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※現在の話です。子供たちの学校イベントである卒業式、入学式、体育祭、合唱コンクール。習い事のピアノの発表会や、部活のバスケの試合。親の私にとっては楽しみで楽しみで仕方がない子供たちの行事。夫がいなくなり、ひとりで行くのがこわかったです。ちなみに私はママ友とつるむタイプではないし、一人でも全然平気なタイプです。しかし何故か、子供たちの行事に夫なしで行くのがこわかったです。以前、第2子の小学校卒業式では、第1子が中学校を遅刻してまで、わざわざきちんと制服を着て、私と一
拘置所から出て…私はこう思っていました。さすがに夫はこりただろう。薬物乱用をやめてくれるはず。バカだと思われるかもしれませんが、これがキッカケになれば…とその思いにすがっていました。それに私は希望がありました。来月(8月)か、遅くとも再来月(9月)には、日本へ帰れるはず。夫はまた日本の基地への転勤を希望し、承認が下りていました。そういえばアメリカに来る前に、夫の上司や同僚にこう言われました。「楽しい3年間のアメリカ生活になるよ。3年間はあっという間だ。」夫の母にこ
夫が突然、「僕は薬物依存症だ。」薬物依存症は否認の病といわれ、「絶対に自分は依存性ではない。」と死ぬまで言い続ける人もいます。夫もずっとそうでした。私は夫の口から、夫が薬物依存依存症であることを認めた発言を聞き、驚きました。しかし夫の話を聞いてあげたいと思い、冷静に相槌を打ちました。私は、車を運転しながら、「うん…。」と答えると、夫はもう一度、「僕は薬物依存症だ。しかもかなり重度の。」(Veryveryheavyone.)Veryを二度と、ゆっくり言いま
もともと夫は真面目な人で、平日は激務の後、ジムでトレーニングをし、疲れている為、平日は夜9時消灯でした。朝5時起床の為、8時間は寝ないと気が済まないようでした。その為、平日はお酒を一切飲みませんでした。しかし金曜日の夜、500mlの缶ビール12本を買ってきて、おそらく深夜1時くらいまで飲み、そこからおそらく焼酎も飲んでいました。自宅のテレビでゲームをしながら。結婚して1年くらいは私も夫の好きにさせていました。夫は仕事で疲れているのだから、金曜日土曜日だけは飲ませてあげようと…。
夫が行方不明になった翌朝の昼、夫がやってきました。私が出かける準備をしていなかった為、(夫は行方不明になることが増えました。だから来ないかもしれない、と準備をしませんでした。…というより気力がありませんでした。)出発は遅くなってしまい、近くのファストフードで子供たちに昼食を食べさせました。皆さまは、昨日の出来事を流してしまった私に驚くでしょうが、内心、一晩中、とても腹が立って眠れませんでした。しかしもう夫には腹を立てても、どこに行ったのかを問い詰めても無駄でした。夫は薬物依
アメリカでは、3LDKの一軒家の米軍住宅を借りました。しかし借りてすぐに、本当に困った出来事がありました。「他の物件も見たい。」という私に、「もうここしか空いていない。ここなら、一ヶ月14万円のところを13万円にしてくれる。」節約が好きなのは私の方で、アメリカ人の夫は節約の概念がほとんどありませんでした。夫は早く決めたかっただけです。入居してすぐ、お隣の奥様に挨拶に行くと、お隣の奥様はちょうどご主人が定年まで務め上げられ、晴れて退役をされるとのことで、とても幸せそうでした。
「地獄を見たければ、依存性者のいる家族を見よ。」という言葉があります。薬物依存症の夫との生活は地獄でした。依存性という病気は悪魔でした。38歳の優しくて真面目だったアメリカ人夫の薬物依存問題と、子供たちについて書いていきます。私は沖縄出身、現在は会社員です。逮捕、子供の入院、私の逮捕、精神病棟、ダルク、リハビリ、警察、児童相談所、…色々なことがありました。何度も何度も「助けてほしい」と訴えた、警察、精神病院、精神保健福祉センター、ダルク、保健師、助けても
