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また発作です。昨日、インフルエンザの予防接種を受けにいきました。帰り、夜道を20分ほど歩いて帰り、帰宅して私が2階で着替えていると、下から「あ、あ、」という大きな声が。急いで降りると、バタっと音がしてリビングにみいが倒れ、声を出しながらけいれんしていました。3分くらい続きましたが、徐々に収まり、すう〜と寝入りました。声かけても反応なしですそのまま眠り続け、途中で声かけると反応したので、薬を飲ませてベッドに行かせました。実は、先々月くらいからちょくちょく発作のような症状(反応なくなる)が
先日、大人になってからのくも膜下出血による高次脳機能障害を負った方のお話を聞いてきました。障害を負うまで、IT関係のお仕事をされていたという事もあり、スマホやタブレットを最大限に活用され、工夫をされて、お仕事をなさっていました。ちょっと箇条書きになってしまいますが、覚え書きとして。日々の記憶対策抜け落ちる記憶を、スマホに記録。●1日の終わりに、グーグルカレンダー??に振り返りをかく。項目は、毎日決まっていて、その日の新しい体験、まなび、感謝、など。(かなりの数の項目)●一時間ごとに
またまたなんだ!このタイトルは!?と、思われた方もおられるはず!もう恒例になってますね!笑そうです!ヘルペス脳炎発症しました!(;´Д`)これが原因だ!と、精密な検査をしていないのではっきりと断定はできませんが、ステロイドにより免疫機能が低下し、それが原因によるウイルス感染、もしくはHSV-1の活性化と思われます。今回も稀な症例ということで、本当に稀に好かれてますね〜!(¯―¯٥)さて、発覚した経緯についてですが、右側の頭の頭痛が酷くて、最初は片頭痛だと思い、前に処方してもらった
今日は脳波検査の結果を聞きに行きました。もともと、心理カウンセラーとリハビリの日でしたので、まず心理カウンセリング。この心理士さんは、みいがけいれんで意識不明になり、わたしがどうしようもない気持ちで待合室にいた時に、来てくださり、私に寄り添い、気持ちをやわらげて下さった方。退院後も私とみいのカウンセリングをしてくれています。でも産休に入られるので、今日で終わりです。昨晩みいに、「Y先生に明日会うよ。おなかに赤ちゃんいる先生だよ」というと「手紙書きたい!」と。なんとなく、誰
最近のみいは、ぐっと大人びて来ています。中学を卒業し、髪を明るく染め、ダイエットを頑張ったおかげか、すこしほっそりし、親から見ても、きれいだなあと思うくらい今まで、ベラベラとしゃべり、陽気で人懐っこかったのも影をひそめ、人見知りに、大人しくなりました。私としては少し、いや、かなり寂しい。あんなにおもろかったみいが…そして、フリースクールで同じ年齢、同じ中学、自宅も近い女の子と仲良しになり、2人でお出かけしたり、電話したり、お家に遊びに行かせてもらったりしています。なんか女子っぽくなっ
こちらのテーマは、100万人に数人の確率でかかる、とても希少で生命予後の悪い、後遺症が強く出て、社会復帰率50%ほどの病気と闘う患者本人と、それに振り回される家族の、家族目線のテーマです。不快な方は見ないでください。こないだの金曜日去年まで暮らした、今は皆懐かしい元居住地の保健センターへ。ええ、ひとつそちら方面の予定があると、次々と予定をぶっこんで、全部こなせなくて凹んでしまう、たかひろですどうも。元々の予定は床屋さんの予約から。朝イチで久し振りのジムニーちゃんで出発。まずはジムニ
