ブログ記事688件
ぐらの顔をじーっとみてるとこんなつぶらな瞳でみつめてくれたりします♡こちらは無防備な寝顔…にいにが、「ぐらの顔見てるとさ、チューしたい気持ちががまんできないね。かわいすぎるよね。」と。ママも一緒です、笑。そして、そんなこと言うにいににもキュンです。我が家の中型犬と小型犬かわいいなぁ😻😻ふたりとも大好き(´Д`)♡そして先日、ぐらは保育園の入園前健康診断に行ってきました。集団生活「可」と医師からの書類をもらってきました。嬉しい
染色体検査の次の日は退院予定日だった『命の重み』妊娠、出産、命について私のその時の思いを吐き出しています。その思いを読んで気分を害する方もいらっしゃると思います。読み進めて不快になりそうな方は読まずに飛ばし…ameblo.jp泊まりこんでくれたダンナと私と赤ちゃん、一緒に退院となる大きな病院でダンナが赤ちゃんをだっこしてロビーで会計処理待ち。一ヶ月検診であろうその日は沢山のベビーちゃんがロビーにいた。みんな普通なのに何でうちの子ばっか、、って、他の赤ちゃんを見ただけで涙が出る。そ
ベビーマッサージ教室irotoridoriです。読んでいただきありがとうございます☺️ベビーマッサージ教室irotoridoriは2021年12月〜地域でベビーマッサージ教室を開講しています。そして、2024年4月〜ようやく長年温めてきた教室『ダウン症のお子さまのいるご家族に寄り添うベビーマッサージ教室』を開講することになりました。私の中で地域での活動もダウン症の赤ちゃんに寄り添う活動も両方とても大切にしたいものです。私のことや息子のことを色
今回の記事は書くつもりなかったのですが、同じ時期に生まれた可愛いダウン症ベビちゃんのブログを読んで、やっぱり記録を残しておこうと思いました。このブログを見て下さっている人の中には、ダウン症ベビーが生まれて情報収集の際にたどり着いた方もいるかと思います。本件につき、とある別のブロガーさんからも個別に相談のメッセージを頂いたので、どなたかの参考になればと思い、記録しておきます。----2月7日の夜。ぐらにビクっとバンザイをする動きが見られました。※動画を貼っておきます
記事一覧1.ブログを読んで下さる方へ2.自己紹介3.産前のこと4.産後から赤ちゃん入院まで5.医療センターへ転院6.赤ちゃん転院後の産院でのこと7.旦那さんとの会話8.その時々の気持ちの変化9.人との関わりから考えたこと10.〝今の気持ちメモ〟11.言葉12.成長記録先日書いたように、療育の施設を4箇所見学をしたのですが、自動発達支援のサービスを提供されている会社の方針やコンセプト施設の作り利用できる時間.人数
帝王切開終えて病室に戻り朦朧とする中で、手術の外で待機してくれてた母から赤ちゃんの動画と写真が送られてきたゆっくり開くお目目ぱっちりすぎる二重おまんじゅうのような輪郭でも何これ眉毛あがりすぎじゃない?誰似?