11月のある日、また違う支援団体が訪ねてきました。女性2人、母子シェルターの職員さんでした。そして私と子供に母子シェルターへの入所を提案してきました。母子シェルターは、安全な場所に、私と子供を隔離して、私と子供が生活できるように、お金を払ってくれるそうです。しかし外出、仕事に制限があると言われました。私と子供たちは、今から見学に来るように言われました。しかし施設は非公開だから、彼らの車に乗っていかなければいけないと言われ、咄嗟に私は「それなら行かなくていい」と言いました。悪い
アメリカの事故物件に入居して数日後…夫は複雑な顔で帰ってきました。「今日、変な人から電話があった。父だ。」「あ、連絡きたんだ、良かったね。」引っ越した後、夫のスマホの電話番号を含めて再度ハガキを書いたのは私、そしてまたハガキをわざわざ郵便局で投函したのは夫でした。だから電話がかかってくるのはわかっていたのですが。夫は「Sostrange.」(本当に変だな。)を繰り返していました。夫の両親は離婚はしていないものの、夫が米軍に入隊した後、8年間ずっと別居をしていました。二人は同じ
誰か教えてください!シリーズ第3回目。前回の記事は、って今日のお昼だけど、既に昼間っから酔っ払っていたので、シリーズ第1回の記事を上書きして、第2回を書いてしまうという失態を犯したサレ夫。お昼寝して、マンゴーイチゴたっぷりヨーグルトでお腹を満たしたので、少し冷静になって、一番書きたかったことを書きます。ゴロゴロ入っているのは、今が旬の宮崎マンゴーですよー。さて、本題です。皆さん、ハーグ条約って知ってますか???ハーグ条約とは、「国際的な子の奪取の民事上の側面に関す
少し時系列がズレますが…子供たちが小学校低学年の頃、とある日本人のお母さんの講演会に行きました。そちらのお母さんは、お子さんが2人いて、第2子は自閉症をお持ちでした。子供たちが小さな頃、お母さんは自閉症をお持ちの第2子のお世話に追われていました。第2子の学校への付き添い、療育、病院、役所への相談、勉強会、毎日ありとあらゆる場所へ。すると第1子は、何故か寂しそうに時折、「お母さん…🥺お母さんは私と弟、どっちが好き…?🥺」と聞いてきたそうです。お母さんは、「私は2人
ある日、私はパソコンを開きました。検索したのは…米軍人のご主人がいる日本人妻のコミュニティサイト。ここで何か情報を得てみよう…。しかし少し問題がありました。こちらの掲示板は非常に荒れやすいのです。例えばよくある「在日米軍人の彼氏がいて、妊娠したのですが、彼氏と連絡が取れなくなりました。助けてください。」そういう書き込みに、イジワルな返答が多いのです。「何で子供を作る前にそういう男と見抜けなかったのか。」「何で避妊をしなかったのか。」「お腹の赤ちゃんがかわいそう!」何で、何
また時系列を戻します。父親が警察に連行されいなくなり、子供たちの様子ですが…。子供たちは誰ひとりとして、「パパはどこ?」と聞かなかったのです。相変わらず第1子、第2子は朝起きた瞬間から、「イェーイ!」と楽しそうに家じゅう走り回る日々。第3子は大人しく、本を読んだりしていました。ただ悲しかったことは、一度、第2子が何かをやらかし、私が叱った時、第2子が、「パパ〜!😭」と言って泣きました。かわいそうなことをしました。何故なら第2子は産まれた時からママっ子でした。レストランで
ブログを書いて、少しは楽になるかと思っていましたが、辛いですね。私はもう元気になれないのかもしれません。下の子供が大学を出たら、もう私は死ねばいいです。それを思うと楽になります。孫の顔まで見る気力はありません。子供たちにも充分にしてあげられませんでした。もっともっと愛情を与えたかったのですが、気力がありませんでした。子供たちが苦しい結婚をしませんように。私みたいな母親になりませんように。依存性になりませんように。子供たちが私と夫のことを忘れるくらい、幸せな大人になってほしい
2013年3月。私が住んでいた州は春がなく、3月のある日、いきなり冬から夏になります。冬といっても1月は15℃前後、2月は20℃前後はあるのですが、3月中旬〜下旬のある日、突然、30℃になり、夏が始まります。みんなその日から突然、ビーチ遊びを始めます。私の人生が今までと180度変わった日…それは3月の、夏になる直接の少し肌寒い曇りの日。ある日、私は家で洗濯物をしていて、夫の制服を洗おうと、ポケットの中のゴミを捨てようとしました。ぐちゃぐちゃになって突っ込まれたゴミ…その時