こちらのテーマは、100万人に数人の確率でかかる、とても希少で生命予後の悪い、後遺症が強く出て、社会復帰率50%ほどの病気と闘う患者本人と、それに振り回される家族の、家族目線のテーマです。不快な方は見ないでください。さてと。3件目の病院の生活もあと僅かとなり、ここの担当の先生との正式な面談も最後となりました。いよいよ来週、新居に帰ってくる訳ですが、殺人的スケジュールで私がぶっ倒れそうです。私と父は母の面会をしていて、ここ最近の状態は、メンタル的にあまり良いとは言えない感じで、母が号泣し
今日も朝から私が付き添い、登校しました。夏休み前は教室にさえ入れなかったのですが私と一緒に席に着く事で、教室に入る事ができるようになっています。私と朝の会、朝の学習をこなし、一時間目始まる頃には私は退室します。みいは、授業を受けるのはしんどいらしく、その後移動して、特別支援級でほぼ遊んでいるようです。脳炎になって退院した直後は、記憶力が悪くなっただけなので、同じ事を人の何倍かやれば授業にはついてゆける、徐々に追い付くと考えていました。しかしその後、入退院を二回繰返し
8月24日、私は10時に病院に行きました。主人はどうしてもの会議のため仕事へ。集中治療室に行くと、みいは…。目を開いていました。でも、「みい、みい」と呼んでも視線はあいません。ただ、目を開けているだけ。黒目はいろいろなところを見ますが、どこも見ていないのです。私は人間のそんな姿を初めて見ました。あまりの様子に動転していると、先生が来て、「カンファレンス室で今後の治療説明します。」と。昨晩は若い女医さんと30代くらいの男性医師の二人でしたが、40は
発熱後ずっと調子が悪いみいは、病院行きたいを連発。特に夕方に体がだるいと言い出し、しんどそう。しかも、昨日から記憶状態も悪くなってきました。あ~。また人の名前がわからなくなる。ヘルペス脳炎再燃かと、やはり心配になる。なので、今朝から病院に行ってきました。ヘルペス脳炎になって入院した病院。担当医表を見ると、なんといちばん最初に担当してくれた女医さんの名が。随分前に新生児担当になり、みいの主治医も交代し、なかなか会えないでいました。外来も今までしていなかったのです。すかさず、その先生
今日は定期通院の日。昨日いった総合病院に医大から小児神経の先生が来る曜日なので、診てもらいにいきます。その先生は医大でお世話になった先生。神経専門チームを率いていらっしゃる、中年の男の先生です。いつもは診察で学校生活の事についてを話するのですが、今日はここ数日の症状についての判断を仰ぎました。すると、やはり再発よりは、後遺症でしょうとの事。疲れたり、ストレスかかったりすると一番弱い脳の部分に、負担がかかり名前が思い出せない、とかの症状になるのでは。だからいつも同じ記憶障害が出る。
我が地方で初めて開催された、高次脳機能障害の子供を持つ保護者の会に行ってきました。なかなか高次脳機能障害の子供さんが見つからないと担当の方がおっしゃっていたとおり、人数が少なかった。高次脳機能障害の子供のリハビリを行っているという機関の方のお話をきいて、あとはグループで話すというもの。みいが受症したころは、高次脳機能障害のリハビリは確立されたものがないと言われましたが、5年ほど前から、その機関では高次脳機能障害の子供の評価、リハビリをやりだしたんだそう。まあ〜。けど聞いた限りではそのよう
回想記2018年9月ステロイドパルスをやめ、感染症の心配もなくなったため、プレイルームに行く事が許されました。点滴をがらがらひっぱり、プレイルームに遊びにいくと、優しい保育士さん二名がお出迎え。みいはすぐに気に入り、一日入り浸るようになりました母の負担は激減。ほんとにありがたい。リハビリでは3つくらいのものを隠して、他の事をしたあと、隠したものを見つける、というような事をやっていました。それも、ついさっき隠したのに、なかなか見つからない。途中てすぐなげやりになり