こんにちは〜ぱとちゃんですこないだ役所関係の方に子供の発達具合を色々聞かれました障がい児を育ててると役所関係の方に関わる事が多くその度に根掘り葉掘りプライベートな事まで聞かれるんですよ今更、そんな情報いるって思う事ばかり聞かれますそれでは私が思うその質問いるベスト3を発表します🥇第1位妊娠中つわりは酷かったか今更いる❓何年も前よ障がい児を妊娠するとつわりが酷くなるかとかデータ分析してんのか〜何年も前で覚えてないし酷いか酷くないか人と比べられない
記事一覧1.ブログを読んで下さる方へ2.自己紹介3.産前でのこと4.産後から赤ちゃん入院まで5.医療センターへ転院6.赤ちゃん転院後の産院でのこと7.旦那さんとの会話8.その時々の気持ちの変化9.人との関わりから考えたこと10.〝今の気持ちメモ〟11.言葉この1ヶ月間の娘の大きな変化というと、靴を履いて公園に出かける機会が増えたことです☺️今までは室内で歩ける歩数は増えていても、靴を履くと慣れない感覚に違和感があるのか、
ダウン症の赤ちゃんの特徴で、あてはまったものの一つに「折れ耳」がありました。頭の形は、新生児のうちから横向きに寝かせる等で絶壁頭になるのをある程度回避できます。それに倣って、ぐらの折れ耳もこんな感じで毎日指で広げていました。ぐら:「ぼくのお耳、ほんと大好きなのねー…ムニャムニャ」結果は…約1ヵ月でかなりの変化!2か月を過ぎた頃にはしっかりとクセがつき、もうすっかりなおっていました。頭の形同様に、生後数ヵ月のまだやわらかい時期に自力で矯正で
私も旦那もSNSを使ってですが友人、知人、先輩などにぱんちゃんについて載せました。声をかけてくれる子もいて嬉しかったのですが「無事に生まれてよかったね!」「我が子は我が子だから可愛いよね!」「ダウン症でも生まれてきてくれて良かったね」って言われたのはぶっちゃけキツかった。笑ぱんちゃんのこと生まれてこなきゃ良かったとは思ってないけどやっぱり健常児に産んであげたかったって今だに思ってるから、そう言われると自分の不甲斐なさを感じて気持ちがしんどくなった。あとは「私の子も
お久しぶりです!Instagramにこもってしまいアメブロの更新が途絶えてしまっていました。コメントも返せずすみませんでした。先程、コメント返信させていただきました!ぱんちゃんはとっても元気です*先週の定期健診では*身長57.5cm*体重5366gで、順調に成長しているとの事でした!笑う回数も増えて目もよく合うようになり赤ちゃんらしくなってきました🌱とはいえ、自閉症の兆候はないかとか特徴を探してしまったり、身体にグッと力がはいることがあるのでてんかんじゃな
これは、1年前のコトを書いてます!!2017.12月今日は、染色体検査の結果が出る日です。退院して、13日後の診察日です。体重が、思っていたより増えておらず、、、。軽くショックを受けていました。1日20〜30グラムしか増えてない。これは、ヤバイ、、、。直母優先にしたから、疲れちゃって、そのあとのミルク中に、寝てしまっていた、、、。体重増加の為に、今のうちは、直母はあきらめて、2時間おきにミルクをあげてみます!!!でも、搾乳頑張ります。そして!!!先生の診察室9番へ、旦那
記事一覧1.ブログを読んで下さる方へ2.自己紹介3.産前のこと4.産後から赤ちゃん入院まで5.医療センターへ転院6.赤ちゃん転院後の産院でのこと7.旦那さんとの会話8.その時々の気持ちの変化9.人との関わりから考えたこと10.〝今の気持ちメモ〟11.言葉12.成長記録今まで、Amebaブログで娘の誕生から気持ちを記録してきました。いつか、動画でも残したいと思っていたのですが、今日UPすることができたので大変恐縮ですが載
「なんで私が」「なんでこの子が」「なんでこうなったんだろう」「なんで気づかなかったんだろう」小児科の先生が出ていった後、そんな思いで頭がいっぱいで苦しかった。ほんの数時間前はこれから産まれてくる命が楽しみでお祝い膳に期待したり長男の反応を想像したりそんな些細な楽しみに胸が踊ってたのに。もう絶望しかなかった。大きな病院に送られる前に看護師さんが少しだけ赤ちゃんを連れてきてくれたけど素直におめでとうと言えなかった。素直に可愛いと思えなかった。でも、薄情なお母さんだと思
