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スタッフの一人が不妊治療をしています。経緯などはわかりませんが「凍結卵が何個かあって、出産年齢もそろそろギリギリなので・・」ということで、1年ぐらい前から漢方を飲んだりして体を準備してこのたび着床したそうです。よかったやん!!なんですが、卵巣や子宮の状態がよくないらしく「コンビニに行ったり、ウロウロせずに家の中だけで静かに過ごして」と医師の指示が出ているらしいのですが出勤してきてました。「それって、安静にしとかないと、ってことやん。仕事来てたらあかんやろ。」「
『義妹⑧』『義妹⑦』元夫②の義弟浮気疑惑は確定がないまま公営住宅への引っ越しが決まった義弟一家。何しろ、義弟が留守がちなのと、まだ子供が小さい(1歳未満)なので引っ越…ameblo.jp当時、「いい人」ぶっていた私は義妹の厚かましさに文句を言えませんでした。「ハローワークに行きたいんだけど、子供連れていけないから」はい、預かりますよ。自分の都合のいい場所を指定してきて、甥っ子ちゃん引き渡し。そのまま優雅に久しぶりの「おひとり様時間」を過ごして夕方になってやっと我
結婚23年目、義父から聞かされた夫の昔話の数々。どれもこれ想像もしなかったことばかりだった。同じ相手と2回離婚、子供がいる、借金、自己破産、架空営業、詐欺行為で会社をクビ夫が、同じ相手と2回離婚して、その相手との間に女の子がいると聞かされて、バツ2だと思った。義父もその事しか言わなかったからバツ2だと思い込んでいたが、バツ3だった。後に、義弟から聞いて分かった。バツ2でもビックリしたのに、バツ3って、、、しかも、20代でバツ3。僅か数年の間に結婚、離婚、結婚、離婚、結婚、離婚って。最
退職金から40万をくれた日は11月10日。次男①の1歳の誕生日でした。その日に一晩でお金を使い切ってきた夫①が言いました。「俺、小説家なろかなぁー」(は?…え?…何言うてはんの?👀)もはや、驚くこともなく「へぇー」と顔も見ずに生返事の私。数日後、見つけた新しいノートに一行。「男はコートの襟を立てて歩いていた」(え…これだけ…もう終わり?てか、小説家…)いよいよ頭がおかしくなったのか?大丈夫か?しばらくすると夫①が言いました。「俺
夫と離婚についての話し合いをするために2人で近所のファミレスに行った。(家だと子供たちがいてて、話しづらいので。)数日間、どうやって話そうか考えて頭の中で何回もシュミレーションしたけどその通りにはならん。「離婚したい」という意思を告げると無表情のまま、特に何も言わない・・・ま、これは予想してたけど。長男を嫌いだと言われて傷ついたことや最近の長男への扱いなどをいろいろと上げ連ねても全く動じない。「だから?」そんな顔でこっちを見ている。子供たちにも話
~3回目へ~不倫をしている自分がイヤでイヤで子供たちにも後ろめたさでいっぱいでした。別れようとするたびに半ば脅迫されることでだんだんと恐怖心が強くなり、完全に支配されてたように思います。あるとき、職場の人たちとの飲み会で遅くなり帰り際に携帯を見るとメールがきていました。(当時、LINEとかはありません)「離婚するって言ったから。お前もそのつもりで腹くくってくれ」え?どういうこと?なんで?いろいろ聞きたくても、もう寝てしまってるようで返信もなくわか
叔父から、私の行先も何も知らない、というフリをするようにそう言われてた両親ですがその日、私の手紙で出て行ったことを知った元夫が実家に来たとき普段はとても温厚で、声を荒げることもない父が「お前のせいで!お前のせいで!」そう言いながら、元夫①につかみかかった、と母から聞きました。「芝居やのにね~」そう母は笑ってましたが父は、芝居を忘れるぐらい腹が立ってたんだと。娘が幸せになるように、と13歳年上の男に娘を託し「年上だから可愛がってくれるだろう、と思ってた」とこれも
