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[勇払平野/鵡川]③鵡川河口トーチカ勇払平野/鵡川*鵡川河口トーチカこの地域で最も重要な場所。トーチカは全部で3基あった。今は1基しか現存していないが、これも柱というか壁が折れてしまった。写真のトーチカ(現存)の備砲は1式機動47ミリ砲消滅した2基の備砲は消滅(1)が92式重機関銃、消滅(2)が92式重機関銃×2内部は海砂の流入もあり、よくわからない。正面の屋根にある突起物。観測所といわれている。鵡川河口はすぐ太平洋
[網走地区/藻琴]浜藻琴トーチカ国道244号線(並行して海側にJR釧網本線)、藻琴川の河口の南にある。無筋コンクリート2層構造のトーチカ。こんもりとした小さな丘にあるトーチカなので、国道または電車内からも見つけやすい。トーチカの丘以外は一般的な草が生い茂るので問題は無い。だが丘に行くと丘全体にハマナスなどが密生しており、このハマナス(バラ科)には棘がある。藪漕ぎするにもハードルは高めなので、それなりの装備は必要だ。ここのトーチカも藻琴や鱒浦トーチカ
[釧路地区]大楽毛トーチカ(新大楽毛トーチカ)釧路市大楽毛南1丁目1付近道東のトーチカは1トン爆弾に耐える重掩蓋で、コンクリートの厚さの規定は1メートルだが、湿地帯や地盤が良くない地のトーチカは工法が異なる。半完成品を工場で作成してトラックで運び、設置する場所に置いた。半完成品のトーチカの上に掩体(天井)=分厚いコンクリート板をのせた。近くに現存する新富士トーチカ、根室半島の桂木トーチカ①も同様の工法だ。大楽毛トーチカはJR根室本線の新大楽毛駅の近くの住宅街にある。変形六
ザンギでした日本最大の砂岩脈春採太郎を観に行ったが潮の引きがイマイチでそこまで到達出来ず代わりにトーチカを撮ってきた目標物、左側の突き出た岩旧日本軍の痕跡ですねここのトーチカはコンクリート造ではなく自然の岩盤に穴をあけ堀進めて造った銃眼穴はもう塞がれていているがまだ面影はあるここも使われることなく役目を終えた6月の大潮に春採太郎のリベンジですね
[十勝地区]当縁川河口トーチカ(滑落前)北海道十勝郡大樹町付近北海道広尾郡大樹町のJAXA&インターステラテクノロジズ社実験場がある当縁川(とうべりがわ)の河口、ここもトーチカがある。※各種通行止めの案内が頻繁に立つので要注意。私は許可済みで敷地内に入っている。幅約5m×高さ約4m×奥行き約6m。海岸段丘の土中に築かれていたが、海蝕と地震など自然災害でトーチカが露出していたのを2017年5月に発見された。トーチカの基礎部分(床下)の土砂は既に無く、「宙に浮
[四国防衛軍]栗山トーチカ高知県南国市十市2535-3土佐湾に面する小浜海岸の背後の山塊。高知県南国市の守備隊である四国防衛軍(陸軍第2総軍15方面軍第55軍)が本土決戦を見据えて構築したトーチカがある。土佐湾に数多く造られた第2防衛線の防御陣地のひとつ。栗山トーチカ群は、県道14号線から少し北に入った山の中腹に点在する。幾つか現存するようだがわかりやすいのは2カ所。個人宅の背後の山にあるため立入許可は取った(教えていただき感謝デス自力でみつけるのはなかなか困難)。山の道は南国
[網走地区/網走港]鱒浦トーチカと防空陣地北海道網走市網走市鱒浦殆ど資料がない鱒浦トーチカ。「台町しおさい公園下のトーチカ」を探索した網走歴史の会・トーチカ調査報告に、あるくらい。今回も参考にいたしました!ありがとうございます。トーチカ調査報告・鱒浦okhotsk.vis.ne.jp網走歴史の会・トーチカ調査報告に書かれているようにJR鱒浦駅から南へ約200mの地点にある。ちなみ丘の上ではなく中腹。鱒浦トーチカにはこの廃墟(工場)の建物の手前から横をまわるよう