※育てる育てないなどの表現がありますのでご注意下さい。なぜ、私が育てない選択を考えていたのか。まず1つ目は経済面。私は長男がいるため時短勤務の会社員、旦那は28歳の会社員、年相応の年収。共働きで健常児を2人育てて少し贅沢ができるくらいの年収しかない。私が仕事復帰できなければ貯金に回すお金は捻出できないし色々カツカツになる未来しか見えない。2つ目は人の目。私は目立つのが好きじゃなくて人と右へ倣えをして生きていきたいタイプでこの先、必ず経験するであろう好奇の目や偏見の目
ぱんちゃんはまだ普通の赤ちゃん。お外に連れて出ても誰からも気にされることはない。でもいつかダウン症だってわかる顔つきになったとき私は「可愛い」「愛おしい」と変わらず思えるのだろうか。こんな事を言えば必ず言われる「両親の特徴も出るよ」「両親に似るよ、大丈夫」って言葉、わかってるよ。わかってる。Instagramやブログやってればわかる。みんな違うもん。同じじゃない。でも何故かダウン症だってわかる。だからぱんちゃんがどんどんそうなっていったとき初めて「あ、この子
久しぶりの更新になってしまいました。コメントくださった方、返信ができず申し訳ございませんでした。でもしっかり読みました。暖かい言葉を本当にありがとうございます。ぱんちゃんは無事、生後2ヶ月を迎えました⸜(˙▿˙)⸝体重は4kgを超えお顔がまるくなって足もむっちりしてきました🌿ただ、ぱんちゃん哺乳瓶拒否で完母になりました。笑あにぱんはミルク寄りの混合だったので拒否をされるという経験が初めてで温度を確認したり乳首を変えたり搾乳にしたりミルクを変えたりと夫婦で試行錯
先生、「お母さん、今日お父さんが来てから、一緒にお話しようと思ってたけど、、、今、お母さんから、その話が出たから、、、。話しましょう!お母さんも知ってると思うけど。その可能性があるかなーと思います。低緊張、平たい顔貌、手のますかけ線。あとは多血症。、、、、、、」あとは、採血をしていて、多血症の結果待ちで、結果によっては、こども病院に搬送になります。みたいなことを言われたけど。ダウン症、、、しか頭に入らず、涙がどんどん出てきて、止まりません。助産師の友達がずっと
赤ちゃんが生まれて。胎盤が出るまで。ずーっっと、身体中が震えてました。ヤバイ、ヤバイ。どうしよー、どうしよー、、、って、頭ん中、ぐるんぐるん。インファントウォーマーで、処置中の赤ちゃん。あんまり、泣かない。誰一人、あわてず、喋らず、淡々と処置をしている小児科の先生と、見守ってる産科の先生方。例え、赤ちゃんに何か障害を見つけても、騒がずに処置を続けていた私。あー、医療スタッフって、そうだったなぁーって、考えながら。余計に悲しくなってた。赤ちゃんは、とりあえず保育器へ入
産後すぐに両方の両親には伝えました。私を否定したり責めたりなんてことはなく「そっか。じゃあみんなで育てていこうね」って言われた。でもその言葉が私には重荷。「育てていける自信がない」と言えなかった。でも勇気を出して産後1日目の夜に母に「施設に預けることも考えたい」と話してみた。母は「せっかく産まれてきたのに」「あなたの気持ちはわかるけどその選択はしないでほしい」「ダウン症は可愛いよ。大丈夫。」「サポートはするから」しか言わなかった。旦那も旦那のお母さんも同じ意見。誰も
旦那さんが来て、ラウンジでちょっと待ってる時に、私「やっぱり、ダウン症かもって。」旦那「マジ??違うでしょ、、、」私「うーん、ぽいって言えば、ぽいし。わかんない、、、」旦那「まじかー。結婚出来るかなー?」私「ダウンだったら、出来んよね。」って。今でも、鮮明に覚えてる、、、。結婚。って言われた言葉が、すごく悲しかっなあー。無理に決まってるって思っちゃったなー。そして、先生から同じように話がありました。私、号泣。旦那さんは、ウルッとしたくらいかな。とりあえずは、多血症を優先
やっと。やっと産まれた。長かったような。短かったような。嬉しいような。なんだか、寂しいような…頑張って産まれてきてくれた我が子をボーッと見ていたら涙が溢れてきた。夫は、そんな私を見て微笑みながら頭を撫でてくれた。立ち会ってくれて本当に心強かった。『写真、撮っても大丈夫ですよ。』と、助産師さんが言ってくれたので夫に何枚も撮ってもらった。医療用チューブのような物が見えたので、もし、痛いことされてたら嫌だなぁと思って私はあまり見ないようにしていた。黙々と我が子を