夫の父と入れ替わりで、夫の母がやってきました。そこで夫の弟が、別の州(バージニア州)でクスリ欲しさに他人の家に窃盗で入り、逮捕されていたことを知りました。しかも、仮釈放中に何故かバージニア州を離れ、今、夫の母の家にいるとのことでした。それは仮釈違反で、現在、指名手配がかかっているらしいです。真面目な夫は、「今すぐ警察に電話をして、弟を逮捕してもらう。」しかし夫の母は、「やめてくれ。時期がきたら、私がちゃんと警察に息子を連れて行くから…。」しかも夫の母は、「あの子をあなた
アメリカに到着して、私が一番最初にしたこと…それは、夫の両親にハガキを出したことでした。本当にそれが一番最初にしたことでした。アメリカに着いてすぐ、宿泊したオーシャンフロントの素敵なホテルの一階で、素敵なハガキを買いました。Facebookやスマホが主流だったあの頃、夫の両親と連絡を取るのにまさか本当にハガキしかなかったとは…。ハガキには、「こんにちは、お元気ですか?夫がアメリカ勤務になり、今、あなたの近くの米軍基地にいます。子供は2人産まれました。ご連絡をお待ちしています。
夫は日本の米軍基地勤務でしたが、転勤シーズンを前に、必死で日本在留を延長しようとしていました。そんな中、次の勤務地は、夫の期待通りではなく、生まれ故郷のアメリカの州に決まりました。日本からアメリカへの引っ越しは、米軍がすべてを手配してくれた為、ラクでした。米軍に「引っ越し中に、子供がいては危ないので、奥さんと子供は1週間近くのホテルに待機してください」と言われましたが、転勤シーズンの当時、近くのホテルは満室。スイートルームしか空いていなかったのですが、米軍が「空いていないから仕方ない」
私の第1子の子供が、「これパパのお薬、ママが困ってる。」と警察官に夫が乱用している咳止め薬の空箱を渡しました。どうやらソファの隙間に、咳止め薬の空箱を大量に隠していました。夫は薬をオーバードーズした後、必ず空箱を捨てないんです。そこまで気が回らなくなるのでしょう。だから手当たり次第の場所にとりあえず隠すんです。後で調べたら、大きなソファの境目から、空箱は…何十箱も出てきました。何よりビックリしたことは、第1子が知っていたことです。こんな状況でも子供たちは、元気いっぱい、
ちょっと現在の話。今年もホワイトデーに大好きな上司たちから、お返しをいただきました。バレンタインデーの私のおいしくはない手作りブラウニーが、毎年、10倍ほどのお値段になって返ってきます。上司みんな、私に子供がいるから、わざわざ大きなお返しをくださり、「お子さんたちと食べてね」とおっしゃってくださいます。新しく異動してきて、まだあまりお話したことのない上司からは、猫の形のお菓子をいただきました。私が猫を飼っていて大好きなことを知っていてくださったんだなあ、と嬉しい気分になります。上
2つ目の違和感、それは…夫の自尊心が低かったこと。夫はハンサムでした。高校ではイケメンコンテストに選ばれたらしいです。しかし夫は自分が不細工だと本気で思い込んでいました。私はそんな夫を「謙虚な人」と思い込んでいました。しかし謙虚と、自尊心は違いますね。逆に私は、母や祖父母から「美人だ、美人だ」と言われて育ちましたが、中学生になり、私の親友が美人でとてもモテて、「あれ、私は美人じゃなかったのか(笑)」とがっかりしました。私の祖母は、「私の孫息子(私の兄)はとてもハンサムで、反町隆
5月の第三子出産以来、夫の母とはまた5ヶ月も会いませんでした。街がハロウィン🎃に彩り始めた10月、最初の事件がついに起こりました。夫の母が、次男(夫の弟)を家から追い出したのです。次男が、夫の母から盗んだもの…それは、私が夫の母にプレゼントしたデジカメでした。📷夫の母が長く使えるように、5年の長期保証まで追加したあのデジカメです。こだわって購入した日本製のSDカードには、私の第三子が産まれたばかりの時の写真が入っていました。悲しいですしかし、「次男を追い出した」って、