[十勝地区]浜大樹トーチカ②北海道十勝郡大樹町付近当縁川河口のトーチカは滑落してしまったが、浜大樹の海岸段丘にはまだ頑張っているトーチカもある。浜大樹①は笹の藪漕ぎ必須&崖地なので探索断念、②をみにいく。トーチカの盛り土がなくなり、天井が露出している。アプローチは天井、というかコンクリートの広場(*_*)形状から、銃眼は1つのようだ。南西(大樹漁港方面)東北西(当縁川方面)下りるテトラポットでがっちり護岸されているが、海岸段丘
今日は火曜教室開講の日。その前に額縁を購入して「支部対抗戦優勝」の賞状を飾りました。さぁ、来年に向けてまた稽古とチーム構成頑張らないとですね!そんなこんなで火曜教室ですそうくんにきっちり寄せ切られてしまいいました。以前より読みが太くなってきた印象がありますね。ゆいくんとは対振り急戦、トーチカ、米長玉銀冠と様々な戦型で指しました。とりわけ相銀冠になった一戦は駒組のちょっとした違いが即作戦負けにつながる点を指摘しました。かおるくんには完全に力負けでした。手合いが変わるのももちろ
北海道戦争遺跡トーチカ探訪:㉝『エツキサイ5号トーチカ』在所:北海道広尾町小紋別探訪日:2019年10月30日『エツキサイ5号トーチカ』『エツキサイ5号トーチカ』在所※トーチカとは…語源はロシア語。コンクリート製などで造られた堅固な小型要塞です。内部に兵士が隠れて小窓(銃眼)より機関銃等の火器を用いて敵を狙います。今回紹介するトーチカはアジア・太平洋戦争末期本土決戦用に旧日本軍が構築したものです。トーチカ内部のイメージ(旧日
北海道戦争遺跡トーチカ探訪⑬:『当緑川河口トーチカ』在所:北海道広尾郡大樹町浜大樹探訪日:2019年(R元年)10月31日午前9時過ぎいったい…⁉これほど強烈なインパクトを放つトーチカは立地条件を含めて世界的に見ても珍しいと思います。在所:この辺りにあります。トーチカ内部イメージ※トーチカとは…語源はロシア語。コンクリート製などで造られた堅固な小型要塞です。内部に兵士が隠れて小窓(銃眼)より機関銃などの火器を用いて敵を狙います。
今回は、変り種キットです。ひなちんの城1/72日本軍鋼製移動トーチカ96式25mm機関砲付です。‟JapanesePillbox”日本軍の鋼製移動トーチカは、主に太平洋戦線の主要な島々に配置されていました。このトーチカは、鋼鉄製の二重壁を備えたプレハブ式の切頭6角錐の形状で、外側と内側の鋼板の厚さはそれぞれ6mm程度、間の空間は砂で埋められていました。トーチカの内部は、上部と下部の部屋に分かれており、上部は監視又は指揮官用に設計され
北海道戦争遺跡トーチカ探訪30:『エツキサイ2号トーチカ』『エツキサイ2号トーチカ』在所:北海道広尾町小紋別探訪日:2019年10月30日『エツキサイ2号トーチカ』トーチカ内部のイメージ(旧日本陸軍)トーチカ内部のイメージ(旧日本海軍陸戦隊)※トーチカとは…語源はロシア語。コンクリート製などで造られた堅固な小型要塞です。内部に兵士が隠れて小窓(銃眼)より機関銃等の火器を用いて敵を狙います。今回紹介するトーチカはアジア・太
[十勝地区]当縁川河口トーチカ(滑落後)北海道十勝郡大樹町付近北海道広尾郡大樹町のJAXA&インターステラテクノロジズ社実験場がある当縁川(とうべりがわ)の河口のトーチカ、ついに息絶える!の報があり再訪する。宙に浮くトーチカ、崩落していた北海道の旧日本軍施設:朝日新聞デジタル太平洋に面した北海道大樹町(たいきちょう)の海岸で、第2次世界大戦末期に造られた旧日本軍の「トーチカ」が崩落しているのが見つかった。9月下旬、十勝総合振興局が河川パトロール中に発見し、町に報告したと…w
[勇払平野/苫小牧]①植苗トーチカ&緑ヶ丘公園トーチカ安平川(&勇払川)の西側。丘陵・山地にも縦深陣地では、植苗トーチカ(41式山砲)が現存、緑ヶ丘公園トーチカ(92式重機関銃?)がほぼ埋没しているが気配は確認はできる。安平川(&勇払川)の東岸に隣接する柏原には、山の中に柏原2号トーチカ(41式or94式山砲)が現存しているようだが、こちらは詳細がわからず行けなかった。勇払海岸〜汐見町海岸〜高砂海岸〜基町海岸には水際陣地が構築されていたが、現存するのは元町海岸トーチカ(92式重機関銃
