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アロハ(今朝の空)爺の目の調子はだいぶ良くなった。医者に行きたいが、今日は祝日。今日一日様子をみて、念のため明日眼科に電話して、予約をするつもりだ。昨日ブログで体のことを書きながら、思い出したことがある。何年か前にした、「解剖」のことだ。そう人体の解剖である。医者でもあるまいし、ただのハワイに住んでるお婆さんが一体何で?と驚かれるだろうけど、本当に解剖をしたのである、、、お世話になっている仕事先の1つは、学校も併設されている指圧専門のサロン。そこのボスの主催
アロハ(カハラビーチ)ワイキキで働いてた20年。忙しかったハワイの年末年始。お正月のハワイは、もちろん値段は高い。飛行機もホテルも通常の2、3倍はする。家族で来ようもんなら、もう何百万の世界。だから、当然お金持ちが多い見るからに上流階級のご家族、美人の奥様はブランド物の服を来て、小ぶりのエルメスなんかをさらっと持ってる。きっと、このだんな様も一流企業なんだろうな、いや、どっかの会社の社長かも?と、貧乏婆は、勝手に想像を巡らせる。お坊っちゃまもお嬢様方も仕立てのいいお
アロハ今から10年前。婆は50代半ばになってた。入社してから約10年。いくら要領悪くても、生活がかかってる。何とか食らいつき、みんなに助けてもらいながら少しずつ仕事にも慣れていった。安堵していた、その頃.....中国のバブルが始まったのだ。それはもちろん、ハワイにも、やってきた.....そう、爆買い中国人グループ。当時は、ほとんどが中年男性の集団で大声でやって来ては時間をかけて買い漁る。そして、懐から取り出すのは、輪ゴムで止めてある大量の札束。今までは、日本人観光
アロハ中国人同僚Cちゃん。帰国時の"勝ってにヒーロー"話にはのけ反るしかなかった.....日本と中国、こんなにも違う2つの国。中国のヒーローは、結局この高額医療費の超物価高のハワイで、働きながら、高い家賃を払い、まだ小さな2人の子供を育て、年金も収入もない義理両親と共に、一生その面倒を見、生きていくのか、、、いや、生きていくしかないのだ。そして、あれから何年か過ぎた。未知のウイルス、コロナが世界中に蔓延し、ハワイもロックダウンになった。会社は閉まり、ワ
アロハ中国バブルにより、それまで、日本人従業員が大半だったのが、逆転し、中国人従業員が半分以上占めるようになっていた。その多くは、中国から若いときに移住してきた人。そう、移民だ。もう長くいるから英語も達者で、みんなしっかり者だった。同僚の一人、30代半ばのCちゃんは、小さな男の子2人と、やはり、中国人の旦那、旦那の両親を中国から呼び寄せ、6人で暮らしていた。私達の共通言語は英語しかなく、婆も何とか幼稚園児並みの英語で、暇な時は、家族のことなど話してた。その時、日本
アロハ約20年前。ハワイ。待ちに待った'労働許可書'が届き、'差別は違法'の、言葉通りの履歴書ができた。顔写真なし、性別も人種も、結婚の有無も、年齢さえも必要ない、履歴書。その履歴書で書類審査をされる。40代の初めてのハワイでの就活。不安だったけど、この日本とは全く違う履歴書に一人感動し、よし、とにかく頑張ろう、と思った。ワイキキの店舗から、あきらめてた頃に電話があり、まず面接の前に尿検査に行け、と言う。尿検査で健康チ
ALOHAハワイ移住14年目🌈国際結婚10年目👩❤️👨ワーキング主婦FUMIKAです🌺今朝は忙しくてブログ書く暇なかった土曜日のミーティングが早くなって色々と学ぶこともありでもこの会社も後1週間で退職する事にしました👍正確に言うと転職💫変化の時💫いろんな事あるけど総合すると楽しく働ける会社でした同僚からImissyou🥲って言ってもらえてなんなら転職するのやめてここにいろって怒り出す同僚もいてそう言ってもらえるってありがたい
アロハ念願の引っ越し。心優しいオーナーのおかげで、ワンコがいるにもかかわらず、部屋を貸してもらえ、暗い牢獄暮らしから、やっと脱け出せた。うれしかった...だけど、有頂天だったのは初めだけ。すぐに現実に直面することになる。階段が、エレベーターになり、共同の洗濯場が、洗濯機が部屋につき、開かない暗い窓が、風が吹き抜け、日が差し込む...ワンルームから、部屋がひとつ増える...と、言うことは当然ながら家賃も高くなるってこと。そりゃそうだよね。。よく考えたら、車のローン
