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少し前ですが、昨年の12月にスイスに出張に行ってきました。スイスのフランス語圏のローザンヌという街で、ここには2004年と2005年にも訪れたことがありました。当時追いかけていた美しいダンサーが所属しているカンパニーの本拠地がローザンヌだったのです。(過去のブログ2022年6月27日『神様GPS』をお読みいただけると詳細が書かれております💦)約20年ぶりに訪れるローザンヌは、関東近県の柄の悪いヤンキー駅っぽい雰囲気が抜け、少し洗練されていましたが、やはりとても静かなところでした。羽田からパリ
2019年11月22日に投稿したブログを加筆修正したものです。今日はジョルジュ・ドンの御命日です。亡くなったのは1992年、45歳。🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀ベジャールの自伝②の中の、何度読んでも泣いてしまう箇所「11月30日、月曜…。ドンはその晩の7時から8時の間に死んだ。冬だった。暗かった。私が彼の腕を握りしめているうちに、彼は息絶えた。私は、迎えにきた車に乗って、今すぐ病院に行くようにと言われたのだった。ドンは左手の小指に、私の母の婚約指輪をしていた。それは、私が以前彼に託したの
ドンさん、お誕生日おめでとうございます。本当の誕生日が25日で戸籍上は28日。この2月28日は、ニジンスキーと同じ誕生日になるらしいのです。ニジンスキーの誕生日は3月12日なのですが、ロシア旧暦では2月28日になるのだそうです。それを知って自分でも計算してみましたが、よくわからず。でもドンさんがアルゼンチンでそう話して、しかも「気にいっている」らしいので、きっとそうなのでしょう。ニジンスキーを愛していましたからね。生涯で2度ニジンスキーを熱演したし。アルゼンチンで電撃的に結婚しち
モーリス・ベジャールとジョルジュ・ドンこの二人は実質夫婦だったのだと思っています。形などどうでも良くて、心が夫婦。ドンさんの最後の入院中、ベジャールは毎日病院に通い、ドンさんの病室にはベジャール用のひじ掛け椅子が置いてあったそうです。そして、ドンさんが亡くなった後のベジャールはかなり憔悴しきっていたという複数の人達の証言がまた、取材でドンさんのことを訊かれても、話したがらなかったり、逆にドンさんの事ばかり話したり。10年経った後の取材でも「この10年、ドンのことばかり考えている」