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退院の1週間後に外来の予約が入っていました。その時に抗がん剤をどうするか聞かせてほしいと主治医に言われていました。抗がん剤治療をやることは病理検査の結果を聞いた瞬間に決めていました。問題はどの種類をどれだけの期間やるかでした。主治医に提案されたのは・カペシタビン(ゼローダ)療法6ヶ月・UFT/LV(ユーエフティ/ユーゼル)療法6ヶ月このどちらかならゼローダというのも飲み方を聞いてすぐ決めました。迷ったのは、ゼローダ錠にオキサリプラチンの点滴を加えるXELOX療法にするか、ゼロ
腎癌の情報が少ない中で自分の経験が同じように悩む方の役に立てば良いかなと思い、記事にしています。中には知りたくない情報もあるかもしれませんのでご自身の判断でお読み頂ければと思います。3月28日14時〜この日は次から主治医となるドクターにグレードについてお聞きしたく予約をしていた。時間通りに到着して受付を済ませる。外来のモニターを見ると、神主治医と噂のN先生は「混雑中」となまぁ2時間は覚悟するかと思ったら結果的に4時間待ちました途中で院内レストランで味噌ラーメン食べましたもう日
今回も術後4年クリアしたら旅行に行こうと、そうなることを願って2月にホテルを予約していました。無事に今回もクリアして旅行に行きました。今年は夫もいっしょに。『母子旅』術後3年クリアしたら旅行に行こうと、そうなることを願って2月にホテルを予約していました。夫にも声かけましたが、インドアな夫は行きたくなさそうだったので義母を誘…ameblo.jp昨年に続きプールを選んだのは息子が好きなのもありますが、私が海やプールが大好きだから。息子の楽しそうな顔が見られたのがなによりですと言いつつ、子ども
朝の総回診のあと主治医が1人で来られ、病理検査の結果が出たけどご主人と一緒の方がいいよね?いつにする?とのこと。退院後になるかもしれないと聞いていたので、早く結果が出て驚きました。夫に連絡すると仕事に行ってましたが、気になるから早い方がいいと出社直後だったのに上司に相談し早退してくれました。昼前には来られることを看護師さんに伝えると先生に予定を確認してくれて、13時に相談室に来てくださいとのことでした。夫は昼前に着き、その時間を一緒に待ちました。呼びに来られ、入室。主治医と癌認定看護師
外来で抗がん剤治療をすること・実施内容を決めた1週間後、事前の血液検査の結果も問題なく抗がん剤治療XELOX療法開始です。外来ケモ室へ。私以外に3人点滴中でした。事前に吐き気止めの薬イメンドを飲むように言われました。飲もうとすると持参のお茶が熱すぎて飲めない...。看護師さんは笑ってらっしゃいました。お水を用意くださり、無事飲むことができました。その後、薬が運ばれてきました。程なく主治医が来られ、頑張ってねと言いながら左手手首上に針を刺されました。看護師さんに薬を繋いでもらい滴下開始です
ゼローダの副作用の手足症候群。足裏に出てしまって歩くのが辛くなったり、手に出てしまって家事や子育てに影響したら困るなーと思っていました。そのため、クリーム塗り塗り、手袋はめはめ、靴下やスリッパはきはき、しっかりやりました。コロナでいつも以上に手洗いするので、常にクリーム塗っていました。1歳の息子もクリームを手に持ち、塗るマネを覚えるくらい。手袋は家の中では下履手袋、外では日焼け防止手袋、洗い物はゴム手袋をしていました。下履手袋の右親指と人差し指はスマホ触れるように切りました。外ではき
私の投与予定は、XELOX療法4クール、そのあとゼローダ療法4クールでした。おそらく珍しい抗がん剤投与スケジュールです。血液検査の結果、今までは白血球や赤血球は基準値以下になっていたものの投与には問題ないレベルでした。今回はXELOX療法4クール行ったことによるものなのか、肝臓の値であるASTとALTが基準値よりも高くなっていました。お酒は好きで大腸がん発覚前はそれなりに飲んでいましたが、一度も肝臓の値が高値になることはありませんでした。しかし、ガタガタですね。毎年の健康診断では赤血球
