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もともと私とは対照的に口数少なくまじめで優しい夫。妻が癌になったこともビックリしたでしょうし、私のために仕事を休んでもらうことも多く職場の人に迷惑をかけていることも気になっていたと思います。そして、何より今まで元気だった妻が毎日死にたくないとずっと泣いている状況にどうしていいかわからなかったのだと思います。夫の行動に理解できない点が出てきました。入院中からおかしいなと思うことがありました。私の入院中、義実家に預けている息子の様子を見に行ってもらったら、義実家を出たとLINEがあったのに
大変だった頃を思い出すことがあったので今日はお腹の調子のお話。お食事前の方などはここでストップしてください。大腸癌手術から1年くらいは急なお腹の変化も多くなかなか自分のペースも掴めず、外出も不安でした。2年目以降も一度でも急なお腹の変化に遭遇すると、そこからまた急に調子が悪くなるんじゃないかと不安が増強してしまっていました。私はお腹の調子が普通じゃないから...という精神的な問題が大きかった気がします。4年目に突入した最近はほとんど不安はありません。手術前は、1日1回だったのが今は1日5
退院の1週間後に外来の予約が入っていました。その時に抗がん剤をどうするか聞かせてほしいと主治医に言われていました。抗がん剤治療をやることは病理検査の結果を聞いた瞬間に決めていました。問題はどの種類をどれだけの期間やるかでした。主治医に提案されたのは・カペシタビン(ゼローダ)療法6ヶ月・UFT/LV(ユーエフティ/ユーゼル)療法6ヶ月このどちらかならゼローダというのも飲み方を聞いてすぐ決めました。迷ったのは、ゼローダ錠にオキサリプラチンの点滴を加えるXELOX療法にするか、ゼロ
しばらく間が開きましたが、告知、手術から4年がたちました。ソワソワする時期ですが、年々ソワソワ感が減っている中、今年は仕事が忙しくて癌のことを考える時間がありませんでした。考えすぎないのはよかったものの、このハードワークからは抜け出したいです。引越しによる転院後初めてのフル検査で、大腸内視鏡、CT、血液検査(腫瘍マーカー)でした。結果はすべて問題なし。ついに4年クリアです。やっぱり結果を聞くとホッとします。よかったです。5年の寛解と息子のランドセル姿が見えてきました。心配していた大腸内
朝の総回診のあと主治医が1人で来られ、病理検査の結果が出たけどご主人と一緒の方がいいよね?いつにする?とのこと。退院後になるかもしれないと聞いていたので、早く結果が出て驚きました。夫に連絡すると仕事に行ってましたが、気になるから早い方がいいと出社直後だったのに上司に相談し早退してくれました。昼前には来られることを看護師さんに伝えると先生に予定を確認してくれて、13時に相談室に来てくださいとのことでした。夫は昼前に着き、その時間を一緒に待ちました。呼びに来られ、入室。主治医と癌認定看護師
今回も術後4年クリアしたら旅行に行こうと、そうなることを願って2月にホテルを予約していました。無事に今回もクリアして旅行に行きました。今年は夫もいっしょに。『母子旅』術後3年クリアしたら旅行に行こうと、そうなることを願って2月にホテルを予約していました。夫にも声かけましたが、インドアな夫は行きたくなさそうだったので義母を誘…ameblo.jp昨年に続きプールを選んだのは息子が好きなのもありますが、私が海やプールが大好きだから。息子の楽しそうな顔が見られたのがなによりですと言いつつ、子ども
里帰りから戻り、紹介してもらった総合病院にかかりました。またここでも採血。奥からギャンギャン泣く声。まだ生まれて1ヶ月ちょっとなのにこんなに何回も採血されてかわいそうで、代わってやりたいと思いました。1週間後、結果を聞きに行くとやはり正常値に近いが異常値。こちらの先生も、前医もおそらく問題ないという見解ですが僕も問題ないと思ってます。この病気だと何かしら症状が出ると思うのですが、何も問題なく体重も増えていて元気そうです。ただ体重の増えが少し悪いので母乳とのことですが、飲めているかわからな