生まれてきてから6ヶ月、一生懸命頑張ってるぱんちゃんのすごいところを記録しておこうかな🌿🌿驚きの哺乳力ダウンちゃんは哺乳力が弱いで有名なのですが、ぱんちゃんも例に漏れず産まれた時は哺乳力がなく経鼻栄養だったのですが6ヶ月経った今はというと200mlのミルクを20分以内で飲みきります◎カチカチのお乳はものの10分でふんわり柔らかに仕上げてくれます◎「寝起きミルクに関しては10分で飲みきるぜ」🌿身体付きがしっかりしてるいつだかの投稿でも書いた通りぱんちゃん、とてもポテン
さて、今回は『日光街道歩き旅④』です。日光街道21次の4番目のステップ、越ケ谷宿から粕壁宿まで約11.5kmを歩いてきました!※画像は右記よりお借りしています:引用元※過去記事:①日本橋→千住宿②千住宿→草加宿③草加宿→越ケ谷宿■北越谷をスタート!この旅ではじめての踏切に遭遇しました。線路はこのあたりから、地下や高架ではなく地上になるようです。随所にある「日本橋から●km」の表記はテンションがあがります。川を越えて春日部市に入ります。ポカポカ暖かい日だった
記事一覧1.ブログを読んで下さる方へ2.自己紹介3.産前のこと4.産後から赤ちゃん入院まで5.医療センターへ転院6.赤ちゃん転院後の産院でのこと7.旦那さんとの会話8.その時々の気持ちの変化9.人との関わりから考えたこと10.〝今の気持ちメモ〟11.言葉12.成長記録先日の、弟に対して押したり叩いたりするという記事に対して『問題行動?困っていること』記事一覧1.ブログを読んで下さる
ぱんちゃんの育児を開始して大変に感じたこと。◎抱っこ紐が使いづらいぱんちゃんはかなり小柄でかつ、ダウン症特有の「低緊張」があるため抱っこ紐の相性が悪いです。今はナップナップの抱っこ紐に新生児パットを装着してますがぱんちゃんには大きくて埋もれてしまいます。なのでお尻にタオルを詰めて底上げしてやっと抱っこができる感じですがたまに胸に顔が隠れてしまうので注意しつつ外出しています。ですがこれではダメだなと調べた所、ベビーラップが良いとのことなので色々と良さそうなのを探してい
産まれてからすぐに連絡したときは他愛もない会話をした。私「産まれたよ〜!!」旦那「2人とも無事でよかった!10ヶ月間、本当にありがとう!」幸せな会話だなあって思ってたのにその1時間後には「ごめんなさい」をたくさん送った。次男の病院の付き添いを急に依頼されて仕事を切り上げて急いで駆けつけてくれた旦那には感謝しかなかったけどその時の私は自分の気持ちに精一杯でありがとうすら言えなかった。きっと旦那も戸惑ってたはずなのに謝るわたしにずっと「大丈夫。誰も悪くないよ」と言い続け
令和3年2月1日2642gの男の子を帝王切開で出産しました。産まれてすぐに思った感想は「この子なんか違う」でした。看護師さんに撮ってもらった写真を見返して、あの時感じた違和感はやっぱり勘違いじゃないと思って調べていくうちにたどりついたのが「ダウン症」。その後すぐに小児科の先生がきて「心臓に閉じてない部分がある」「今から大きな病院に連れていきます」と言われて最後のピースがハマった感じがしてすごく震えた。あの時の気持ちは一生忘れられないと思う。
ブログを読んで下さる方へ始めにこちらをお読み頂けますと幸いです『ブログを読んで下さる方へ』このブログを目に留めてくださった方へお伝えしたいことがありこの記事を書いています。このブログは現在、ダウン症の赤ちゃんを出産した母が、過去を振り返って当時の出…ameblo.jp赤ちゃんが生まれてからのこと🕊−−−−−−−−−−−−−−生まれた〜泣くまで少し時間があったけど、何とか泣いてくれてるし大丈夫だ、良かったぁ。😌と思っていました。だけど、分娩室で、赤ちゃんを
娘が、生まれて、先生からダウン症の可能性があることを伝えられて。どんどん涙が溢れてきた。看護師さんは、私の隣にいて、肩を撫でてくれてた。今までは、看護師さん側にいたなぁー。なんて、ちょっと冷静に思ってた。先生、「お母さんなら、大丈夫。お兄ちゃん達もきっと可愛がってくれる。ダウンちゃん、本当に、可愛いのよ。みんなに愛されるわよー。」看護師さん、「きっと、お母さんだから、選ばれたんだよ」みんな、同じことばかり言ってくる。でも、私も今まで、同じように声をかけていたなぁ。