私は寝て起きたら忘れるタイプ。これは遺伝のようで父もそういうタイプ。私よりすぐ忘れる父。私が中学生の頃仕事の失敗で本当に生活するお金がなくなり、母が寝れない日々を過ごしていてもグーグーいびきをかいて寝ている人。よく言えば超ポジティブ、悪く言えば能天気な人。今までいっぱい迷惑かけられて恨んだこともいっぱいあるけど、なぜか心の底からは憎めない。人としてはいい人なんです。私は父のことを中身は中学生くらいな永遠のピーターパンだと思っています。父も娘だけど私の方が自分よりだいぶ賢いって言っていま
母が亡くなってからもちゃんと寝られて、ちゃんと食べられています。仕事にも戻り、ご飯も作り、息子の送り迎えをしていっしょにお風呂に入っていっしょに寝て。つい何日前の母はまだLINEもくれたし電話で話もできたんだなーと何をしてても突然悲しみに襲われ毎日涙は流れますが、涙もすぐに止まり日常を送れています。そんな中、今日は大腸癌術後2年3ヶ月の検査でした。今回は血液検査(腫瘍マーカー)のみでした。いつも診察前は不安定になりがちですが、日常を送れているものの母のことがあり不安定なのか不安定じゃない
術後3ヶ月は本を参考に内容に注意しながら食事をしていました。術後3ヶ月を過ぎてからは何でも食べています。ちょうど術後3ヶ月あたりに夫の誕生日があったんですが、コロナで外食は控えていたので家でお寿司とお肉を食べました。久々のお肉とお寿司で少し怖さはあったのですが、とっても美味しくいただきました。大腸がんには加工肉がよくないということなので、ソーセージやベーコンは今までより食べる回数は減りましたが、完全除去はしていません。豚や牛のお肉も今までより頻度は減りましたが食べてます。食べるなと書か
病理検査の結果の紙を、帰宅してから改めて見ていたら「グレード3」の文字そうだ。。みんなグレードの事書いてたのに、私ってば見落として聞くの忘れたじゃん。。。これって悪性度だよね。。あーーー気になる気になる。。落ち着かないだからがんセンターに電話した。でももう時間外だったので明日の朝また電話して頂ければ先生にお繋ぎしますよと言われたので、ザワザワしながらもなんとか眠った(夜中何度も起きた)翌朝も早起きして8:30になるのを待った。時間になってソッコー電話した☎️主治医に繋ぐと言われ
休薬期間は体調もいいため、4クール目始まる前も息子といっぱい遊びました。またまた、義実家にお願いしてお泊まりに行き離れ離れになってしまうので...3クール目は腕の痛みもなくその他の副作用も心の準備ができていたからか、以前よりも軽く済みました。今回も同じく肘裏あたりにお願いしました。前回は全く問題なかったのに、今回は後半腕の痛みが出現しました。刺す位置だけの問題でもないようです。刺し直してもらう?と看護師さんは心配してくださいましたが、滴下スピードを少し遅くしてもらうと耐えられる程度にな
抗がん剤治療を開始する時に看護師さんから生活上の注意を書いた紙をもらい、説明を受けました。内容は抗がん剤服用中の私の排泄物や汗には抗がん剤の成分が含まれているから、それに家族が曝露しないようにということでした。・トイレは蓋をして2回流す・大量の汗をかいた衣類は分けて洗濯するこれを抗がん剤投与後、1週間は行ってくださいというものでした。うちには1歳の息子がおり、体が小さい分大人よりも抗がん剤の影響を受けやすいかな?と注意していました。幸いまだオムツなのでトイレは使用しませんが、私は汗を
前のブログに励ましのコメントありがとうございました。肺のCTを撮ってから1週間。ついに検査結果を聞きに行く日。1週間考えない、考えないと言い聞かせてました。朝出勤前に、夫が手を握ってぜったい大丈夫だと信じてると言ってくれました。中待合では、お母さん守ってねと何度も心の中で唱えてました。結果は、肺にあった何かが消えていました。腫瘍マーカーも引き続き正常値。本当によかった。タイミング的におそらくコロナの炎症で間違いないでしょうとのことでした。コロナでは高熱が数日続き、解熱後臭覚が1週間
XELOX療法を始めるにあたり、いろんな方のブログを参考にさせていただいていました。事前にこんな副作用が出ると勉強し、心の準備をしていました。準備していてもずっと続く気持ち悪さ、手足のビリビリが辛く5日間ほどはずっと横になっていました。小さな息子がいるのに、横になっていられたのは母のおかげです。日中、夫は仕事なので食事や洗濯、息子のオムツ替えやお風呂、遊び相手とほとんどのことをやってくれました。母も若くなく、慣れないことばかりで疲れるだろうに何も言わずにやってくれました。私は唯一どん
