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年末年始から2カ月間ばぁば休業した後、孫娘の自宅に戻ると家がまあまあ大変なことになっていて…まあ、それはとりあえず置いといて…孫娘、ばぁばが休業中の1月下旬に今まで全くなかった意識のある短い新しい発作が出現し、2月にも数回、孫娘の元に戻った3月の初旬には学校や自宅で毎日のように起こる『いきなり怯えた顔で強ばったままこちらにしがみついて来る』その発作に初めて遭遇した時には、ばぁばも本当に驚きました大体は意識もあり短いのでそのまま何事もなかったかのように直前の動作に戻りますが、
三姉妹の末っ子りりは、ドラベ症候群。6歳3ヶ月です。日々を母が綴ります。やっと、やっと、やっと、就学問題が解決しましたー!!!自身の覚書も兼ねて、ちょいとしっかり綴っていきたいと思います。よろしければお付き合いくださいね。✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎りりがこの病気と診断されてしばらくして、この子は学校はどうするのだろう?と、頭をよぎりました。0歳の時です。笑(「親亡き後」の講演会を初めて聴講したのも、とても早い段階だった気がします。
三姉妹の末っ子りりは、ドラベ症候群。6歳3ヶ月です。母が日々を綴ります。りりの就学問題について、です。支援学校の見学が終わりました。支援学校を希望しても、窓口になっているのは地域の学校なので、一番はじめに地域の学校は、見学済みです。りりの選択肢は…①地域の小学校②肢体不自由の支援学校③知的障害の支援学校の3つです。見学の段階では、②肢体不自由の学校か③知的の支援学校のどちらかに…と考えていました。ですので、両方の教育相談に行くことにしました。まずは、②肢体不自由
三姉妹の末っ子りりは、ドラベ症候群。6歳7ヶ月です。母が日々を綴ります。年末年始のことを書こうと思って、blogを開くも最後まで書けず、今になってしまいました。今年初だ…このblogも長くなってきました。途中、沢山の勇気や元気をもらう反面、全然知らない人から、福祉制度の利用について「税金泥棒!」的なメッセージいただいたり、同じ病気のママさんに「りりちゃんのblog読んでたら、ドラベが軽い病気みたいだから、そういう記事は書かないでほしい。」と言われたり(これは、かなり悩み落ち込み
ドラべ症候群ののんちゃんとの日々を久しぶりにつづります何年かぶりの投稿になってしまいました空いた期間のことは、追々…記録できたらと思いますがまずはタイトルの内容について記録しておきたいと思います※以下の内容は個人の感想です。参考として読んでくださいフィンテプラ®️は2023年10月末から内服をスタートしました今まではセレニカR、マイスタン、ディアコミットこの3剤で、1歳2ヶ月からなんとか頑張ってきましたマイスタンを除いては、ほぼMAXの量を内服それでも多い時は週1で大発作
三姉妹の末っ子りりは、ドラベ症候群。6歳7ヶ月です。母が日々を綴ります。さて、年末に今季2回目のインフルエンザAにかかったりり。1日面会15分という苦行も、親子共々乗り越え、元気に年を越しました。(お正月すぐに発作しましたけど…)が、またも高熱で発作。しかも、短いスパンで3回の群発。最後は41.3という体温計を見て、あーこれはもう家では無理だ…と、搬送。かかりつけ病院の救急の待合室で、先生から呼ばれるのを待っていました。しかし、待てども暮らせどもやってきません。気が付いたら1時
孫娘、4年半前の静岡てんかんセンターでの3カ月間の薬剤調整入院で、ディアコミットを服用するようになってから、そのひと月前まで起こしていた1時間程の痙攣重積がピタリと治まり、それ以後、今も5分以上の痙攣発作を起こした事はありません静岡で少し減らして来たけど、ディアコミットは孫娘にとって神の薬だとばぁばは今も思っています当然、頻回だった地元のかかりつけ病院への救急搬送もめっきりなくなり、受付で名前を言えば「あぁ孫娘ちゃんね」と、誰もが知る存在ではなくなりました。元々、健康優良児(