回想記~病名確定2017年8月25日病院に担ぎ込まれてから2日目、PICUのドクターに、呼ばれました。髄液検査の結果が予想より早く出て、ヘルペスウィルスが陽性と出た。ヘルペス脳炎で確定という事。ヘルペスウィルスが何らかの原因で脳に入り、主に辺縁系と言われる脳がやられる病気で、100万人に1人くらいの非常に珍い病気。アシクロビルという薬が開発される前は、高い致死率だったが、薬のおかげでウィルスはやっつける事ができる。ただ、脳がどれくらいやられたのかは今はよくわからないので、回復程
昨日からみいは発熱し、学校を休んでます。熱が出るといつも40度近くまであがるので、本当に心配になります。またヘルペスが脳にいったらどうしようと、どうしても考えてしまいます。さて、一年前の入院生活を振り返ります。回想記~2017年9月。アシクロビルを二週間ほど点滴したあと、再度髄液をとり、ヘルペスウィルスがいないか検査してもらいます。脳炎後、みいは徐々に回復してきましたが記憶と感情の面で後遺症が顕著にでていました。集中力もなくなり、同じ作業は5分でいやになる。WI
今日朝から医大にスペクト検査をしに行きました。脳の血流を見るようで、注射してから脳の画像をとる検査です。案の定、診察はなく、検査のみ。結果は来週火曜のいつもの総合病院で聞くらしい。症状でてから、二週間後です。急に治療するべきものではない、と言うことなんでしょうね。まだ状態は全然良くなってません。ただ、一昨日は大得意のけん玉、持ち方も忘れて、全然できませんでしたが、今日は以前のように大中小、をカチカチやっていました。そして検査後また小児病棟に遊びに行きました。保育士さんに会いたい!
アシクロビル二週間投与後、髄液をとってヘルペスウィルスがいないか検査します。その検査の日。髄液とるのに、部分麻酔かいいか、寝てしまってとるのがいいか、女医さんが聞いてくれました。みいは当然、「寝るほうがいい」。という事で、「寝るならご飯食べたらだめなので、検査あるまでは朝ご飯食べないでね~」と言われました。みいは脳炎後、とにかく、我慢が全くできなくなっていました。お腹がすいたらすぐ食べないと、気がすみません。「朝御飯抜きって、そんな無茶な」て感じでした。案
回想記2017年9月みいの入院中、いろいろな人が関わって下さいました。たくさん名前がでてくるので、メモ帳に名前を書き、毎日確認。朝から理学療法、作業療法、言語聴覚療法、と各担当のリハ氏さんが、お迎えにきてくれます。体を動かす時間は問題なくすすみ、ボールなげや、輪投げ、ランニングマシンなど楽しく過ごす。あとは理学療法、言語聴覚の時間。リハ氏さんの手づくりカードで神経衰弱したり、点繋ぎしたり、ぬり絵したり。集中力がないので、30秒ほど考えるといやになり、
回想記2017年8月26日病院に運びこまれて3日目。土曜日でした。PICUでは完全看護で、夜は家に帰り、翌日は10時からしか面会できません。そして看護士さんがやさしい。みいの反応が少しでもでるように、好きなものを集めたり、DVDを流したりしましょう!という事でディズニーのプリンセスの絵や、みいの大好きなドラゴンボールの絵をラミネートして、貼ってくれたり、ディズニーのDVD見せたりしてくれました。私たちは家からみいの物を持ってきて、枕元に置いたりしました。
みいの記憶は、このあいだの病院でのWISC-Ⅳの検査後からあまり良くないです。人の名前が思い出せなかったり、その日の出来事が全く覚えていなかったり。これを失語症と言うのかな。でも、たぶんこの状態も一週間くらいすればましになってくるはず。この判断ができるのは、三ヶ月の無駄に思えた三回目の入院の唯一の成果かな。さて、回想記に戻ります。2017年8月24日ステロイドパルスとアシクロビルの点滴の治療を開始しましたが、PICUにいるみいは、相変わらず目を開けて、反応