先日、胃がん闘病中だった母が亡くなりました。昨年6月に見つかってから1年弱でした。胃がんだと思っていましたが十二指腸癌でした。希少がんで予後が悪い癌でした。1年のうちに何度か入院しており、今回も熱が出やすく食事量が減っていたため入院していました。本人も今までと同じく退院する気満々で抗がん剤治療もまだまだ頑張る気でした。主治医も亡くなる3日前までそのように考えていたらしいです。ところが急激に悪化しました。遠方に住んでる私は最期にギリギリ間に合い会話もできましたが、さらに遠方に住んでいる
私のメラノーマ発見から現在までの経緯をまとめてみました。今から5年後、10年後...もっと先の未来に同じメラノーマになってしまった人がいた時に少しでも参考になればいいなと思い書き残します。【病名】外陰部悪性黒色腫(粘膜には、かかっていません)【ステージ】3A【発見時の年齢】32歳2ヶ月【過去の病歴】23歳2ヶ月虚血性大腸炎(完治)24歳2ヶ月急性胃腸炎(完治)29歳9ヶ月多発性子宮筋腫(経過観察)【家族の病歴】父41歳4ヶ月膵尾部悪性腫瘍(膵臓癌
まだまだ暑いですが、空の色や朝晩の空気が少し秋を感じるようになってきました。夏が大好きな私にとっては寂しくなる季節です。この夏も海に川にお祭りに、夏らしいことをいっぱい楽しみました。1歳すぎでコロナ禍となってしまった息子にとっては、お祭りもほぼ初めての経験でした。わたあめの美味しさを知ったようです。とっても楽しんだ夏ですが、楽しみと楽しみの間は感染症で撃沈でした。8月半ばに家族全員コロナにかかり、8月末は何かしらのウィルスに私と息子が感染し発熱。ひとつきに2回も39℃なんておそらく
2ヶ月前くらいからゆるーくトイレの練習を始めている息子。まずはトイレに座ることに慣れてもらおうと2ヶ月くらいお風呂の前に座らせていたもののそこから全く進まず。そろそろ私もやる気を出さないとと7月に入ったからと紙オムツ外してみました。でも私も息子もやる気スイッチ完全オンって感じではないのでゆるーく発進中。息子をトイレに連れて行くようになって思うこと。大人と違ってトイレでもいろんなところが気になって触る触る。嫌だとトイレの床に寝そべることもある。不衛生で気になりますが今まで以上にトイレ掃除
育休前の仕事の状態と比べると全然ハードじゃない。なのにハードだと感じる。きっと2年の産休・育休・病気でのお休みにより体力が落ちたのと子供がいると仕事の前後がバタバタなのでそう感じるのかなと思ってます。私は特に制限ないですと伝えましたが、産業医の先生からは残業含めハードになりすぎないようにと注意が入ってるのもあり、上司も仕事振るのをかなりセーブしてくれています。でも半年後にはあれもお願いしようと思ってると言われていることがいくつかある。たしかに私の立ち位置だとそれくらいこなさないといけない
私は本当にありがたいことに子供がほしいと思ってすぐに息子がお腹に来てくれました。私自身不妊治療でできた子であり、母からはあれは心も体も辛いのであなたが経験しなくてほっとしていると言われていました。不妊治療をしている友達も何人もいます。大変さやつらさを正直に話してくれる友達もいます。なので大変さやつらさは聞いたことがあり、つらいだろうなと思ってはいましたが、心からはわかっていませんでした。2人目も考えていて、できないなんて全く考えもしませんでした。それが急に大腸がん、抗がん剤治療で不妊に
2020年も終わりが見えて来ました。本当に辛い1年でしたので早く終わってほしい年になってしまいました。投資だとか確定申告だとか、お金関係のことは弱い私。会社員なので今年も年末調整の案内が会社からありました。年末調整は毎年提出していますが確定申告はしたことがありません。賃貸で住所ローンもなく、扶養もなく、生命保険も給料天引きにしていたので年末調整もほぼ資料なし。今年は収入が読めなかったので、今日現在ふるさと納税はしていませんが、産休前はふるさと納税はしていました。でも、それもワンストップ