孫娘、2年前の急性脳症後は移動以外であまり外に出すことはありませんが、今年度は4月から週に4日か5日、(祖)母子通園で療育園の肢体不自由児のクラスに車で通っています。規定通りに設置している普通のチャイルドシートですが、孫娘はすぐに抜け出してしまいます。肩ベルトを外して、股のベルトに片足を引っ掛けて、てこの原理で体を回転しながら持ち上げ、ビックリする程簡単に抜け出します。そういう悪知恵はものすごく働きます。いくら工夫しても、一度抜け出すのに成功したら、次は秒で抜け出します。ベルトに
*ドラべ症候群の娘、りり。0歳10ヶ月の日々の記録。母が綴ってます。*と言いつつ、すぐに自分の日々の記録になるりり母です。今日は、おうちの片付けで1日が終わりました。さっき、ちょっくらお出かけしなくてはならなかったので、張り切って買ったばかりのTシャツに袖を通しました。じゃーん!(自撮りって難しい…)そうです、ええそうです。巷でうわさのTシャツ、密かにゲットしておりました♡これは、minafamilyという「子ども用車いす」の社会認知を高める啓発活動をしている団体の趣旨に賛同し
うちの子、2回も急性脳症になったものだから、ネット情報から最初はドラべ症候群も考えました。でも、主治医の先生からは、脳症の時以外痙攣がないし、最初の脳症も1歳半と遅めだったから、違うのではないかと言われています。ただ、なんらかの遺伝子変異が関わっているかもしれないので、関連する遺伝子検査をしてもらっているところです。今のところ、ネットで見ていても他に2回以上かかったというお子さんの情報は見つけられなかったのですが…(情報あれば教えていただければ幸いです)。今はただ、絶対に3回目はあって欲
ドラべ症候群ののんちゃんとの日々をのんびりつづってます現在、小学一年生(6歳4ヵ月)です小学校が始まって1ヵ月経ちました母または父の付き添いで、毎日休まず通えています担任の先生たちは毎日細かく体調を気遣ってくれてますそして、のんちゃんの力(学力)の引き伸ばし方もすごくて親もいろんな意味で学んでますただ、やっぱり環境や服装が変化し、今まで経験がないことが多く体温調節の難しさや活動量の調整がわからないのが最近の悩みです発作の方は疲れもあってか4月は無熱の大発作が3回とやや多めです
孫娘の元に戻って10日が経ちました戻って来た日に久しぶりに顔を見ると、手を伸ばしてこちらに寄ってくる孫娘「かわいい」と思って膝を付いて両手を孫娘の方に伸ばすと、服の袖を思いっきり掴まれ、後ろの棚の上で充電中の「タブレットを取ってくれ」でした…そして手慣れた様子でロック解除し、いつものようにソファーに座るようにと腕を掴まれ、タブレットで、シナぷしゅの以前と同じ孫娘のツボのシーンが再生↔早戻し(器用にタップできるんです)で何度もループされるのを一緒に見せられるばぁばこの2カ月間の
生後8カ月で、ドラベ症候群という難治性てんかんの難病を発症した孫娘あれから数多くの痙攣発作を起こし、2歳4カ月になったばかりの頃に痙攣重積型二相性急性脳症を発症し、合併症により一度は消えかけた命の灯火は、辛うじて燃え尽きることなく細く細く灯り続けて、ようやく目を覚ました時には目も見えず、首も座らず、右半身は麻痺して動かず、脳の左側は萎縮し機能不全となり、重度の知的障害を負って私たち家族のもとに別人となって戻ってきました。でも、孫娘は負けませんでした。強い生命力は孫娘のパワー
うちは、床に置く物を最小限にしています。テーブルとソファーと、リビングに置いておきたい書類とおもちゃの入った小型のキャビネット、そして扉を付けた弟と二人分のオムツとちょっとした着替えの入った三段ボックス、それだけです。もちろん扉のチャイルドロックは欠かせません。テレビは高い位置で壁掛けにして、椅子は食事の度にクローゼットから出します。ティッシュやごみ箱、リモコンなど、いつでも手元に置いておきたい物は全部壁の高い場所が定位置です。忘れてはいけない重要な郵便物や提出期限の近い書類も