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ピンク・レディー旋風が日本を席巻していた頃、ブームを支えていた当時のファンたちは、どのようにして彼女たちの楽曲やパフォーマンスに接していたのだろうか?よく知られているように、ピンク・レディーのブームは子どもたちから火がついた。そして火をつけたのは、他でもないテレビである。2人がデビューした時(1976年)、僕は田舎の小学5年生だったが、ピンク・レディーの歌を聴くのは、専らテレビだった。「ペッパー警部」がヒットしてから、彼女たちは毎日のようにテレビに出ていたので、子どもたちは新曲が出ると、歌と
1977年9月5日の「夜ヒット」、ピンク・レディーはこの日発売になった5枚目のシングル「ウォンテッド(指名手配)」を引っさげて登場している。この曲もご存知の通り、ピンク・レディーの代表的な大ヒット曲。オリコンでは9月19日付けのチャートで、前週までの首位「渚のシンドバッド」と入れ替わりでトップに立ち、以後12週連続1位を記録、ミリオンセラーとなった。とはいえ、当時田舎の小学生だった僕には、正直あまりピンと来なかった。変な曲だな、というのが最初の感想である。それまでの明るく可愛いイメージと
ピンク・レディーが11枚目のシングル「ジパング」を「夜ヒット」で初披露したのは、1979年3月5日。イントロの女性コーラスが印象的な軽やかで明るいサウンド。「この世のこの世の」「もしももしも」「ジパング、ジパング」など言葉の反復によるリズミカルで覚えやすい歌詞。そして、曲線的な動きを多用して柔らかい感じに仕上げた振り付け。当時、土居甫センセイは「これまでの中では一番シンプルじゃないですか」と語っている。さらに、この日の出演で特徴的だったのは、白を基調にしたオリエント風の2人のコスチュームだ。黄
いつもブログをお読みいただき、ありがとうございます。2023年も、ついに大晦日ですね。今年の年越しは、ミーちゃん(未唯mieさん)が金沢で行われる「カウントダウン・コンサート」に、そしてケイちゃん(増田惠子さん)は横浜アリーナで「第7回ももいろ歌合戦」に出演されるとのことです。楽しみですね。大晦日といえば、ちょうど45年前、1978年の12月31日は、ピンク・レディーが「UFO」で第20回日本レコード大賞を受賞した記念すべき日でもあります。78年12月31日「第20回日本レコード大賞」(「
今から31年前、昭和が終わり平成が始まった年に、お笑いやバラエティ番組を中心に昭和のテレビ史を回顧する『昭和のTVバラエティ』(太田出版、1989)という本が刊行された。監修・執筆者は、放送作家の高田文夫氏である。この中で高田氏は、昭和53年(1978)のテレビ界を振り返り、こう記している。時代のキーワードはなんたってお笑いではなく、ミーとケイのピンクレディー。このふたりの売れ方のものすごさというのも前代未聞。まさに寝る暇もないといった感じで1日十数本の番組をかけもち、本番直前にとび込んで
1978年3月13日の「夜ヒット」、ピンク・レディーは7週間ぶりの出演。この夜、初めて7枚目のシングル「サウスポー」を披露した。レコード発売の12日前だが、この頃になると、ピンクの新曲というだけで、世間の関心、期待は並々ならぬものがあったようだ。スポニチは、発売日よりも2か月も早い1月23日に、次の新曲のタイトルが「サウスポー」であることを早くも報じている。記事には「レコーディングがほぼ終了している」とある。後年、関係者たちが明かした有名なエピソードだが、「サウスポー」は当初は全く違う曲で、
ケイちゃんこと増田惠子さんがソロデビュー40周年を記念して、11月28日に初めての配信ライブを行うことが決まった。この日を心待ちにしているファンの方も多いはずである。増田惠子40thアニバーサリー配信LIVE高音質・高画質のライブストリーミングで心躍るライブ体験をあなたにthumva.com今から40年前、1981年のこの日、ケイちゃんのソロ歌手としての最初のシングル「すずめ」がリリースされた。ピンク・レディーの解散から約8か月後のことだった。この時の芸名が現在の「増田惠子」ではなく「増田け
いよいよ今年も残すところあと2日。ピンク・レディーのアルバム「ウィ・アー・セクシー」に関する過去記事は今回が最終回ということで、例によってセルフリブログでございます。歳末“蔵出し”祭りはめでたく(?)きょうで終了しますが、明日も投稿しますので、どうぞよろしくお願いします。ケイちゃんに叱られる!(別館)ピンク・レディーをもっと知る!kayrose65.wp.xdomain.jp
友達と道の駅平成のパン屋さんに寄ってから、下呂にある大安食堂へまだお昼前だったので🅿も店内も空いてました友達は、とんちゃん定食(豚)私は、けいちゃん定食(鶏)➕トッピングのうどん2人前ごはんはおかわり無料🉐味噌汁、冷奴、漬物付きある程度焼いて持ってきてくれるので、あとは自分たちで仕上げ安くて美味しくてめちゃくちゃオススメのお店です