大変だった頃を思い出すことがあったので今日はお腹の調子のお話。お食事前の方などはここでストップしてください。大腸癌手術から1年くらいは急なお腹の変化も多くなかなか自分のペースも掴めず、外出も不安でした。2年目以降も一度でも急なお腹の変化に遭遇すると、そこからまた急に調子が悪くなるんじゃないかと不安が増強してしまっていました。私はお腹の調子が普通じゃないから...という精神的な問題が大きかった気がします。4年目に突入した最近はほとんど不安はありません。手術前は、1日1回だったのが今は1日5
もともと私とは対照的に口数少なくまじめで優しい夫。妻が癌になったこともビックリしたでしょうし、私のために仕事を休んでもらうことも多く職場の人に迷惑をかけていることも気になっていたと思います。そして、何より今まで元気だった妻が毎日死にたくないとずっと泣いている状況にどうしていいかわからなかったのだと思います。夫の行動に理解できない点が出てきました。入院中からおかしいなと思うことがありました。私の入院中、義実家に預けている息子の様子を見に行ってもらったら、義実家を出たとLINEがあったのに
私は理系。高校の時も数学は得意だったし、大学生のときバイトで塾で教えてたこともある。確率の問題も好きでした。でも今はどうなんだろうと思っています。確率はただの数字で、なってしまえば本人にとっては100%なわけです。35〜39歳で癌になる確率900人に1人=0.11%大腸SMがんでリンパ節転移している確率10%以下ステージ3a直腸S状部がんの5年相対生存率85%→亡くなっている確率15%(私の場合、もう少し悪くない確率だとは主治医も言いますし、文献読んでもn数少ないながらもそ
里帰りから戻り、紹介してもらった総合病院にかかりました。またここでも採血。奥からギャンギャン泣く声。まだ生まれて1ヶ月ちょっとなのにこんなに何回も採血されてかわいそうで、代わってやりたいと思いました。1週間後、結果を聞きに行くとやはり正常値に近いが異常値。こちらの先生も、前医もおそらく問題ないという見解ですが僕も問題ないと思ってます。この病気だと何かしら症状が出ると思うのですが、何も問題なく体重も増えていて元気そうです。ただ体重の増えが少し悪いので母乳とのことですが、飲めているかわからな
元は私の闘病ブログですが、最近は息子の感染症と実母の胃がん闘病ブログになっています。私はコロナワクチン2回目副反応で発熱したもののそれ以外は元気!暑さにも負けず3年ぶりの夏の営業も取り組めています。息子もスッカリ元気になり、食欲低下の数日を取り戻すかのようにいっぱい食べています。ますますお話も上手になり、ついに私の方を見てかわいいと言ってくれたのでありがとうと喜んだら、靴かわいいと私ではなく仕事用のヒール靴をかわいいと言っていました。ぬか喜びでした。息子の体調も落ち着いたので、母に会いに
しばらく間が開きましたが、告知、手術から4年がたちました。ソワソワする時期ですが、年々ソワソワ感が減っている中、今年は仕事が忙しくて癌のことを考える時間がありませんでした。考えすぎないのはよかったものの、このハードワークからは抜け出したいです。引越しによる転院後初めてのフル検査で、大腸内視鏡、CT、血液検査(腫瘍マーカー)でした。結果はすべて問題なし。ついに4年クリアです。やっぱり結果を聞くとホッとします。よかったです。5年の寛解と息子のランドセル姿が見えてきました。心配していた大腸内
私が大腸がんになり定期的に病院に通わなくてはいけなくなった頃、息子はおかげさまで定期的な通院から卒業できました。息子が卒業したのは、私の告知から手術までの2週間の間でした。私と息子は同じ病院なので、入れ替えになりました。息子は正期産で一般的には安産で(十分大変でしたが...)元気な産声をあげて生まれました。妊娠中もノントラブル。入院中も何も指摘されることなく予定通り母子同時に退院しました。退院から数日後、産婦人科より電話があり入院中に実施した新生児マススクリーニング検査で再検査項目があ
母のこと。いろいろ検査結果が出てきた結果、胃がんの切除手術はできない状態ということがわかりました。姑息的手術をまずはして、その後の方向性はそのあと。父や母はまさかそんな状態だと思っていなかったようですが、私は検査の経過等からそのような状態であるかもしれないと思っていました。自分の癌でいろいろ調べたことがこんな形で使われるなんて皮肉です。電話で父は男泣き。母は泣かなかったもののきっと怖くてたまらないと思います。状況はよくないけど、まだまだ入院中で会えないけど、心の支えになりたいし、まずは