先日、胃がん闘病中だった母が亡くなりました。昨年6月に見つかってから1年弱でした。胃がんだと思っていましたが十二指腸癌でした。希少がんで予後が悪い癌でした。1年のうちに何度か入院しており、今回も熱が出やすく食事量が減っていたため入院していました。本人も今までと同じく退院する気満々で抗がん剤治療もまだまだ頑張る気でした。主治医も亡くなる3日前までそのように考えていたらしいです。ところが急激に悪化しました。遠方に住んでる私は最期にギリギリ間に合い会話もできましたが、さらに遠方に住んでいる
私が受けた心無い言葉を書く事で、それを読んだ方が私と同じように傷ついて欲しくはないので、心が揺れてしまいそうな方はどうかこの記事はスルーしてください。癌だと報告すると、リアクションは様々。当然大体の人が励ましてくれるし、今までも沢山の温かい言葉に救われてきた。でも中には、無神経に?悪気はなく?心無い言葉を言う人がいる。とある知人男性40代数ヶ月に一度くらいしか連絡は取らないけどたまたま正月にLINEが来た。元気?と聞かれたので癌だと報告し、リンパ節転移の疑いがあって不安だと書いた
1クール目は実母がいてくれましたが、母も手術を控えており地元に戻りました。ちょうど1クール目途中からコロナによる登園自粛要請で息子は日中も家にいたので、母は息子といっぱい遊んでくれ息子も母に懐いていたので、帰るときはとても寂しがっていました。腕の痛みで息子が泣いても抱いてあげることもできない、手のビリビリで食事の準備やオムツ替えも辛い、吐き気で動くのが辛いという状況になるだろうと1クール目でわかりましたので、私が息子のことをきちんとできると思える状態になるまで2クール目から4クール目は息子は
ゼローダの副作用の手足症候群。足裏に出てしまって歩くのが辛くなったり、手に出てしまって家事や子育てに影響したら困るなーと思っていました。そのため、クリーム塗り塗り、手袋はめはめ、靴下やスリッパはきはき、しっかりやりました。コロナでいつも以上に手洗いするので、常にクリーム塗っていました。1歳の息子もクリームを手に持ち、塗るマネを覚えるくらい。手袋は家の中では下履手袋、外では日焼け防止手袋、洗い物はゴム手袋をしていました。下履手袋の右親指と人差し指はスマホ触れるように切りました。外ではき
前のブログに励ましのコメントありがとうございました。肺のCTを撮ってから1週間。ついに検査結果を聞きに行く日。1週間考えない、考えないと言い聞かせてました。朝出勤前に、夫が手を握ってぜったい大丈夫だと信じてると言ってくれました。中待合では、お母さん守ってねと何度も心の中で唱えてました。結果は、肺にあった何かが消えていました。腫瘍マーカーも引き続き正常値。本当によかった。タイミング的におそらくコロナの炎症で間違いないでしょうとのことでした。コロナでは高熱が数日続き、解熱後臭覚が1週間
まず最初に謝らないと。私は仕事をお休みして、抗がん剤治療をしていました。タイトルで働くママとしているので働きながら抗がん剤治療した状況を知りたいと思われた方、ごめんなさい。本当に会社には感謝しています。その理由は・会社の検診のおかげで癌が見つかった・癌になってもいろいろな休みの制度があり、仕事のことは気にせず制度を利用しなさいと言ってもらえた・社会保険に月○円を超えたら返金という制度があった本当にいい会社です。私の場合は珍しいと思いますが、育休中に癌が見つかりました。ただ、まさ
私が小さい頃からある地元の銭湯♨️15年以上前にリニューアルして施設が綺麗になったスーパー銭湯と銭湯の間みたいなちょうど良い塩梅の入浴施設🛁もう10年以上行ってなかったケド、休日に家に1人で居る時間はドス黒い悪魔がやってくるので「よっしゃ風呂でも入りに行くか」って事でバイクすっ飛ばしていざ銭湯へ平日の昼間という事もあり、貸切状態色んな種類のお風呂があるので出たり入ったり、露天風呂で身体を冷ましながら、心地よい風が吹いてとっても気持ちいいサウナもあるけど、正しい入り方もわからないの
たくさんの人に見ていただき、ありがとうございます。私は告知後、詳細を書かれている方のブログに大変助けられました。なので、私のブログが今後辛い思いをされる方の心を少しでも穏やかにできるといいなと思ってブログを始めました。そんな私に今では多くの闘病の先輩や読んでいただいた方がコメントやメッセージで励ましてくださいます。本当にありがとうございます。病理検査結果に続いて、ガイドラインではステージ3だと抗がん剤をした方がいいとなっているとの説明がありました。手術で見える癌は取り除けている、ただ