3回目の結婚はやっぱり慎重になります。元夫が離婚したからといって、じゃぁ!と結婚しようとも思いませんでした。それでもどうして入籍へ動いたのか・・それは、義父母の健康問題でした。もともと奥さんと義実家の仲がよくなかったので介護などは自分がするといつも言ってました。元夫の姉は独身でもちろんバリバリに働いてます。元夫の仕事もデスクワークではなく、現場仕事なので休んだりできません。義母が風邪をこじらせてしまい肺炎になったときに病院へ付き添う人がいなくて困っていたのです
夫①は借金をしてまで何をしてたのかというとゲーム賭博というやつですね。一時は社会問題にもなったやつです。夫①の勤務先は家から5分ほどのところ。その勤務先の前の喫茶店に、そのゲーム機があったようです。だからか…会社から家まではほんの5分なのになんで帰ってこんのだー?と思ってました。借金がわかったとき、姑が言った言葉が何よりも衝撃的でした。「あー…治ってなかったんかぁ…」え?どういうこと夫①は若い頃にも、多額の借金を作り(麻雀や博打で)姑や妹弟が返済
「また復縁するよね?」と言いながら偽装離婚だと思って署名した元夫①なので、当然出ていくわけがなくでも離婚して、責任感がなくなったのか(もともとないと思うが)謎の行動が多くなった。きっと借金はもう膨れ上がりすぎて手に負えない感じなんだろうな…と思った。子供を連れて質屋に行ったことを知りこのまま一緒にいては巻き込まれてしまうと思ったので、とにかく逃げることにした。当時(30年前)には母子寮もあったけどほとんど入所できることもなくとにかく情報がなかった。今なら、どう動けばいいか、ど
義母の再婚相手(義父)から亡くなられた元奥さんの指輪をもらったけど「宝石やアクセサリーが好きだった」と聞いてなんだか指輪にも思い入れがありそうで、結局一度もつけたことはない。指輪をもらったからというわけではないけどそれなりに付き合いはできていた。時々家に行ったり、ご飯一緒に食べたり。当時はインターネットというものが少しづつ世に広まりつつあるころで携帯電話でも一般的になってきたころ。義父からパソコンの練習もかねてメールのやり取りをしたいから相手になってほしいと
離婚を決めてからもすぐには家を決めてこない夫。まずは住むところを決めて出てもらわないと・・結局、夫は長男③を引き取ることを拒否。「仕事が朝早くて夜遅いのに無理。」と言われました。それでも頑張ってなんとかしようと努力してみる気はないらしい。私だって、仕事もあるねんけどね。長男③にそのことを伝えるとき傷つかないようにしなければと思ってあれこれ考えたけど「引っ越し」をしてみたかったようで、「わかった!」という感じでホッとしました。まだ家も決まらず、離婚届けも出してな
地元へ戻り、新しい住宅に入ったのが4月で正社員で働くようになったのは9月になってました。採用してもらった会社は「医療器具」の製造販売会社で工場には50歳超えの男性(ちょっと酒癖悪いバツイチ)主にメンテナンス担当で出張が多いAくん大学の時から仕事をしてた世渡り上手のYくんBくんの大学の同級生で卒業後に就職したMくん経理担当の女性Kさん(動物に意味はありません・・)あとは社長と、ときどき社長の奥さんが登場。そして社長の愛人も・・このうち、のMくんが後に元夫②になり
亡くなった奥さんと住んでた家で亡くなってすぐに一緒に暮らし始めた義母。仕事もやめて専業主婦になれるとあって長年苦労してきたので、それはまぁ・・よかったよね・・家の中を片付けていろいろ処分したい。欲しいものがあればあげるから見に来い、と言われ家に行くことになった。亡くなった奥さんは、とても倹約家だったらしく家の中は使い古しもの、壊れたものばかりで欲しいものなど・・ありませぬが箱に入ったままの食器やタオル類など「どう?」って言われても、ゴッキーの死骸が付いてたり
長男の出産から12年後の4人目のお産はそれまでと違って時間がかかりそれまでは産後にいつも「まだまだ産める」と思えたけど4人目の産後に初めて「もういいかな」と思った。もともと子供が大好きでお金と体力があれば、何人でも産みたいと思ってた。でも妊娠中のしんどさも産後のしんどさも考えると、限界かなと思った。また妊娠しても困るしーと、卵管結紮の手術を受けることにした。これはお産の前から夫とずっと話し合ってきてて夫が手術するか、私がするか。先生にも相談して、リスクや避妊率などの説明