突然、看護師さん2人に挟まれて歩いていた中年の黒人女性患者が、座っていた別の中年の黒人女性に飛びかかり、とんでもないパンチ力で、ボコボコにし始めたのです。ギャーギャー大騒ぎになる中、男性看護師さんたちが飛びかかって止め、何とか引き離すも、殴った方の黒人女性は…。表現が心苦しいのですが…ディズニー映画「トイストーリー3」で登場した、まるでブチギレたチンパンジーが血走った目(本当に白目が赤くて異様でした)を見開いて、キーキー騒ぐ姿と全く同じで、まるで人間ではありませんでした。
夫の弟が逮捕されて1週間後、1本の電話が鳴りました。(思えば、ロクな電話がかかってきませんね特にあれから11年も経った2023年、今年は特に酷かったです。おかげで電話が大嫌いになりました)さて、電話をかけてきたのは、夫の父のガールフレンドのマリーさん。「助けて。あなたのお父さんが私のテレビや家電を勝手に売ってドラッグに換えたので、私は、彼を追い出したの。そしたらあなたのお父さんが家の前で、『扉を開けろ!』と暴れている!」デジャヴだいい加減にしろ。まだ「あれから1週間」
夫の両親が我が家に来た初日の話に戻ります。私は義理の両親に、夫のアルコールの問題を話していました。夫が米軍から「禁酒命令」が出ている話もしました。米軍人の夫に対する米軍からの「命令order」なので、従わない場合、軍法違反になり重い刑罰の対象になります。逮捕、軍法裁判、不名誉除隊(クビ)など。ついでに夫と私の結婚前の約束、「結婚して、もし赤ちゃんができたら、あなたはタバコをやめて。」結婚前の約束は漠然としていましたが、私の最愛の祖父が若い時に嗜んでいた程度のタバコがおそらく原因で
私が第三子を出産して幸せだった頃。半年ぶりに会いにきた、夫の両親。今回は見事に別々に会いにきました。夫の父は、この頃はまたお酒の量が増えていました。確か、去年の10月頃は「もうやめた」と言っていたのですが…。夫が朝早く、近くに用事があり出かける際に、夫の父はついていき、戻ってきた時は、夫は父親にお酒を買わされていました。夫はイライラした表情で戻ってきました。「朝8時にもうビールを飲み始めたよ…。」夫は夫の父が飲んでいても、お酒を飲みませんでした。禁酒命令のことよりも「妻が出産し
クリスマスの時期、スーパーのレジの前に、孤児院や貧しい子供への寄付用のオモチャが置かれています。それを自分のカゴに入れ、いつも通り会計をすると、会計後に店員さんがそのままオモチャを回収し、「Toyfortots」と書かれた箱に集めてくれます。オモチャがたまると、孤児院、児童養護施設、生活困窮世帯の子供に贈られます。100円均一($1ショップ)のお店などでも実施しています。アメリカでも最近の100円均一のオモチャは手がこんでいるし、100円だから値段を気にせず、いくつも選べて楽しいです
夫の両親が来た2日目、レストランへディナーに行きました。そこで夫の父が言いました。「お酒を飲む。」夫の母は、「やめて、飲まないで。ロクなことにならない。」しかし夫の父は、「俺は大人だ。やりたいことは何でもやれる。」↑これ、夫の母が昨日、言いましたね2人は口論になりました。両親の口論を見ながら、夫は私に悔しそうに言いました。「ほら、まただ。僕が子供の頃からずっとこうだった。せっかく家族で楽しくレストランに来ても、お酒のことで、母が怒り、父が逆ギレして、2人は口論になる
あの日の出来事を書く前に、少し夫の話をします。夫はとても優しくて仕事熱心、真面目な人でした。結婚してちょうど1年後に子供も産まれ、良いパパでした。良いパパというのは、家族の為に一生懸命働き、まっすぐお家に帰ってきて、子供を抱っこしてくれたことでした。私の夕飯の準備を手伝い、「おいしかった、ありがとう」と言ってくれ、夜泣きする子供に対し、夫「ねえ、授乳できる?」(母乳育児)私「疲れた…。」夫「わかった。僕がミルクを作って飲ませるから、眠ってていいよ。」夫は昼間の激務もこ
家に戻り、焼けたガス・テーブルを見ました。(粉末消火剤が見事に消火をしてくれましたが、ガス・テーブルは後日、米軍のハウジングが交換してくれました。おそらく無償?いまだにわかりません。)焼けたガス・テーブルを見て、しっかりしろ、私。一家全滅になったらどうするんだ。しっかりしろ、と思いました。それからは寝室の大きなキング・サイズのベッドで、私と子供3人で毎日、一緒に寝ました。私の第2子はこの騒動をよく覚えています。それ以来、私の第二子の将来の夢は、消防士です。第1子は、