私の投与予定は、XELOX療法4クール、そのあとゼローダ療法4クールでした。おそらく珍しい抗がん剤投与スケジュールです。血液検査の結果、今までは白血球や赤血球は基準値以下になっていたものの投与には問題ないレベルでした。今回はXELOX療法4クール行ったことによるものなのか、肝臓の値であるASTとALTが基準値よりも高くなっていました。お酒は好きで大腸がん発覚前はそれなりに飲んでいましたが、一度も肝臓の値が高値になることはありませんでした。しかし、ガタガタですね。毎年の健康診断では赤血球
母のこと。いろいろ検査結果が出てきた結果、胃がんの切除手術はできない状態ということがわかりました。姑息的手術をまずはして、その後の方向性はそのあと。父や母はまさかそんな状態だと思っていなかったようですが、私は検査の経過等からそのような状態であるかもしれないと思っていました。自分の癌でいろいろ調べたことがこんな形で使われるなんて皮肉です。電話で父は男泣き。母は泣かなかったもののきっと怖くてたまらないと思います。状況はよくないけど、まだまだ入院中で会えないけど、心の支えになりたいし、まずは
まだまだ暑いですが、空の色や朝晩の空気が少し秋を感じるようになってきました。夏が大好きな私にとっては寂しくなる季節です。この夏も海に川にお祭りに、夏らしいことをいっぱい楽しみました。1歳すぎでコロナ禍となってしまった息子にとっては、お祭りもほぼ初めての経験でした。わたあめの美味しさを知ったようです。とっても楽しんだ夏ですが、楽しみと楽しみの間は感染症で撃沈でした。8月半ばに家族全員コロナにかかり、8月末は何かしらのウィルスに私と息子が感染し発熱。ひとつきに2回も39℃なんておそらく
最近思うのは、身体は日々回復して、少しずつでも働ける兆しが見えてきた。でも心は体とは逆で定期的に闇が襲いかかる癌がわかった頃は、身体はしこり位しか自覚症状が無くて元気だった。でも心が壊れた。その後も同じ状態、仕事もしてたから気は紛れていたけど、夜はほぼ毎日泣いてたと思う。入院数日前からはやっとだという気持ちで気持ちは明るくなった。でもコロナになってまた落ち込んだ2回目の入院〜入院期間中は手術も終えて安心感からか気持ちが上昇した。病院に居た事で周りはみんな癌患者だし看護師さんも居るし安
元は私の闘病ブログですが、最近は息子の感染症と実母の胃がん闘病ブログになっています。私はコロナワクチン2回目副反応で発熱したもののそれ以外は元気!暑さにも負けず3年ぶりの夏の営業も取り組めています。息子もスッカリ元気になり、食欲低下の数日を取り戻すかのようにいっぱい食べています。ますますお話も上手になり、ついに私の方を見てかわいいと言ってくれたのでありがとうと喜んだら、靴かわいいと私ではなく仕事用のヒール靴をかわいいと言っていました。ぬか喜びでした。息子の体調も落ち着いたので、母に会いに
もう1月も折り返しましたが、今年もよろしくお願いします。年始は帰省し、父や大好きな友達と会い、息子の好きな水族館にも行って楽しみました。11月の診察のあと3月の大腸カメラ、CT、血液検査、診察が本来の検査予定ですが、引越しによる転院のため受診してきました。よくしゃべる先生でした。うちも大腸がんの手術も抗がん剤治療も多くやってますよ。と言われました。治療経験豊富ということで安心させるために言われたと分かりつつも、もう手術も抗がん剤もやりたくないからそこは関係なくありたいんだよ!!と思いまし
予定通りGWは息子を連れて帰省しています。年末年始ぶりに父と母にも会えました。抗がん剤治療中の母は、電話で聞いていた通り髪が無くなっていました。きっと癌をよくわかっていなかった3年前の私ならその姿にショックを受けていたと思います。でも私が先に癌告知されその時にいろんなことを調べましたが、その1つが脱毛でした。結果的に私は脱毛しやすい抗がん剤を使いませんでしたが、ご自身の脱毛した姿を載せてらっしゃる方のブログもいくつも見ていたため、それほど驚きませんでした。心の準備は大事ですね。ブログ