義娘との生活は2013年頃です。(あいまい・・^^;)義娘は当時大学生で誕生日に二十歳になりました。私は自分自身が二十歳になったときに母からルビーをもらいました。「赤いものが魔除けになる」ということで姉もルビーの指輪もらってました。私は息子しかいないので、こういうとき娘っていいなと思い、シンプルなルビーの指輪を買いました。もしサイズが合わなければ、交換してくれるということだったのでそのことを渡すときに伝えて・・などとワクワク楽しみに買い物しました。そして、夫に
認知症が進行して今と昔が混在した頃の義母。2人で義母の病院に行った時にいろんな話をしました。私のことを前嫁の名前で呼ぶこともありましたが一応、「今の嫁」だと認知されているようで前嫁の話が出ることもありました。夫に聞いていた話は結婚前、母親のいなかった前嫁が成人式用の振袖を買いに行く時に、わからないから一緒に行ってほしいと前嫁に言われて、付き添ってくれた義母はまだ嫁でもない彼女に振袖を買ってあげたのだとか。義母はそういう懐の大きさやキップの良さがありました。私も病院へ付
お隣のクレームおばさんは、ちょっと問題ありの人らしく、別の入居者の方から「あの人は気つけやー!」と言われて何かとクレームをつける人らしく、私の前の入居者もそれが問題で退去したとか…えー…借りてきたビデオを嬉しそうに何度も見る2人。ご主人の温情で貸してもらえたことに改めて感謝してたら…今度は1階の人が!「ドンドン響いてウルサイ!」4歳と2歳。普通にしてても歩くときは飛び跳ねるように歩きます。別に暴れてるとかではなく…でも木造のアパートでは相当響くんだろうな…そこで次の日から
(これは30年前の1度目の離婚の話です)まったく知らない、知り合いもいない土地にある日3人だけでポツンと置いていかれた・・そんな感じで新しい生活のスタートです。入居の日、あまり記憶にはないけど父がトラックで冷蔵庫を運んできてくれて子供たちの元気な姿に安心したものの帰るときには子供たちは泣いて、ちょっとかわいそうだった6畳間が2つと4畳半。そして小さなキッチンとお風呂。お風呂は玄関横に後付けされたもので湯舟はあるものの座って洗ったりできるような広さはなく
夫は私と結婚したときに会社を辞めて転職してましたがいろんな事情が重なって転職することになりました。それは、別にいいのです。でも当時私は妊娠中で、ようやく悪阻がおさまってきたころ。出産前に収入がなくなるのは大変不安。といって、妊娠中では働くこともできない・・そろそろ年末に近づき、それでなくてもお金がいろいろとかかる。クリスマスにお正月・・どうすんのさ辞めてから、しばらくは黙って見てました。きっと何か考えがあるんだろうな、と。毎日求人を見ながら、「コ
この長男。その後、派遣先にも行けなくなり結局実家暮らし。『とりあえず安心。』ようやく、やっと…長男が働き始めます。長かった『捨てる神、拾う神』ようやくハローワークに行こうとしたら坐骨神経痛かなんか、足が痛くて歩けない…と。焦るな。今…ameblo.jp今年の2月に私の家に来ました。3男が独立したあと、すっきりと片付いて居心地のいい空間になっていた家。3DKとはいえ、二間続きで2DKに近いです。私は元々の窓のない真ん中の四畳半に移り大きな窓がある六畳の部屋を長男に。
涙を流して反省と謝罪をした夫に多少はわかってくれたのかなと思い少しづつ気持ちはほぐれましたがなし崩しになるのはイヤなので、別居生活をしながら会っても、ある程度線引きをして関係を保っていました。私は夫をもう一度信じてみることにしたのです。変わってくれるかもしれないと。義娘を引き取り「小遣い毎月5万」を言われたときに「奨学金を返すために貯金をする」といったのでいま、貯金のために毎月5万を渡せる余裕はないこと。奨学金はみんな働きながら返済しているものであること。2年
