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ペトログラフ(岩刻文字)の所在地は海の民(海人族安曇氏、Y-DNAハプログループC1)に関わり、大体、海岸に近いところにあるようだ。まだ、かつて海人族安曇氏が陸上がりしたところなら内陸にもあるようで、滋賀県の安曇川町とか長野県の安曇野市は海人族安曇氏ゆかりの地として有名である。参考①安曇川町の神代文字石滋賀県高島市安曇川町三尾里②安曇野市の神代文字道祖神神代文字道祖神神代文字道祖神(左端)・日本最大文字道祖神長野県安曇野市豊科③国東半島の神代文字ペトログラフ(参考)
日本には文字が無かったとされており、縄文土器にしろ弥生土器にしろ、模様か絵しか描かれていないと思い込んでいた!しかしながら、改めて土器を見ると文字らしき意味のありそうな文様や記号があった。どうも、縄文土器の派手派手しい文様には、実は意味が込められていたようだ。また、弥生土器にも神代文字と思しき記号が刻み込まれていた。ただし、土器に刻まれたものは文章と見るには文字数が少ないものであり、今のところ意味を汲み取ることは難しそうで、考古学者らは記号と見ている。それでも何らかの意味が必ずあり、記号と言
前回は→その②※ヤエガキについて追加しました。大切な部分ですのでお手数ですが今一度見て下さると幸いです。サンカは彼ら独自の言葉を使い、文字も独特との事。そんな大切な言葉や文学であれば当然そういう記録も全てちゃんと残していると思いませんか?※真偽は明らかでは有りませんが(裏付ける資料がない為)以下の様な意見をネット上で見つけました。①自分が子供の頃、確か旺文社の受験雑誌に三角氏のサンカの詳しい特集記事が有って興味深った。早速翌月号にあの記事は事実ではないと訂正されていて、なんだ?
「いろは歌」を楽しむ・・8文字漢字からひらかな、カタカナ、そしていろは順から五十音順へと来ました。サンスクリットの音韻学(悉曇学)を基として、もう一つの柱として漢字音を研究した中国音韻学が挙げられます。しかし、それ以前は文字が無かったのでしょうか。存在論と否定論(Wikipediaより)存在論卜部兼方は『釈日本紀』(1301年以前成立)の中で、父・兼文の説として「於和字者、其起可在神代歟。所謂此紀一書之説、陰陽二神生蛭児。天神以太占
大分の国東半島に古代文字が刻まれた岩が有る事を知った、めちゃくちゃ見たいので行く事にした、密になることもないだろう14:00過ぎに現場付近に到着、少し離れた公園に車を駐めてグーグルマップを頼りに山の中へ入って行く、道が無い中を進んで行くが、全くそれらしいものは見当たらないグーグルマップが示している場所に着いても何もない、暫く付近をウロウロ捜索しましたが発見出来ずに山から下りて来ました下の道を歩いていると民家の塀に腰掛けて話しをされているおばあちゃんが居られたので道を尋ねてみましたすぐ横の