今回は結論から書きます。Q・ピンク・レディーはなぜ解散したか?A・最も大きな理由は、メンバーの一人が当時の交際相手との結婚を望み、解散を申し出たことによる。加えて、背景には当該メンバーと所属事務所の関係の悪化があった。紅白歌合戦出場辞退、アメリカ進出など話題作りを優先する事務所の強引な手法や、交際を巡って「仕事を取るか結婚を取るか」と迫る上層部のハラスメント行為などによって、事務所に対するメンバーの不信感は極限にまで募っていた。ただし、上の事情は2000年代にメンバーが著書で明らかにするまで
スタジオのフロアに並べられた夥しい数の電球が、滑走路の誘導灯のように点滅する。まだLEDのなかった時代、暖色を帯びた光が熱を感じさせる。その中で、スパンコールの衣装をきらめかせ「カメレオン・アーミー」をハードなアクションで歌い上げるピンク・レディーの2人。1979年2月5日の「夜のヒットスタジオ」、この年最初の出演である。「カメレオン・アーミー」は前年12月からオリコン週間チャートで6週連続1位。ピンク・レディーにとって最後の1位獲得曲となったが「S・O・S」から9曲連続、通算63週の1位獲得
こんにちは☀ラブデッドラインも終わってしまいましたあっと言う間に終わってしまった初回の感想『ラブキャッチャー&ラブデッドライン』こんばんは〜結構見たい番組はちゃんと欠かさず見てるんですが中々まとめられず書きたい内容だけが溜まっております今期は見たいのが多すぎるという幸せすぎる悩みが🩷…ameblo.jp⚠ネタバレありますので見たくない方は戻るボタンをまず最初に書かせて下さい〜〜!ケイちゃん✕ノナちゃん婚約おめでとうございますーーこの場面背景と後ろ姿がとっても素敵でした
皆さんご機嫌いかがですか?朝メシ食った?小6の修学旅行の切ない思い出と言えばやはりお風呂に入る時幼馴染みの秋ちゃんが旅行前ひと言…ケイちゃん…あれ…なんな秋ちゃんハッキリ言いよあんな~ケイちゃん…チン毛…??チン毛がどげんしたんなチン毛生えちょる?えっ…( ̄◇ ̄;)おぅ生えちょるばい!どんぐらい生えちょるな?んっ…ぽやぽや生えちょるばい!どげんする?剃って行くやろ分かった剃って行くばい!こんな小6の切ない会話を貴方は笑いますか💦おえん週末朝から失礼しまし
ここ数日に比べると今日は少し暖かく!しかし天気が悪かった・・・これが晴れていれば・・・今朝は僕が身支度してる時ジ~っと見つめて👀カメラ向けたらエッヘン<(`^´)>モモちゃんは昨日同様カメハウスに出てランプの下でジ~っと・・・(・。・)ナナちゃんはこっちが気になるみたいでチラ見(一一)ケイちゃんは近づきたくてレンガからずり落ちて・・・(^○^)あと2日出勤すればGWだからね~キョーリンひかりクレストタートル250g(パック)爬虫類
ここ数日一時の暑さがどこへやら・・・少しひんやり・・・日中になればそこそこ気温上がるけど朝はかなり寒いって言うかひんやり・・・🥶今朝は身支度してるのをポチがジ~っと👀「また会社?」って顔して・・・💦モモちゃんは昨日同様カメハウスでラんプの下で!ここから動けず・・・((+_+))ナナちゃんはハイタッチ!ご機嫌みたいです(^○^)ケイちゃんはカメラ向けるとしっかりとカメラ目線👀
ピンク・レディーのシングルB面曲について、取り止めもなく書いている。今回はシングル4作目にしてミリオンセラーとなった「渚のシンドバッド」のB面で、ある意味ピンク・レディー史上「最大の問題作(?)」かもしれないこの1曲を取り上げたい。<基本情報>タイトル:パパイヤ軍団作詞:阿久悠作曲・編曲:都倉俊一発売日:1977(昭和52)年6月10日A面曲:渚のシンドバッド前々回の記事で「りんごと歌謡曲は相性が良い」などと書いたが、さて今回はパパイヤである。『【B面deピンク・レディー】ピ
1970年代はテレビと歌謡曲が娯楽の王様だった。ピンク・レディーは、その2つが一緒になって生み出したエンタテインメントの最大のヒット商品だったと言ってもよい。2年以上続いた大ブームの時期には、テレビでピンク・レディーを見ない日はなかった。当時は家庭用の録画機器も普及していなかったため、彼女たちの出演映像は大半が残っていないが、テレビ局などが公式に提供し、現在DVDなどで観ることができる映像の中から、印象的なシーンをピックアップしてみたい。ファンの方にはどれもお馴染みの内容になるが、改めて気にな
「やっぱり大きいわね」ピンク・レディーがフジテレビの人気番組「夜のヒットスタジオ」に初めて出演したのは、1976年12月20日。「ペッパー警部」でデビューしてから4か月後のことだった。この時、2人に会ったばかりの司会の芳村真理さんは「やっぱり大きいわね」と口にし、井上順さんも「大きいですね」と頷いた。「ピンク・レディーは背が高い」というのは、当時しばしば言われていたことである。例えば、社会学者の藤竹暁氏は<実物のピンク・レディーというのはかなり大きいでしょう。しかも、あのアクションもかなり大
花粉症か?黄砂が原因か?昨日の夕方ぐらいから右目が痒く鏡を見たら白目の全て真っ赤・・・これはヤバイと思い明日眼科にと・・・今朝になってかなり良くなったのでそのまま出勤!今の所赤いのは治まったけどまだ痒い・・・今朝は月曜日はやはりこうだよね~僕もごろんちょしたいもん(^○^)モモちゃんはカメハウスへ!スポットランプの下から動かず・・・まだ寒いか・・・ナナちゃんはジ~っと👀ケイちゃんも斜めになりながらジ~っと👀キョーリンひかりク