浜松陸軍墓地跡のトーチカ静岡県浜松市中区住吉4丁目21陸軍浜松飛行場の防衛のために作られたトーチカ。浜松陸軍墓地の端にあったが、陸軍墓地も忠霊殿も壊されて平和記念公園と名前を変え、その南西には浜松市立青少年の家が建つ。南側は傾斜しているが、その傾斜にトーチカがある。前面は半円の形状で、砲口部は至近弾の被害を軽減するために階段状となっている。出入り口は埋めているのか、わざと伐採された木の枝を積み上げているため全容は不明。なお、白亜の霊
[釧路地区]興津トーチカ釧路市興津の海岸。「岩を刳り貫いてつくられたトーチカ」とされているが、釧路オコツナイ骨格陣地の南端に位置していること、銃眼の形状や大きさからここは監視所を兼ねたトーチカかもしれない。"トーチカ"から見た景色"トーチカ"の出入口は転落防止のため塞いだとのこと(通りがかりのご老人談)。崖地の岩盤を真上から掘り込んだ、とのこと。*釧路海岸の防御陣地道東の太平洋側は戦前より国防上の重要拠点と考えられていた。陸軍ではアメリカ
[勇払平野/厚真]①鹿沼1号トーチカ*鹿沼1号トーチカ1980年代に山林を伐採して牧場を造成する工事中に発見された。発見時は土に埋まっていたそうだ。備砲は41式山砲。出典:厚真町内に残る戦争遺跡「トーチカ群」が伝えるもの【コラムリレー第47回】鹿沼2号トーチカの備砲は92式歩兵砲とのこと。ネットで見る限り往時の原型を保っている様子。いつか行ってみたい。*砲眼備砲が41式山砲なので出入口が広い造りは隣山の二宮トーチカとほぼ同じ(・ω・)
[四国防衛軍]土佐湾・小浜トーチカ高知県南国市十市4773-3付近土佐湾に面する小浜海岸。高知県南国市の守備隊である四国防衛軍(陸軍第2総軍15方面軍第55軍)が本土決戦を見据えて構築したトーチカがある。土佐湾に数多く造られた第2防衛線のひとつ。十市地区は背後に山を抱えており、山腹にもトーチカ群がある(後述)。小浜海岸にある半地下型の小浜トーチカは、周囲をビニールハウスに囲まれているのでわかりにくい。畑の畦道のような細い迷路にある。幅6メートルくらいの正
[根室地区]落石トーチカ①根室市落石西付近落石地区(落石岬)には4つのトーチカが現存するようだ。場所が明確なのは落石岬の西側の三里浜にある2つのトーチカ。残り2つはチラッと探索しただけではよくわからなかったのだ。なお、三里浜は海砂が締まっているので4WDの軽めの車なら走行できる(・∀・)1番西側にある落石トーチカ①は外浜から片道約3キロある。①の東側にある落石トーチカ②は外浜から片道約2.5キロくらいある。車で行けるのはありがたい!落石トーチカ①築
その①より時間が空きましたが・・・戦争遺跡の少ない徳島県では非常に貴重な遺構だと思います。徳島県では、知る限り初めて確認できたトーチカです。本土防衛用に構築された陣地となります。位置的には眉山東部で、展開していた部隊は陸軍第155師団第450連隊第二大隊第五中隊。陣地は完成していたと思われますが、徳島空襲で一面まる焼けとなり陣地をここより少し西手の竹林院に部隊を移してますが、そちらは開発により陣地跡は残ってないかもしれません(少し探索してみたのですが、陣地跡らしきものは発見できず。)
<伊賀トーチカ裏に高低差のあるU字横穴壕が>先月、拙著読者で近代化遺産(主に戦争遺跡)研究家でもあるアメブロガー、pearlwhite氏が徳島市の眉山山中で陸軍のトーチカを発見した。その場所は、陸軍第155師団第450連隊第二大隊第五中隊が徳島空襲時まで、陣地を構築していた所である。具体的な陣地範囲は、そのトーチカ(仮称:勢見1号&2号トーチカ)のある尾根から北の青眉霊苑下方のダムが連続してある水路付近までである。因みに徳島空襲後は、竹林院東方に本陣地、北方に予備陣地を造営していた。そちら