺稿集「愛をください」に手記を寄せている。これを読むと、お母さんが娘の才能に早くから気付いており、娘の気質や性格もよく理解していたことが分かる。この本にも掲載されている一枚の写真。ネット上でも、''岡田有希子お母さん''で画像検索すると出てくるが、赤ん坊のユッコを抱いて、やや俯き加減のお母さんの表情にはどこか影がある。(余談だが、お母さんに抱かれた赤ちゃんユッコの可愛いこと。まるでお人形さん。大きなお耳と、クリクリの目が特徴的だ。)写真が
ユッコが所属していた芸能事務所、サンミュージックでチーフマネージャーだったのが、MNさんだ。上京してきた高校1年生のユッコを駅で出迎え、デビューまでの日々と、その後の活躍、死の瞬間までを見届けた。あの日、お子さんの学校の入学式に出席していたM氏は有希子が自殺未遂をして運ばれたという知らせを受けて大急ぎで病院に向かったが、入れ違いになってしまった。スマホも携帯も無い時代である。そんなことは日常茶飯事だった。慌ててタクシーを停め、四ッ谷にあったサンミュージックに急行する。そして、あ
☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・前から欲しかった、ユッコちゃんの写真集「岡田有希子special」を買いました🥰今から40年前の写真集です(,,>᎑<,,)♡中古なので、表紙の端に線がありますが中の写真と記事は綺麗です手元に有るだけで満足♥️☺️デビューして3ヶ月の頃に発売したので、ユッコちゃんの魅力を多くの人に知ってもらいたくてかな?(*^^*)数々の写真、ご家族の事、故郷の事など見どころ満載です
少し前に、僕の中で約30年封印していた「くちびるネットワーク」を聞いたら涙が出そうになった。確か沢口靖子さんが出ている、カネボウのCMソングでしたね。これはお墓参りに行くしかない・・・と、鈴鹿の帰りに寄ってきました。場所等はネットで公表してる通りです。東名阪自動車道の弥富インターを下りて、約5分の成満寺にあります。(お墓等の写真を載せるので、気分を害される方はココでストップを・・・)この日は、僕の前に少し年上の男性が一人、僕が帰るころには少し年上のご夫婦が有希子さんの墓参
ユッコのスマホを買い替えて、データ移行、LINE引き継ぎ、SIMカ差し替えを無事に終わったと思ったら・・・。2日経った2024年4月18日(水)、ユッコに「自宅ではインターネットが繋がるけど、外では繋がらない」と言われました。WiFiでは繋がるけど、モバイル・データ通信では繋がらないってことです。SIMカードの不具合かと思って、試しに電話をかけてみたら、ちゃんと繋がります。これって、どういうこと???ネットで調べること約20分、原因が分かりました!■見つけたWEBページスマ
東京都新宿区四谷4丁目にある大木戸ビルにはかつて、ユッコこと岡田有希子が所属していた事務所があった。先日、所用でたまたま近くを通りかかったので初めて、このビルをスマホのカメラに収めた。(現在、事務所は隣町の左門町に移転している)1986年4月8日、午前中に一人暮らしの自室で手首を浅く切り、ガス栓をひねって自殺未遂を図ったユッコは、病院に駆けつけた事務所の専務とスタッフに付き添われ、人目を避けつつこのビルの6階にあった社長室に入った。(社長は外出中、担当マネージャーは休みで、
峰岸徹。本名峰岸知夫。1943年7月、東京の銀座で生まれ、日本橋で育つ。私の世代だと、印象に残っている役は、TBSドラマ「高校教師」(1993年放送)で主人公である女子高生の父親…なのだが、娘と肉体関係を持つ歪んだ役だ。あとは、フジテレビのドラマ「古畑任三郎」で、古畑の上司役だったような。バラエティ番組にも、ちょいちょい出ていたような気がする。岡田有希子との仕事上の接点は、1985年11月から1986年1月まで放送されたドラマ「禁じられたマリコ」での共演ぐらいだろうか。ユッ
今日のブログは、来月移動となったリーベとその子供たちの思い出を振り返ろうと思います。ブログ未公開の写真も何枚か出てきました。2009年5月双子のユッコ(メス)とヤマト(オス)が生まれました。一頭は背中に、もう一頭はリーベの手の下に居ます。綺麗な青い目のユキヒョウ・ツインズ。双子だと遊び相手がいていいですね。「ちょい」「邪魔しないで~っ」「邪魔されたら嫌でしょ~?」「。。。」一年後、こんなに大きくなりました。じっと母を見るツインズ。2011年5月、2回目の出産でメスの「リアン」
夢を叶えて歌手になったユッコが、短い間だったが芸能界にそれなりの足跡を残すことができたのは、本人の努力はもちろんのこと、陰で支えた人々の存在があってこそだろう。ユッコには2歳年上の姉がいた。小さい頃から、ケンカもたくさんしたけどしっかり者で頼れる、大好きなお姉ちゃんだった。ユッコが新人賞を受賞した時には親族代表として駆けつけ、泣きながら歌う妹の傍らに寄り添うように立っていた。昔は、新人歌手が大きな賞を獲得すると必ず、その歌手の親族とか、恩師などを舞台上に呼んで受賞歌手を感激
《今日のユッコ記念日〔10/5(月)〕》②『「DO☆UP歌謡テレビ」に出演』今から39年前の1984年10月5日。この日のユッコはテレビ朝日の「DO☆UP歌謡テレビ」という歌番組の収録をしていました。〔'84.10/14(日)11:00~11:45放送〕司会は明石家さんまさんと木原光知子さん。この日の他のゲストは西城秀樹さん、近藤真彦さん、松平健さん、尾形大作さんなどでした。〔出典:スケジュール〕・岡田有希子ファンクラブ会報「YUKIKO」No.2・
ユッコフレンズの皆さま、お久しぶりです。忌中のために長らく活動をを休止していましたが、本日よりブログを再開します。まだ本格的ではありませんが、これからまた少しずつ有希子さんの話題について綴る事にします。「SummerBeach」12インチシングル盤発売へすでに皆さんもご承知かと思いますが、先月29日に岡田有希子さんの5thシングル「SummerBeach」の12インチシングル盤が4月20日に発売される事がポニーキャニオンの公式サイトから正式に発表されました。