アロハワイキキの会社。同僚は日本人はもちろん、中国人と韓国人、ローカル他、国際色豊か。みんな各々の理由でハワイに移住してきた。国際結婚、呼び寄せ、、、等。初めは労働許可書。そしてそれが、グリーンカードになり、何年かすると、アメリカ市民権を申請できる。そう、なろうと思ったら、アメリカ人になれるのだ。アメリカのパスポートも、選挙権も...そう、全てが完全にアメリカ人と同等になる。誰もが、申請できる期日を待って、直ぐさま、市民権の手続きをして、アメリカの市民権をゲットす
アロハ20年前のハワイ。爺の口癖、Youcandoit.やれるさ、大丈夫。に、励まされ、幼稚園児以下の英語レベルの、40代半ばのおばさんが、ワイキキで働き始めた。アメリカ式履歴書尿検査(ドラッグの有無)生き地獄の英語での1週間トレーニングを、何とかクリアし、晴れて、売り場に立つことができた。ただ、ここでも3ヶ月間はまだ仮の社員。売り場での働きぶりをマネージャーがチェックし、正式採用かどうか決定されるのだ。はぁ、、、、長い道のりだ。。。他の先輩達は、もう
アロハ約20年前。ハワイ。40代にして、初めての就活。幼稚園児並みの英語、いや、それは幼稚園児様に失礼だろう、幼稚園児以下の英語レベルを引っ提げ、何とか、やっと面接まで漕ぎ着けたのに....いくら日本人観光客が多いっていっても、そりゃあ本土のアメリカ人だって、他の国の観光客だって来る.....最低限の英語くらい話せないとどこも雇ってはくれまい。何てったって、自分の旦那にゼロも通じなかった女だ数字のゼロさえも通じなかったんだから....面接の帰り、そんなことを考えなが
アロハ楽園ハワイの約20年前。楽園は、なかなか楽園にはならなかった、この20年......まさかの国際再婚をし、40代半ばで初めての就活。そして、何とか面接まで漕ぎ着けた....明日面接だ、と心配気に爺に言ったら、Youcandoit.大丈夫、やれるさ。と、言って笑った。.......ケッ!!オメーはいいよな、母国語通じてよー言葉が通じないこっちの気持ちなんかわかるわけねーべ、と心の中でひねくれてた。だけど、このYoucandoit.は何故か心
アロハ20年前、ハワイ。幼稚園児以下の英語レベルを誇る婆は、人手不足と言う、りっぱな理由で、何とか正社員の座を手に入れた。ラッキーだった....こうして40年以上日本の片隅でひっそり生きてきた婆は、ある日突然、ハワイの真ん中のワイキキにある店舗で、働き始めることとなった。なんせ、英語のレベルがレベルなだけに、外人が来たら、お得意の姑息な演技で忙しいふりして逃げ回り、先輩に無理やり、任せていた。日本にいた年数よりもはるかに長い時間をハワイで生きてきた先輩達。時には厳
アロハ(アラワイ運河)恐るべし中国人。。当時、、、バブル当初は、中国人男性グループだけだったのが、だんだん変化していく。女性軍が参入し始めたのだ。これで、またもっと厄介になっていった。何故だか彼女達は、ちょいとブランド物のリュックが好きで、それをなんと、背中ではなく、前で背負ってた。リュックは背負う物だと認識して、長い間生きてきた身にとって、人生初めての光景に、軽くめまいがする、、だって、胸が潰れるし邪魔だし、何よりカッコ悪い。しかし、みーんな前。中国女軍団、1
アロハ約10年ほど前から始まった、中国人の爆買い。その波はもちろんハワイにも来た。1つのグループが去った後は、鼻くそ、目くそ、耳くそのティッシュがカウンターに転がっている。椅子もあっちこっちに散らばり、掃除しても、片付けても、違うグループが来たらまた、同じ。ゴミ箱には、轟音をたてて吐き出す痰.....散々時間かけてやっと商談成立した後、レジで、また騒ぐ。今度は、安くしろ❗ディスカウントしろと、騒ぐ。じゃないと買わないぞ❗とニヤリ。ディスカウントがダメだとわかると
アロハ中国バブル真っ只中、ハワイ。売り場で、婆は、見た....恐るべし中国人母子を‼️夜のワイキキ。一番忙しい時間帯。多くのお客さんが行き交い、ハワイアンミュージックが流れる、眩しいほどの照明がついた店内で、そう、公衆の面前で、隅っことはいえ、堂々と、慣れた手つきで、🩲パンツを下げ、子供の、おち○ちんを、サッサっと掴み、空っぽのペットボトルに、サッサっと差し込んだ、中国人母。え.............???これって、、、中国人子もいつもの調子だろう、サ