年末年始のバタバタでブログを放置してたらアクセスの多い日があったみたいで・・30年も前の離婚話なんて誰も興味ないかなと思いながら書いてたので、ちょっと嬉しかったです。でもまだ最初の結婚と離婚のとこで止まってるあと2回の結婚と離婚があるので、長いですよ~~て、ことで(どういうこと?ご挨拶がわりに今の私のことを書いてみます。(こっちはもっと誰も興味ないと思うがw)3度目の離婚の後も、その元夫③とはよい(?)関係です。結構な思いで別れたんですがもともとは同級生
要らない思考をポイっとしてます。高橋裕子です。昨日は日本一予約の取れない伝説のハンコ屋さん!山本印店に行ってきました。ここのハンコ屋さんに行ける確率は1000人に1人と言われていてそれぐらい繋がらない場所なんです。私は実は最近ハードスケジュールでビタミンC点滴討ちに行ったりと少し体力の限界で予定の変更が色々とあったんです。そんな流れがあったからこそのおかげでこちらの山本印店に辿り着く流れに。こちらは芸能人、経営者もこっそり通うハンコ屋さん。印鑑を押すときって大事な
いよいよ義娘が家に来た日。迎えに行った夫と義娘が一緒に到着したときどこかで買い物をしてきたらしく来たら一緒に行こうと思っていた私はそこで、え?となりました。家に入ってきた義娘は目も合わせずリビングを横切って自分の部屋へ。あー始まった。これが継母としての生活やね。と、まぁ期待してたわけでもないしこんなもんでしょ、と流しました。義娘はまず家の二ヶ所のトイレに汚物入れのゴミ箱と生理用ナプキンのストック袋を置きました。一言の相談もなく(←ココ重要)です。我が家は男の子ばかり
夫の息子たちへの攻撃にどうしたらいいのか悩む日々。1人で何時間も歩いて考えました。足も腰もガタガタになるほど歩いて戻っても夫はまったく気づきもしてません。私はできるだけ息子たちと義娘を平等に扱うようにしていました。ガス代が見たこともないぐらいの金額になりどうやら義娘が深夜にお風呂入るときにお風呂暖房を入れて、入ればまだしも寝てしまって入らずにつけっぱなしだったり給湯器を切らずにつけっぱなしだったりということが頻繁にあるからだとわかりました。息子たちと義娘
再婚早々に夫に絶望したけど土下座までして養子縁組してもらいその後はそれなりに穏やかに暮らした。夏の出産で、私はヘトヘトになったけど産まれてきたのは大きな大きな男の子だった女の子がいいでしょ?と当たり前のように周囲に言われたけど私は女の子が欲しいとは思わなくてなぜなら、夫や息子、男に囲まれて時には女帝、時には姫扱いの「女ひとり」の環境は楽しかったから。ここで娘ができたら、兄である息子たちだげてなく、夫も私より娘を可愛がるよね〜だから女は私だけで!そんな理由で!生まれたと
当時、27歳で5歳と3歳の子供を抱えた母子家庭。この条件で、雇ってくれるところは少なかったです。子供が病気したら休みますよね〜誰か子供を見てくれる家族とかいますか?面接で聞かれることが多かったことです。それに私は大した職歴もなく、資格もありません。保育園も基本は4時までで、それ以降のお迎えになると、延長保育となり別料金。とりあえず何でもいいから、と見つけたのは居酒屋のランチ営業のパート。面接に行くと、そこは高校時代にバイトしてたうどん店の経営で、面接してくれたのが当時の店長でした
よくバツ3だというと、ホイホイ簡単に結婚して簡単に離婚したように思われる方がいてたりしますが再婚も離婚も案外悩んで決めました最初の再婚のときは、一緒に住んでて事実婚状態でも「このまんまでいい」とは思えず、結婚に踏み切ることもできず迷ってた時にある人が言った言葉で踏み出すことができました。それは「あかんかったらまた別れたらいいやんw」という軽い一言。なんとなく、再婚したらもう離婚はできない。さすがにバツ2にはなれない。そんな思いがあって、踏み出せなかったのも事
新聞配達は、大変な割に給料が安い(ほかのところはしりません。私が行った店舗がということです)しかも、私が担当した範囲は一戸建ての他にアパートなどが多くて、階段の上り下りが多かった。1ヶ月が過ぎたころ、膝が痛くなってきた。自転車を漕ぐのもきついが、そのアパートの階段が大変で上がれるが、痛くて下りれない。仕方なく、お尻をついて這うようにしておりました。そのうち、全身の関節痛が始まり熱も出だす。思えば、まだ産後の回復も完全でないところにこの仕事で、体が悲鳴をあげ