外来で抗がん剤治療をすること・実施内容を決めた1週間後、事前の血液検査の結果も問題なく抗がん剤治療XELOX療法開始です。外来ケモ室へ。私以外に3人点滴中でした。事前に吐き気止めの薬イメンドを飲むように言われました。飲もうとすると持参のお茶が熱すぎて飲めない...。看護師さんは笑ってらっしゃいました。お水を用意くださり、無事飲むことができました。その後、薬が運ばれてきました。程なく主治医が来られ、頑張ってねと言いながら左手手首上に針を刺されました。看護師さんに薬を繋いでもらい滴下開始です
親元を離れて遠くで暮らすようになって15年。コロナの前はGW、お盆、お正月は1週間くらい必ず実家に帰っていました。合計1年で20日くらい。20代前半の若かった初めの5年くらいは地元の友達に会うのが主目的で帰省していましたが、その頃お父さんを突然亡くした同じく地元を離れた友達に言われた言葉が印象的で、それ以来帰る主目的は両親に会うことに変わりました。友達に言われた言葉。親が80歳まで生きるとしたらあと20年(当時、親は60歳前後でしたので)。年3回で1年に計20日会っているなら会えるのはあと
告知後やステージ判明後は、まわりの人には私が大腸がんになったことは言えないと思っていました。その頃はずっと泣いていたし、話をすることで泣いてしまう状況だったから。癌だと泣かれたら聞かされた相手も困るよね?と思っていました。その後、精神崩壊から少しずつ落ち着いてきてからはまわりに話すようにしています。理由は・みんなに検診に行ってほしいし、自分の体の声に耳を傾けてほしい・今後、病気で急な予定変更など迷惑をかける可能性がゼロではない・私が逆の立場だったら、知っておきたい・嘘をつけない嘘を
3年6ヶ月のCT検査にて見つかった肺の今までなかったなにか。転移を疑うものではないと思いますと言われたもののなにかは映っていたこと、コロナ感染の影響だと思われると言われたことを夫にも伝えていました。心配性の夫なので、それって本当にコロナの影響かな?大丈夫かな?と何度か聞かれました。聞かれてもわからないし、聞かれると気にしないようにしていた私もどんどん不安になってきました。気にしない気にしないと日中は普通に生活していましたが、夜に中途覚醒し眠れなくなってしまいました。弱々夫婦、生活に支障が
抗がん剤治療をしなくなって約1ヶ月。まだまだコロナは健康な人以上に注意しなければいけないのかもしれませんが、復職すると外に出る機会も会う人の数も増えました。抗がん剤中はやはり今よりも怖く、外に出るのも保育園の送り迎えくらいでした。それなのに抗がん剤真っ只中の時、夫が仕事でコロナの濃厚接触者となってしまいました。電話でコロナ陽性者と接触したこと、保健所から濃厚接触者と判断されたこと、会社から自宅待機を命じられ当分は仕事も休むことになったと聞かされました。ここで問題は自宅待機ということです
休薬期間は体調もいいため、4クール目始まる前も息子といっぱい遊びました。またまた、義実家にお願いしてお泊まりに行き離れ離れになってしまうので...3クール目は腕の痛みもなくその他の副作用も心の準備ができていたからか、以前よりも軽く済みました。今回も同じく肘裏あたりにお願いしました。前回は全く問題なかったのに、今回は後半腕の痛みが出現しました。刺す位置だけの問題でもないようです。刺し直してもらう?と看護師さんは心配してくださいましたが、滴下スピードを少し遅くしてもらうと耐えられる程度にな
母はSOX療法1クール目もちろんしんどさはあったものの思ったよりは元気に過ごせたようです。まもなく2クール目。どうかどうか効果を発揮し、副作用は少なくすみますように。私は大腸がん術後補助化学療法として2020年3月31日からXELOX療法(オキサリプラチン+ゼローダ)4クール、その後ゼローダ単剤4クール行いました。開始の日は忘れることなく覚えていましたが、最後に抗がん剤を飲んだ日はいつだか忘れていました。母が抗がん剤治療を始めたということもあり、どのくらいの期間どんな副作用が出たか確認してお
息子の先天性副腎過形成症疑い、私の大腸がん、夫の急性肝炎と家から一番近い総合病院で診ていただいています。(息子は診ていただいていました。)長らく総合病院にかかることなく過ごしてきた夫と私が3年間でこんなにこの病院にお世話になることになるとは4年前に結婚した時には思いもしませんでした。病院ホームページで○○科と記載のあるものの数をかぞえると20の○○科がありました。3年間、家族3人で10の○○科にお世話になってます。どの科の先生も看護師さんもスタッフさんもいい人で助かっています。私の1年